我家に倉庫等、武具を納めるスペースを持たない者は、藩が城内の二つの櫓と、新町一丁目櫓に預かった。
■度支彙凾 明和より天明迄 法令條論・十五(8)の(三ニ七)及び(三三三)でご紹介したが、城内の櫓は竹の丸の「元札御門御櫓(⇧右上)」と「西御櫓(⇧左上)」である。
竹の丸から元札御門御櫓から城内に入るルートは虎口を入り階段状の道を幾度か曲がり少々足元がおぼつかなくなると、正面にようやく天守が見える、防御を目的とした戦略的に構成された、熊本城の特徴的なものである。元札御門御櫓の先に札御門御櫓があるが、城内に入るために札の提示が必要な御門であり、旧(元)と新の櫓門である。
(三ニ九)に於いては御奉行所・中門の管理の厳しさが紹介されているが、〇の表示が中門である。
型式は薬医門であったと言われる。(開き戸を開けたとき雨に濡れないように屋根が変則的にかけられている)
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