- 熊本地名研究会の編著による「熊本の消えた地名」にも登場しない、「消えた地名」が、「明治初期‐熊本町名」地図にあった。
その名を「ウスナシ丁」と記してある。この地図は明治6年の「白川縣肥後国熊本全図」と明治13年の「熊本全図」で校合され編集されている。
まだ「大甲橋」が存在しないから道筋をたどるのが大変だが、下流部にはこの時期安巳(安政)橋が存在しているから辿っていくと元新屋敷の先でクランクしている。
手元にある昭和4年の「地番入り早わかり熊本市街地圖」を見ると、「白川小学校」の書き込みが見える。
この当時は小学校前の通りはまだ一直線ではない。その小学校の前を進みクランクに沿って右折すると今度は左折し北へ延びる道がある。これがどうやら「ウスナシ丁」らしい。この地図ではこの道筋は明五橋通りまで伸びているが、現在は手前とこの「丁」の先が途切れているが閑静な御屋敷町である。「丁」とあるようにここが侍屋敷であったことを物語っている。
現在の地番で言うと熊本市中央区新屋敷1丁目10番地のブロックではないかと思われる。
熊本地名辞典を見ても、なかなか地図上の位置を確定することが出来ないでいるし、またこの「ウスナシ」というカタカナ表示の名前の由来も伺えない。
ご存知の方のご教示をお願いしたい。
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