津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

要チェック・大喜多又兵衛の召し出し

2013-06-29 17:26:25 | 歴史

■ 大喜多又兵衛 (後に細川光尚に殉死した、山中又兵衛・氏連)
              尚々、ゑもんのかう(右衛門督)をとゝ、其方へ奉公申度と申二付而、下候故、
              書状調渡候へ共、此状ハ急被脚ニ先へ下し申候、跡より右之奉公人下り可
              申候、追而と書状有之付而、如此候、以上
                     ( 寛永十五年閏七月廿九日光尚宛忠利書状(1142)追而書)

         

   熊本縣史料 近世編第一 部分御舊記一・十八 p584に次のような史料が見受けられるが、これは明らかに上記記事に連なる文書だと考えられるが
 寛永十一年とあり、どちらかが間違いではなかろうか

              (寛永十一年)八月廿四日之飛札九月六日ニ参著披見申候
            一、大北又兵衛其元ニ著申候由得其意候
                                    忠利
                  六(光尚)
                   進候 

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