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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・久武氏

2009-05-05 08:41:46 | 歴史
 熊本の久武家は、久武蔵之助親直を祖とするが、兄久武親信の死後長曾我部家の家老となり、主家の継嗣問題で対立する人たちを死に至らしめ、長曾我部家没落の因を造ったとも伝えられる。加藤清正に随身し1,000石。加藤家改易後牢人したが、後旧主家筋の「町氏」を頼り細川家に仕えた。(300石)
      ja.wikipedia.org/wiki/久武親直
      ja.wikipedia.org/wiki/久武親信
 我が家の五代目室が久武氏、下って母の実家T家に久武氏が嫁しており、私は二重にそのDNAを受け継いでいる。

 新熊本市史・通史編-第四巻に「第二節・新しく芽生える文化」がある。
この中に「久武綺石」(権之助250石)の名前があった。肥後国にあって芭蕉復興に尽力した俳人である。ここに記載されている句をご紹介しておこう。

       此こゝろわすれな人はわすれ雪
       白魚を都の水にあらひけり
       蝶々の根どころ其日/\かな
       蛙ほど花しるものもなかりけり
       やみの夜も月夜も捨ぬ師走かな
       葛のはに夜寒の水の光哉
       ものいはぬ石にもふれて秋の風

 この権之助には幼い頃に武勇伝がある。「久武兄弟御長柄の者討果候事」(雑撰録-巻30)という記録がある。権之助と弟・金吾が御長柄の者に、言いがかりをつけられ、やむなくこれを討果したというものである。権之助十五歳、金吾十三歳であった。
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