幕末期熊本出身の佐々布篁石という画家がいた。特に熊本出身と書いたのは、彼があることがきっかけで郷里を離れ他国で死去したことによる。天保八年八月伊藤右之助・大塚仙之助・横山清十郎・堀内彦右衛門の四名が死刑に処せられた事件がある。事件の詳細は伝えられていないが、死刑とは穏やかではない。「島崎騒動一件」という文書があるが処刑の事実のみが書かれている。個人別の調書があるらしいが、これによると四人は時習館訓導の河部仙吾から厳しい指導を受け、叱責を被った事に対し徒党を組んで殺害に及ぼうとし捕まったものらしい。佐々布篁石も何らかの係わりが有って、終身仕官が叶わなかった。十九歳の時である。そして明治十一年信州の伊那で亡くなった。一部では松井佐渡暗殺を企てたものだとする説があるらしいが、風聞に過ぎないようだ。
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2 コメント
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- 伊藤・大塚の乱 (逸見駿河守一族の末裔)
- 2007-10-06 23:32:58
- この事件については「熊本史学第43号」(昭和49年)に鎌田浩氏が「天保期熊本藩政と初期実学党」という題で詳しく述べておられます。肥後実学党史の導入部として位置づけられた事件で、「この事件の教訓が実学党運動を生んだともいえるであろう。」としておられます。この事件で処罰されたのは士分帯刀者19名百姓64名(或いは67名)という多勢に上っています。その中に佐々布準助という名前も見受けられます。
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- 佐々布篁石 (逸見駿河守一族の末裔)
- 2007-10-13 21:32:19
- 肥後読史総覧によれば、この佐々布準助が後の佐々布篁石だと書かれています。
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