次回の史談会(4月19日)では毛利会長の「数奇な運命を辿った肥後段山-消えてしまった風光明媚な段山-」をお聞きする。
地名学会の会員でもあられ、地元新町のご出身だからお詳しいことは間違いなく、当日を期待している。
この絵は熊本博物館が所蔵する、矢田一嘯作の「段山激戦之図」であるが明治27年頃の作品だとされる。
臨場感あふれるものだが、中央下部にある橋が「段山橋」だとすると段山自体の位置が左に寄りすぎではないかと思われる。
しかし、遠くに熊本城の北西角の森本櫓石垣が見え、その下にあった「陣橋」から連なる杉塘の杉並木が見えて、ほぼ当時の状況を表しているように思える。
矢田 一嘯(やだ いっしょう)は、安政5年12月19日(1859)生まれだそうだから、西南の役当時は19歳、絵を描いた時期は35歳位である。写真資料などを基にしているのだろうか。
熊本城の石垣下を流れていた当時の川幅の狭い井芹川の状況がよく理解できる。
石橋の作りも、写真が残る「陣橋」と全く同様の構造であるが、いつ架橋されたのか調べているが良くわからない。
会長にそのあたりをリクエストしておこうと思っている。
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