数日前から「新熊本市史・地図編」を広げてにらめっこをしている。当主の名前が記された精密な住宅地図だが、「熊本市地図」や「ゼンリン住宅地図」と対比しながら、場所の特定をしようと考えている。道筋については、今も昔もほとんど替わっていないのだが、坪井川や井芹川の流れが改修されて、現在では随分様変わりしている。侍帳「肥陽諸士鑑」においては、「住い●●」といった様に記されているが、時代が食い違うのか中々確認できない。特定が出来たお宅については、「新肥後細川藩侍帳」に書き込みをしようと思っている。旧侍町の中に現在存在する学校は、そのほとんどが広大な屋敷を持つ有力家臣の邸宅跡である。碩台小学校は沼田家下屋敷、熊本市立必由館高等学校は家老米田家の屋敷跡、京陵中学には巨大な楠木が沢山残されているが小笠原民部等が住んだ屋敷跡である。そんな有力家臣の屋敷に比べると、なんともみすぼらしいわが家だが、三代にわたりその場所が確定できた。今はデパートがたつ一等地にその一つがあったが、その当時は下級武士の住まいが密集していた。他の二つの場所もよく承知している。暖かくなったらコピーを片手に自転車を走らせて、散策しようと思っている。
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