津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■阿蘇の噴火

2014-11-27 20:54:09 | 熊本

                                                激しくマグマを噴き上げる阿蘇中岳第1火口=30日午前4時59分、阿蘇市の草千里展望所から撮影(小山真史)  追記:11月30日(熊日)

 阿蘇山の噴火が続いている。今日は飛行機の運航に支障をきたしたようだが、火山灰は熊本市内まで飛来してきている。
外出した奥方は目の中がゴロゴロするといって帰宅、それが火山灰のせいだといっているがなるほど駐車場の車の屋根はうっすらと灰が積もっている。
19年ぶりの噴火だと報道されているが、それ以前私が知る死傷者を出した噴火が三件ある。 

■1953年(昭和28年)4月27日 私が中学二年生のころだが余り詳しい記憶がない。 
第1火口で噴火が発生、数百メートルの高さまで人身大~人頭大の噴石を飛ばし、南西方向600mまで達しました。
この噴火で観光客6名が死亡し、負傷者は90名出た。同年5月にも降灰が多く噴出し、農作物に大きな被害が出た。

■1958年(昭和33年)6月24日 28年の噴火を受けて火口周辺に避難壕が設けられてが、噴石が屋根を突き破った。 
第1火口が突然爆発し、噴石は火口から2.1kmの阿蘇山測候所まで達した。山腹一帯には多量の灰や砂が降り、死者12名、負傷者28名を出した。

■1979年(昭和54年)9月6日 私の出身の中学校の生徒が遠足(?)で出かけ死者が出た。当時の校長は私の担任だったY先生、いろいろご苦労があったようだ。
6月~8月にかけて赤熱した噴石を多方向へ飛ばす活動が続き、火口周辺に降灰してた。9月6日の噴火では、火口北東側で死者3名、重傷2名、軽傷9名の人的被害をもたらし、ロープウェイの駅舎にも被害が出た。その後も大量の降灰があり、宮崎県、大分県、熊本市へ達し、農作物へも大きな影響が出た。

 

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