暑い。本当に毎日暑すぎる。
今年の6月は異常に暑い。
そんななか、屋外のイベントが本格的に始まり、汗だくでの取材に命がけで走り回る毎日。
先月末頃からなんだか虫刺されのようなものが顔にポツリとできたかと思うと、異常にかゆくなってそのあとは激痛。
夜はその影響か頭痛で眠れず3日間。完全な寝不足。
余りに調子が悪いので、思い切ってエマージェンシーケアのクリニックに駆け込んだところ、診断はなんと、
帯状疱疹・・・
そういえば、この眠れない頭痛は水ぼうそうに似ているよなぁ、と思っていた。
でも、発症から3日以上たっているので今更抗生物質を飲んでもまぁ、効かないでしょう、時間の経過を待つしかありませんね、と先生に言われ、仕方ないので家にあったタイラノールだけ飲んでしのいだ。
自腹で165ドルもかかっちゃったけど、とてもいいドクターだったし原因がはっきりしたからよかったとしよう。
でも、顔や目の周りに発疹があり、下手すると視力を失う可能性もあるので眼医者に行くように、と言われた・・・でもそんなお金も時間もありゃぁしない。
こういうとき、アメリカで保険なしで暮らしていることがとことん不安でいやになる。
ちょうど時を同じくして、ブルースフェスを見に日本からシカゴを訪れていた友人が我が家に宿泊する予定だったり、
阿波踊りの練習場所を探し回ったり、パフォーマンスのオーガナイズしなきゃいけなかったり、その合間に家の大掃除やなんやらで疲れとストレスが一気に噴出したのが原因だとか。
ちなみに英語で帯状疱疹は“シングルス”(Shingles)という。
って、はじめて知った単語(笑)
★
そんなこんなで、眉間の間にぽっつりと赤い発疹を残した不細工な顔のまま、3日間のブルースフェスティバル取材に突入。
最初の二日間は地獄の蒸し暑さ、最後の日だけは肌寒いような涼しい過ごしやすい一日になった。
いつもこんな温度差の激しい天気になる。雷雨がこなかったのだけが幸運。
今年のブルースフェスの最大のトピックは、最終日のオオトリ企画、「オーティス・ラッシュ・トリビュート」。
オープニング二ングに、そのオーティスご本人が登場したのが大きなサプライズだった。
ご本人を生で見ことがなかった私にとってはもちろん、会場を埋め尽くしたファンもつゆ知らず。
車椅子姿を見せたくないと、ご本人もご家族もこの日の登場を最後まで渋っていたと聞いたが、ファンの前に顔を見せてくれたそのことだけでもどれほど大きな意味があったことだろう、と思う。
実際、オーティスの顔色はとてもよく、ファンは安心した。
とても大切にケアされているんだな、と一目でわかった。ご家族(奥様)の努力のたまものだろう。
いつまでも長生きして、またいつかステージに立ってほしいと願うばかり。
シカゴ市長から、「2016年6月12日をオーティス・ラッシュの日と定める」という宣言が手渡された。
もうひとつのトピックは、この栄誉ある企画に二人の日本人ブルースマンが出演したこと。
この様子は記事にUPしたので、こちらからご覧ください。
完全燃焼第“33回 シカゴブルース・フェス”日本人ブルースマンたちがオーティス・ラッシュに捧げた、心のブルース。
Ariyo
Shun
Shoji
その他、今年はこんな人たちをいろいろ堪能しました。
故ジェームス・ブラウンのバンドのトロンボーン奏者でプロデューサーのフレッド・ウェズリー率いるThe New JB's
ジョン・プライマー
ニューオリンズから、ソウルの女王、アーマ・トーマス
急逝したオーティス・クレイのトリビュートバンド
地元シカゴからリル・エド&ザブルース・インペリアルズと、ブルースハープの第一人者、コーキー・シーゲル
