津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(1)

2010-06-17 20:59:04 | 歴史
  ■五月朔日 当番小篠次大夫
              1
  相済との書物請取也
一、田川郡荒発之御奉行、杉山藤兵衛与野坂茂太夫・西沢文右衛門尉与田中喜左衛門仕舞、罷帰候事
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  竹を此方より遣、壱人ニ一日ニ、こけらふきノくき壱升つゝあて、被上候へと、(林)弥五右衛門・(河田)八右衛門へ申渡、差帋遣候事
一、所〃御番衆隙有之分ニ、仕事あて候事             5
   4

1、この時期の記録は、小篠次大夫・続平左衛門・加々山主馬(可政)・仁保太兵衛・浅山清右衛門尉が持ち回りで行っている。
  小篠(おざさ)次太夫は転切支丹(慶長拾九年頃)として知られる。先祖附では嫡子・七左衛門を初代としている。
  明治に至り「神風の乱」に於いては四人兄弟が参加して自刃した。  
2、荒発之御奉行の「荒発」については現況不明である。「荒地の開発」の意であろうか。
3、奉行の野坂茂太夫・田中喜左衛門の名前は「侍帳」では確認できない。
4、御番の衆は隙の折に杮葺(こけら)用の竹釘を一升づつけづるようとの指示である。
  業務の詳細が伺えて面白い。
5、林弥五右衛門は林家の二代、五代・六代は郡奉行を勤めている。
  河田八右衛門は河田家初代「於豊前小倉御侍帳」には「歩小姓百石」とある。


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