津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

明智の血

2009-04-01 10:00:31 | 歴史
 ある方から、忠興の二男・興秋のお世話をした三輪秀久のその後についてお尋ねがあった。三輪氏は窪田→志水→狩野と姓を変えられた。熊本在住の能楽師・狩野秀鵬氏がご子孫である。その家系はHPに詳しく記されているから、御覧頂きたい。   http://www.syuuhou-kano.com/index2.htm
 ここにも明智の血が流れている。そして三輪秀久は吉田侍従の六男だとされる。明智氏や社家・吉田氏との係わりがなんと濃密な事か・・・忠興が愛してやまなかった「お万」にも又明智の血が流れている。

     吉田侍従六男靭負                                 喜多流能楽師
     三輪丹波守秀久---善助秋則(窪田五助)---左大夫則久・・・・・・・・・→狩野秀鵬            
                     ∥
     明智次右衛門---+----●
             ∥  |          烏丸光賢
 明智光秀---+--律   +--小ヤゝ        ∥---彌々光尚正室
         |          ∥-----------万
         |      細川忠興
         |          ∥-----+--忠隆
         +--------玉(ガラシャ) |
                          +--興秋
                          |
                          +--忠利---光尚

窪田五助の娘婿が志水清安(清庵とも)、三齋の側近としてしばしばその名が見える。
重賢の時代、大奉行堀平太左衛門に見出されて宝暦の改革に尽力した志水才助は清安の子孫である。奉行を勤めた。
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