ギターの名手、ビリー・フリン
エディー・”ザ・チーフ”・クリアウォーター
ロニー・アールの“浪花節”ギターがうなる
シカゴブルースの宝、ルリー・ベル
個人的には、この人の歌が一番! ネリー・”タイガー”・トラヴィス
ミシシッピ・デルタ出身のダイナマイト、ノラ・ジーン・ブルーソ
若手のブルース女王、シェミキア・コープランド
地元シカゴから人気急上昇の、トロンゾ・キャノン
中央は、今年88歳で現役バリバリのジミー・ジョンソン
★
ブルースフェスティバルが終わり、今度はばたばたとニューオリンズへと旅立つ。
昨年の4月以来約1年ぶりのニューオリンズ、今回は、あるコンベンションに参加するためだった。
一言で言えば、「旅行先としてのアメリカを知りつくし、プロモーションする」ためのイベント。
世界中から6000人もの人たちが集結し、昼間は大商談会、夜は各州主催のパーティーが毎夜のように行われた。
平均睡眠時間は約4~5時間。
でも、中身の濃い有意義な日々だった。
私のような個人ジャーナリストは、もちろん経費も自分持ち。
往復の航空費も、プラスの宿泊代も、飲み食い代も、市内の移動費も、全部自腹。
ただでさえ貧乏な暮らしが、いよいよ極貧になっていく・・・けれど、人間攻めるときは切り詰めてでも先行投資してでも攻めなきゃいけないことがある。
このコンベンションは、まさにそういうイベントだった。
ここで培った人脈、知識、体で感じて見聞きした(これが一番大事)全ての物事を、今度はこの残り半年で全て吐き出そう。
特に今回、事前の計画もなくその場で動き回り、行く先々で出合った人たちから得た情報で次の行先を決めて行動した。
まさに、ニューオリンズ数珠つなぎ行脚の日々だった。
これが、なんと恐ろしく楽しく、おいしい結果に結びついたことだろう!
この話はまた次回。。。
今年の6月は異常に暑い。
そんななか、屋外のイベントが本格的に始まり、汗だくでの取材に命がけで走り回る毎日。
先月末頃からなんだか虫刺されのようなものが顔にポツリとできたかと思うと、異常にかゆくなってそのあとは激痛。
夜はその影響か頭痛で眠れず3日間。完全な寝不足。
余りに調子が悪いので、思い切ってエマージェンシーケアのクリニックに駆け込んだところ、診断はなんと、
帯状疱疹・・・
そういえば、この眠れない頭痛は水ぼうそうに似ているよなぁ、と思っていた。
でも、発症から3日以上たっているので今更抗生物質を飲んでもまぁ、効かないでしょう、時間の経過を待つしかありませんね、と先生に言われ、仕方ないので家にあったタイラノールだけ飲んでしのいだ。
自腹で165ドルもかかっちゃったけど、とてもいいドクターだったし原因がはっきりしたからよかったとしよう。
でも、顔や目の周りに発疹があり、下手すると視力を失う可能性もあるので眼医者に行くように、と言われた・・・でもそんなお金も時間もありゃぁしない。
こういうとき、アメリカで保険なしで暮らしていることがとことん不安でいやになる。
ちょうど時を同じくして、ブルースフェスを見に日本からシカゴを訪れていた友人が我が家に宿泊する予定だったり、
阿波踊りの練習場所を探し回ったり、パフォーマンスのオーガナイズしなきゃいけなかったり、その合間に家の大掃除やなんやらで疲れとストレスが一気に噴出したのが原因だとか。
ちなみに英語で帯状疱疹は“シングルス”(Shingles)という。
って、はじめて知った単語(笑)
★
そんなこんなで、眉間の間にぽっつりと赤い発疹を残した不細工な顔のまま、3日間のブルースフェスティバル取材に突入。
最初の二日間は地獄の蒸し暑さ、最後の日だけは肌寒いような涼しい過ごしやすい一日になった。
