津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■藪家記‐4

2023-03-07 07:01:17 | 先祖附

一元和の比内匠病身眼病等の保養として上京いたし候 此方三斎様ゟ源重之御懇書有之候而持傳候 内匠遂ニ本復無御座候而
 京都ニ於ゐて死去ニ而候 妙心寺の塔頭壽聖院江葬送有之 元和五年八月五日也
 右三斎様之御懇書ニ薮内匠頭殿とあり 墓の銘ニも法号の脇に山城州産薮内匠ト有

一内匠末後に三斎様江申上候は被下置候御知行壱万弐千石差上候ニ付兼而申上候育置候牢人十七人之者共被召出候様奉願
 候 則其通ニ被仰付被召出候 何も武功心はせ有之者共ニ而今其子孫勤ニ而罷在候
   右は内匠殿一生の事実のあらましニ而御座候 申傳の侭覚書ニ致置候を書付差上之仕候 内匠殿武功之儀はあまねく人
   の存知候事ながら却而家にハ委敷不申傳候 乱世の砌ハ不致事之様と皆人存候而不申傳候歟 乍去只今ニ成子孫たる者
   先祖之武功を不存候事返々残念勝粗略之至ニ御座候 右之通久々の事故若違却之儀も可有御座候 右之外ニもれ申事ハ
   存出次第猶又可申上候 吟味仕■未分明事共も御座候 大形ハご存知被成たる事ニ而も可有御座候得共御尋ニ付無差別
   申上候 違却之儀御座候ハゝ必々無御遠慮可被仰聞候 猶又しらへ置可申候 以上

   所持仕居申候
       感状之写
    今度於其表及一戦首級両討捕
    候之由究粉骨旨神妙候尚孫平次      孫平次=中村一氏か
    可申候 謹言
           筑前守
     三月廿六日   秀吉御朱印
       薮弥次右衛門殿

   右之御感状いつ比之事ニて御座候歟未詳候

    江州日野之内貮千九百石令宛行      近江日野滋賀県蒲生郡日野町
    之■全可有領地者也仍如件
     天正十三
      九月廿四日 式部少輔 在判
       薮弥次右衛門殿

    去月八日於小屋野口ニて合戦討捕
    首二至来尤以神妙也 謹言
     三月十三日   高国 在判      
高国=細川高国?
       薮与一とのへ           
与一=内匠父伊賀守か?

   此感状未詳候 高国とハ誰人ともいまた吟味不仕候 内匠殿事与一と申事も不申傳候 追而可考
   右之通傳来候分ニ而御座候 其居方ニ前廉ゟ御傳候書付なと御座候ハゝ重而御写御見せ可被下候
   以上

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