津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「肥後辛島家のひとびと」展

2013-01-16 15:56:33 | 展覧会

                                            肥後辛島家のひとびと・展     
 

関連講座 講座「肥後辛島家のひとびと」

          第1回 1月19日(土曜日) 第4代 辛島道珠(からしま どうしゅ) 終了

          第2回 2月 2日(土曜日) 第8代 辛島才蔵(からしま さいぞう)

          第3回 2月16日(土曜日) 第12代 辛島格(からしま いたる)

          (注)時間は午後1時30分から午後2時30分まで(事前申込は不要です)

 

■ 辛島彝蔵  (南東17-25)
     与三左衛門
    1、道珠  
著作:肥後名勝略記(元禄二年頃)
    2、道専
    3、義先
       
辛島雲蔵 名は淳美、義先と称し、別に耻月と号す。藩の文学となり、傍ら書及び管楽を善くす。
              享保十八年八月二日没す。享年四十四。

    4、義助 
       
辛島青渓 名は光輔、字は翼之、義助と称し、青渓と号す。藩黌時習館訓導となる。
              寛政五年四月廿一日没す。享年七十。墓は春日万日山。

    5、才蔵  御鉄炮三拾挺頭・惣教支配・時習館教授 三百石内二百石御足高
      
 辛島エン井 名は和雄、一名憲、字は伯彝、才蔵と称し、エン井と号す。幼にして穎悟、数歳にし
               て句讀を受け大學を背踊す。長じて草野潜渓に学ぶ、後時習館訓導となり又江戸
               にして大府の命を蒙り經を昌平黌に講ず。藩臣此の栄典にあずかるもの薩(摩)の
               赤碕海門、芸(洲)頼春水等数人のみ、後進んで時習館教授となる。所謂六教授の
               一人也夙に程朱を信し、忠君憂国の念終始一の如く、又親に事へて孝養を極む。
               天保十年二月廿三日没す。年八十六。墓は万日山。

    6、大吉  新知百石
    7、多喜次  訓導部御物頭列 百石
        
辛島蘭軒 名は知喜、字は叔陽、通称は多禧次、蘭軒と号しエン井の長子なり。最も文学に長じ
               時習館訓導となる。性廉正剛直、しばしば書を執政に上る。言皆凱切却つて流俗の
               忌む所となる。明治十八年四月没す。年八十。墓は春日萬日山。

    8、彝之允(彝蔵)
    9、格(いたる)    熊本市長

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