goo blog サービス終了のお知らせ 

津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■久野家に関する二つの史料

2020-04-17 09:33:41 | 人物

 久野次郎左衛門に関する二つの史料を、「清田石見」関係者の方からお送りいただいた。御礼申し上げる。
左は大坂城普請に関する史料であり、右は天草島原の乱に於ける久野氏の働きの証明の写しである。
  

           久野次郎左衛門                  私先祖ゟ相達候紙面写
    一貮人六分者 小豆嶋石切過上                一ニ月廿七日有馬本丸出丸久野次郎左衛門
    一大坂御普請未進過上無之                   一所に乗込申候儀紛無御座候事
      右之通聞届申候已上                   一本丸石垣ニ何茂一所ニ着申候處次郎左衛門石ニ而

      〇六月十八日                       打れ申候儀慥ニ見届申候以上
                                      六月廿八日
                                       清田石見殿
                                   右之通御座候文字本書之通写進之候  

 左の内容についてはよく理解できない。専門家の見解をお聞きしたいと思っている。
右は「私」の先祖が、久野次郎左衛門の有馬陣に於ける働きを証明した文章であり、それを一字一句書き写して誰かに
「進之」したとする文書である。「私」が誰なのかが、文書からは伺えず残念である。
ただ久野家からすると、先祖の有馬陣での働きの有様が判る貴重な史料である。
 
 清田石見は有馬陣(島原の乱)に於いては自ら手負いしているが、戦後、一万有余の細川家臣の戦場での働きについて吟味にあたって奉行の一人である。
原城陥落後すぐに各人の働きを書面で出すように要請している。
その内容に従い、紙面に書かれた証拠人宛に文書を発し、その事実を書面で提出するように依頼している。
これ等の調査にもとづき、働きが顕著であった者に対しては加増や褒賞などが行われた。

以下は、阿部権兵衛(阿部弥一右衛門の嫡男、後縛り首の刑の処せられた)の線上での働きについて、その清田石見が証拠人・沢村権十郎にその事実確認の依頼をした文書である。(沢村家文書より引用)

                                                     

                                                                  今度嶋原ニて二月廿七日に阿部
                     権兵衛本丸石垣ニ着石手
                     負被申候 證人ニ御立候様子具ニ
                     御書出可給候以上
                      六月五日 清田石見
                      沢村権十郎殿

       沢村家にはこのほか数件の依頼状・証拠状が残されている。(肥後藩士沢村家資料集・所収)

               
              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(204)寛永四年・日帳(二月十七日)