いつもこんな温度差の激しい天気になる。雷雨がこなかったのだけが幸運。
今年のブルースフェスの最大のトピックは、最終日のオオトリ企画、「オーティス・ラッシュ・トリビュート」。
オープニング二ングに、そのオーティスご本人が登場したのが大きなサプライズだった。
ご本人を生で見ことがなかった私にとってはもちろん、会場を埋め尽くしたファンもつゆ知らず。
車椅子姿を見せたくないと、ご本人もご家族もこの日の登場を最後まで渋っていたと聞いたが、ファンの前に顔を見せてくれたそのことだけでもどれほど大きな意味があったことだろう、と思う。
実際、オーティスの顔色はとてもよく、ファンは安心した。
とても大切にケアされているんだな、と一目でわかった。ご家族(奥様)の努力のたまものだろう。
いつまでも長生きして、またいつかステージに立ってほしいと願うばかり。
シカゴ市長から、「2016年6月12日をオーティス・ラッシュの日と定める」という宣言が手渡された。
もうひとつのトピックは、この栄誉ある企画に二人の日本人ブルースマンが出演したこと。
この様子は記事にUPしたので、こちらからご覧ください。
完全燃焼第“33回 シカゴブルース・フェス”日本人ブルースマンたちがオーティス・ラッシュに捧げた、心のブルース。
Ariyo
Shun
Shoji
その他、今年はこんな人たちをいろいろ堪能しました。
故ジェームス・ブラウンのバンドのトロンボーン奏者でプロデューサーのフレッド・ウェズリー率いるThe New JB's
ジョン・プライマー
ニューオリンズから、ソウルの女王、アーマ・トーマス
急逝したオーティス・クレイのトリビュートバンド
地元シカゴからリル・エド&ザブルース・インペリアルズと、ブルースハープの第一人者、コーキー・シーゲル
ギターの名手、ビリー・フリン
エディー・”ザ・チーフ”・クリアウォーター
ロニー・アールの“浪花節”ギターがうなる
シカゴブルースの宝、ルリー・ベル
個人的には、この人の歌が一番! ネリー・”タイガー”・トラヴィス
ミシシッピ・デルタ出身のダイナマイト、ノラ・ジーン・ブルーソ
若手のブルース女王、シェミキア・コープランド
地元シカゴから人気急上昇の、トロンゾ・キャノン
中央は、今年88歳で現役バリバリのジミー・ジョンソン
★
ブルースフェスティバルが終わり、今度はばたばたとニューオリンズへと旅立つ。
昨年の4月以来約1年ぶりのニューオリンズ、今回は、あるコンベンションに参加するためだった。
一言で言えば、「旅行先としてのアメリカを知りつくし、プロモーションする」ためのイベント。
世界中から6000人もの人たちが集結し、昼間は大商談会、夜は各州主催のパーティーが毎夜のように行われた。
平均睡眠時間は約4~5時間。
でも、中身の濃い有意義な日々だった。
私のような個人ジャーナリストは、もちろん経費も自分持ち。
往復の航空費も、プラスの宿泊代も、飲み食い代も、市内の移動費も、全部自腹。
ただでさえ貧乏な暮らしが、いよいよ極貧になっていく・・・けれど、人間攻めるときは切り詰めてでも先行投資してでも攻めなきゃいけないことがある。
このコンベンションは、まさにそういうイベントだった。
ここで培った人脈、知識、体で感じて見聞きした(これが一番大事)全ての物事を、今度はこの残り半年で全て吐き出そう。
特に今回、事前の計画もなくその場で動き回り、行く先々で出合った人たちから得た情報で次の行先を決めて行動した。
まさに、ニューオリンズ数珠つなぎ行脚の日々だった。
これが、なんと恐ろしく楽しく、おいしい結果に結びついたことだろう!
この話はまた次回。。。