津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

頓挫

2009-03-17 16:43:31 | 徒然
 三齋の死の直後の八代の有り様を、藩庁に書き送った「丹羽亀之允言上之覚」をタイピングしているが・・・・とんと進まない。読めない字が多くて、■表記ですすめていたら、■だらけになってしまった。一つ一つ「くずし字辞典」で潰していくのだが、最近はこの作業のほうが主になってしまったようで、公開には程遠い。

 さてこの「丹羽亀之允」何が原因か知らないが、陽明学徒が追放されたと同時期(寛文九年十月六日)「御暇」が出ている。先祖附を読んでいないので、はきとした事がわからない。「丹羽亀之允言上之覚」を後年編した同名源吾正名の後書きによると、「子無之及老年御知行差上益城郡木倉在江引入候由・・・」と記している。
 三齋死去後の三齋に仕えた侍衆の、離国する者、宇土支藩立藩に伴い宇土へやられる者、本藩へ帰る者、悲喜こもごもの模様を眺めてきた亀之允にとって、晩年の感慨は如何なものであったのだろうか。

 59頁ほどのものだが、進捗率10%で頓挫している。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 細川-三渕-土御門-津川(斯波... | トップ | 細川家と二つの火鉢 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