これは我が曽祖父が書き残したものであり、今まで真剣に読んだことがなかったのだが、いわゆる穿鑿役を勤めた人間が書き残したものだから、脚色されたものとは思われない。
事件のそもそもは、勤皇派の者が、横井小楠を殺害しようとして起こっている。殺された吉田平之助はいわばとばっちりを受けた人である。同席した都築四郎も刀を合せたが逃走したため、お咎めを受けた。その為に小楠にかかわる記述が多い。後に小楠を暗殺した刺客の一人柳田直蔵が持っていた「斬奸状」が取り上げられているが、これなどWEB上では公開されていないのではないか。又当現聞録においても、小楠の逃走の有様がリアルに記されており、いずれも小楠研究家にとっては、触れられたくない内容ではなかろうか。特に後者は、私も今般詳しく読んで知ったところであるが、果たしてそれが真実であるのかどうかはよく判らないし、反論も生ずるところであろう。このような次第でUPをいささかためらったが、私自身は他意はなく、黒瀬市郎助を調べる上で、たまたま曽祖父が書き残したものを資料として調べたものである。思い切って前後二回に亘ってご紹介する。
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