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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■米田求政も薬師?

2020-04-13 18:30:02 | 史料

 熊本で先に「針薬方」が発見されてから、明智光秀が薬師であったという若い時代の生きざまが明らかになりつつある。
明智十兵衛から薬の処方を教えられたという、この文書を書き残した貞能とは細川家三卿家老・米田家の初代・求政の事である。
この貞能が飯川信堅から薬方を伝授されたという史料が、「熊本縣史料・中世編Ⅱ」の米田史料に所収されている。
飯川信堅とは細川幽齋の室・麝香の姉婿である。細川藩・主要家臣系図によると、信堅は足利義輝生害の時に討死したとされる。(永禄8・5・19 沼田家系図)
しかし、この文書の日付は8・10・22日とあるから、是には首をかしげざるを得ないが。

       
                                                     
   米田氏と飯川氏との関りは、求政の子の是政娘が飯川肥後に嫁いでいる。
後に飯川肥後と父・豊前が忠興の命により誅伐されるという事件が起こるが、兄・米田是季はこれに抗議の意をもって細川家を出奔している。
そして大阪の陣では西方で働いた。その前後どこに住まいしたのかが謎であったが、米田家家臣のご子孫は坂本の西教寺ではなかったかと推測される。
是政室・雲仙庵は明智光秀の姪だとされ、是政ともどもここに埋葬されている。
まさにここは明智光秀室・妻木家ゆかりの御寺であり、深い因縁を感じている。
また、飯川肥後の相聟には明智の老臣・進士美作守國秀がいる。光秀謀反を忠興に知らせたのは義弟・権之助直次である。

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■図書館行き

2020-04-13 13:25:36 | 徒然

 熊本県立図書館では電話やメールでの申し込みにより本の貸し出しを始めた。
土曜日にメールで申し込み、今朝9時過ぎから強い風の中を自転車で受け取りに出かける。
途中で帽子が突風にあおられて吹き飛び、挙句は川の中に飛ぶ込むアクシデント、雑損発生。
帰りはいつもながら、坂道の勾配をスイッチバック状態でジグザグしながら帰宅するも、強い風は回っているようで、行きも帰りも正面から風を受けている感じ。
相当な運動量であった。帰宅後は息が切れて、疲れた足をベッドに投げ出して、しばし休憩する。

 借りた本は「熊本縣資料・中世編‐Ⅱ」、目指す「大木文書」は全く当てが外れてしまった。
全769頁、時間つぶしに眺めることにしましょう。

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(26)

2020-04-13 09:07:17 | 細川家譜

                 

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■細川小倉藩(200)寛永四年・日帳(二月十一日)

2020-04-13 06:12:36 | 細川小倉藩

              (寛永四年ニ月)十一日

         |                       
         |    十一日  山崎伝左衛門
         |
         |                           (蒲笥)
蒲笥       |一、金森出雲様ゟ御飛脚両人、御文箱壱つ、かち栗の入たるかまき弐つ昨日参候、御返事を可被成候
         |  哉、彼御飛脚ニも何そ可被遣候哉之通、式ア少殿へ、切帋ニて申入候ヘハ、式ア少輔殿ゟ堀口少
金森重頼ヘノ書札 |  五郎を被遣、被仰候ハ、 殿様御留守之儀候間、御返事可仕候、但、出雲殿へ直ニハいかゝニ候
礼        |  ま、家老衆か、出頭人かの名を彼飛脚ニ相尋候ハヽ、それへあて御返事を可仕候、御飛脚ハ遠路
飛脚へ銀子を給与 |  ゟ参たる者之事候間、銀子一人ニ一枚つゝ被遣可然候、御留守ニ候間、不被遣候而もくるしかる
         |  ましく候哉、二つ取ニハ御留守成共遠路ゟ之事候間、被遣可然存候と、被仰聞候ニ付、其分可然
         |  御座候ハんと、御返事申候、出雲様御内衆の名を尋ニ遣候へハ、佐が野八郎右衛門と申候、又式
帰途ハ船便ヲ供ス |  ア殿ゟ少五郎を被遣候、右之御飛脚、町船ノ便成共、 殿様御舟上り候便かニ、船中まかない已
町舟       |  下被仰付、被差上可然由、被仰越候、御船只今上り候便ハ無御座候、町舟を聞せ可申候、町舟無
御手舟      |  之候ハヽ、御舟ノ便をまたせ申儀にてハ無之候間、御手舟ニ而上せ可申通、返事申候事、町舟を
         |                                        〃
         |  尋候ヘハ、十五日ニ出船ノ町舟有之由、参使を被差上候、其ニ可上ニと参使ニ申渡候事、然内
         |     (波)                              〃  
蜂須賀家使者   |  ニ阿わゟも御使者上下三人参候を、御小早ニ而上せ候ニ付、此舟ニ上せ申候事、
腰物拵ノ横目   |一、金子文三郎登城被仕被申候ハ、私儀、今程御腰物こしらへ申横目被 仰付候、しかれとも、今
宇佐宮へ立願参拝 |  程御用も無御座候、宇佐へ立願御座候間、参申度候、いかゝ可有御座候哉と被申候間、伊藤武左
願        |  衛門ニ被仰談、可有御越通、申渡し候事、
         |  (苅)                                (鹿毛)
苅田牧ノ駒    |一、かん田ノ牧馬子を壱疋生申候由、申来候、母馬もかけ、子もかけの由申候事、
武藤普庵へ花入ノ |一、武藤普庵へ、花入之為御返礼、大判五枚被遣候を、返進被致候由ニ而、津川四郎右衛門尉殿御持
礼ニ大判五枚ヲ贈 |  上り候を、うけ取置、切手被進之候、阿波ゟノ御使者上下三人参候、則御小早申付、金森出雲様
ルモ返進サル   |  御飛脚のせ合、明日十二日ニ、大坂へ差上せ候へと、御船頭衆へさし帋遣候、阿波ゟノ使者、船
         |        御舟へ
         |  中ニ而 殿様罷越、御小袖なと被遣候由、津川四郎右衛門尉殿御登城にて、被 仰候事、

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