先のオークションに出ていた「両敬様」にある、妙解院(忠利)女・藤にかかわる資料である。
天眼寺様とあり、松平刑部太輔忠弘様御奥 真源院様之御妹とある。
松平宮内少輔忠直(尚)とあるのは実子ではなく婿養子である。右に記載がある忠清主税および鶴松が実子か、細川家資料でもうかがうことが出来ない。
天眼寺様の左手の四人の御子は側室の子か?御亡室さまとあるのが忠直(尚)夫人である。
つまり、御藤様の血は途絶えたということだろう。
「藤」は寛永十一年甲戌出生、承応三年甲午六月十日婚姻、元禄十一年戊寅六月廿三日江戸にて卒す、年六十五、
法号・天眼寺慈光性林、谷中天眼寺に葬る。
生母は不詳とされるが、真如院と号されたようだ。後に高見権右衛門に再嫁されたという資料がある。
東京谷中天眼寺にある御藤様のお墓
この穴は、春日局の墓石の穴と同じ意味=「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓」なのでしょうか?