2020-04-17 06:47:38 | 細川小倉藩

                      (寛永四年ニ月)十七日  

         |
         |    十七日  山崎伝左衛門
         |
         |              井門亀右衛門与山本十左衛門
中津郡竹切奉行等 |一、中津郡御竹きり御奉行ニ、大嶋喜右衛門〇を被遣候間、籠ゟ出申候日用之もの共廿人、共ニ過怠
日傭ノ者二十人ヲ |              〃〃〃〃〃〃〇伊藤金左衛門与西奥右衛門両人
過怠トシテ召遣ウ |                                         
         |  ニ被召仕候間、右之日用を喜右衛門へ可被付遣候へと吉田少右衛門方へ被仰渡候事、但、日用兵
         |                  〃    〃〃〃
         |  粮之儀は、新兵衛・伝助ゟ御郡へ書状を調、大嶋喜右衛門ニ被渡候へと、御申渡候事、
         |(此条抹消)                                                    御鉄炮衆
         | 「一、御船頭三宅清兵衛登城ニて被申候ハ、上方ゟ御小早夜前八つ時分罷下候、則■■■衆江戸ゟノ
         |  御使と候て二人■乗り下候由」                     〃   〃
         |一、上方ゟ、御小舟早御船頭孫左衛門と申もの罷下候、江戸ゟノ御鉄炮衆二人のせ下申候、 殿様御
         |        〃
         |  舟ニハ京之上ろニて相申候通、申候事、
         |               被                          (政時)
三斎ヨリ頭巾請取 |一、三斎様ゟ 越中様ゟ御づきんの進之候時の御返事、幷長舟十右衛門・貴田権内ゟノ言上ノ状、昨
ノ返書      |     〃         〃  
         |  晩歩御小生藤崎左助取戻申候事、
小倉城塀ノ控柱根 |一、河田八右衛門登城ニ而被申候ハ、爰かしこへいのひかへ柱根くさり申候、へいをうちたをし申
腐リノ修繕ノ仕方 |  候ハヽ、事之外御造作かゝり可申候、併少之儀も御造作入候儀仕間敷通、被成 御諚候間、い
ヲ普請惣奉行伺ウ |  かゝ可有御座哉と被申候、左様之儀は、御家老衆へ被仰伺可然由、八右衛門ニ被仰渡候事、
         |  (光尚)
光尚附小人病死ス |一、御六様被召仕候御小人ノ六左衛門と申者、正月十六日ニ病死仕候由、小頭源三郎申候、但、江
         |  戸ゟ昨夜罷下候御鉄炮衆申由候事、則彦進・甚丞かたへ申候へと、申渡候事、
         |  (興相)
         |一、牧左馬允殿下屋敷ニ居申助右衛門と申者、小川彦左衛門と出入有之ニ付而、書物を仕、持上り
養子ノ公事    |  候、彦左衛門方をハ、沼田吉右衛門書物ヲ差上候、双方之書物を見候処、公事にて候間、御公事
         |      御さはき可有通
公事聞ニ採決ヲ命 |  聞衆へ、右之書物ヲ持せ、加来二郎兵衛を、米田與右衛門殿へ被遣候事処、従與右衛門殿返事ニ
ズ        |  ハ、御奉行衆次第と書上ヶ申上は、むり相無之候間、せんさくにて埒明可申と存候、但、我等ハ
         |        (村上景広)
         |  か様ニ存候、八郎左衛門方とも談合可申候、各らち御あけ不被成候ハヽ、其主/\に此書物を持
         |  せ、我等所へ可被遣越候、其上にて談合可申由候事、然ニ付、右之書物双方ノ主/\へ差返し申
         |  候事、     〃
         |一、北国へ被遣御舟のつゝミやうの儀、福田八右衛門ニ申渡候事、
沢刑右邸ノ改築  |一、沢形右衛門屋敷永屋くつれかゝり候間、くづし、よし垣ニ被申付、又書院の儀ハつくろひ不成候
         |  ハヽ、かやふきニも可被仕通、申渡候事、
鶴ノ居所     |一、靏の居所そとニ有之を、花ノ坊家につけ、ざつと可被申付通、申渡し候事、
矢倉ノ窓修理   |一、藤本勘介預りの御矢倉、まどゟ雨入申、まとはり候てもたまり不申ニ付、ざつとまどぶた可被申
垣ヲ古道具ニテ結 |     (河田)
ウ        |  付由、八右衛門ニ申渡候、付り、廻りニ少かき仕所有之をも、古道具ニて可被申付通、申渡候事
門司口ノ番所ノ修 |一、須崎久左衛門預りの御門、門司口の御番所くづれかゝり申候由候間、御見合つくろひ可被申通、
繕        |  八右衛門ニ申渡候事、何も久左衛門同前之少身の衆自分ニてつくろひ不成衆分は可被申付通、申
         |  渡候事、
         |一、御船頭重田吉左衛門、御先へ御供衆をのせ上り、今朝罷下候事、
         |                            (恵重)
連歌興行ノ振舞奉 |一、来廿五日ニ、御城ニ而、御連哥御座候、御振舞奉行ニ、志水新丞申付候事、
行ヲ任命     |
付替ノ物書親ノ見 |一、付替所ニ居申候有田吉兵衛、親中津ニい申、弐三ヶ年見廻不申候間、二三日ノ逗留に参度由申
舞ニ休暇願    |  通、椋梨半兵衛被申候、御用つかへ不申候ハヽ、遣可被申由、申渡候事、
         |
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■志方半兵衛言上之覚・釈文‐ 21(原文27分)

2020-04-17 06:45:52 | 細川家譜

27       一元旦ニ原ノ城へ乗り可申と 上使衆就被仰付ニ
         鍋嶋勢玄蕃殿勢松倉勢乗申候へ共のりきかせ
         不申大勢うたれ引取申ニ付 石谷十蔵殿もど       副使石谷貞清・負傷
         加しく被思召候哉さいを御とり手勢百計
         之先ニ立城へ御乗り申候処ニ石にて甲を討鉄炮
         ニてかいなをうたれ乗きかせす御引候殊外見事
         成働と申候事
        一板倉内膳殿十蔵殿ゟ後ニざいを御とり城へ御       正使板倉重昌・討死
         乗あるべきと走り御出候所を鉄炮ニ而ただ中を
         付申ニ付即事ニ御討死被成候事
        一松平甚三郎殿たけたは下ニてひざニ手を御おい候事    豊後目付松平甚三郎・負傷
        一上使衆ニ肥後様ゟ被付置候伊藤十丞石谷十蔵殿      細川家臣伊藤十丞・討死      
         ゟ先ニ走り出城屏之手へ着城之内へ鑓を入こ手
         まわし申所を鉄炮ニてうたれ討死仕候事
        一横山助進ハ板倉内膳殿と一度ニ走り出城ニ懸り      細川家臣横山助進・討死
         申所を鉄炮ニてうた連内膳殿一所ニて討死仕候
         其も 上使衆ニ付居申候事
        一出田宮内手をおい申候事                細川家臣出田宮内・負傷

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする