津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■離合する

2020-04-18 14:28:48 | 徒然

 良い天気だといういうのに散歩道には人影がほとんどない。
外出を控えるようにとのお上の仰せ出に、日本人は本当に素直に従っているように思える。
熊本でも感染者のストップには歯止めがかかっていない。この鬱屈した気分から何時になったら解放されるのだろうか。

私がいつも歩く自衛隊周辺の道(側道)は、幅が2メートルほどしかない。前から人が歩いてくると、可成り近い距離ですれ違うことになる。
前からの人影に気づくと、前もって安全に離合できるように植え込みの中に入り込んで、やり過ごしたりしている。
人が居ない処ではマスクもはずすが、離合するときはマスクをはめたりするのだが、これは散歩人のルールであると密かに実行している。

処で「離合する」という言葉は九州独特の言葉らしいことを「ブラタモリ」で知った。
皆さまも街角では十分気を付けられて「離合」なされませ・・・

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■細川小倉藩(205)寛永四年・日帳(二月十八日~廿日)

2020-04-18 06:51:41 | 細川小倉藩

                      (寛永四年ニ月)十八日~廿日  

         |
         |    十八日  奥村少兵衛
         |
中津ノ算用    |一、金子喜左衛門被申候ハ、中津ゟ、中神與兵衛ゟ被申越候ハ、今度御米六千石廻り申候、相残分不
借米奉行ニ米ノ積 |  参ニ付、御算用不相成由、被申越候通、被申ニ付、則御借米奉行衆へ、御米急度可被積廻通、ふ
廻̪シヲ触ル    |  れ状遣候也、
         |一、牧左馬殿ゟふちを被放候助右衛門手前ニ、小川彦左衛門内のもの清六と申ものゝむすめを、先年
養子ノ公事    |  やしなひ子二彼助右衛門取申の由申候、清六ゟ書物有之事候間、必定やしない子之由申候、小川
         |  彦左衛門ゟ被申候ハ、人の内のものゝむすめを、主人へ不届、養子ニ可取子細無之候、彼息女走        
         |  申候と存、色々尋候ヘハ、助右衛門ニ居申候を取返、数年召仕候処、只今又助右衛門所へ呼越
         |  置申候間、返し候へと、彦左衛門ゟ申のよし、沢田吉右衛門被申候、始養子ニ取候所、助右衛門
         |  不届ニ候間、戻し候へと申聞候、但、戻間敷子細於有之ハ、御公事聞衆へ出し候へと、申渡候
         |  事、
         |
 
         |
         |    十九日  加来二郎兵衛
         |
明屋敷奉行空邸ヲ |一、藤田慶休居候脇之屋敷、森六左衛門・塩田左大夫くし取望申ニ付、不破平大夫・中山左次右衛門
鬮取トス     |                        〃〃〃  
         |  被罷登、くし取させ被申候処、左大夫あたり申候事、
明屋敷ノ下賜ヲ願 |一、右之分ニくじ取ニ付、六左衛門申候ハ、油やノ小左衛門ワキノやしきを被下候様ニと申候、左次
フ        |                 (苗)                     〃〃
伏セシ桐苗ノ処分 |  右衛門を以申候、其やしきニハ桐なへなとをふせ申由、右ニ申候、さやうの埒明申候ハヽ、其上
         |  ニて談合可申由、申渡候事、
宇佐築城郡去免相 |一、宇佐・築城御給人ノ内、去免違在之由、改被書上候へと、御郡奉行衆へ申遣候事、
違アリ      |

         |
         |    廿日  山崎伝左衛門
         |
         |   (元明)     (恵重)
連歌興行ノ振舞奉 |一、住江甚兵衛・志水新丞登城ニ而、被申候ハ、来ル廿五日御連歌之御ふる舞奉行被仰付候、然ハ、
         |            
行        |  御台所へ手伝之者共迄〇罷通候様ニ、鉄御門御番衆へ被仰付被下候様ニと、被申候、則北村平右
         |  衛門を呼、両人ニ引合被仰渡候事、
三斎へ黒木進上  |一、中津へくろ木積せ被参御奉行藤井宇左衛門、夜前罷戻由ニ而、今朝登城被仕、長舟十右衛門・貴
         |  (政時)
三斎上洛予定   |  田権内方ゟ之返事被差上候、 三斎様御上洛も来月中旬たるへきと、十右衛門・権内被申之由ニ
         |  候事、もはやあたゝかニも成、其上近日御上洛之事候間、重而書状被進候事はも入申間敷通ニ御
         |                                    〃
         |  座候事、
宇佐郡ノ簗解キ  |一、宇佐郡やなとかせ申ためニ、御鉄炮衆弐人、冣前差遣候処ニ、日雇にてとかせ可申哉と尋ニ、昨
         |                         (曽根村、規矩郡)
大水ニ渡渉不能  |  日罷戻候、則返事調差遣候処ニ、今朝未明ニ罷出、そね迄参候へ共、事外之大水ニて、小川/\
         |  も渡り申儀、中/\不罷成由申候て、罷帰候間、雨やミ次第可罷越通、申渡候事、
         |一、御家老衆ゟ為御使、不破平大夫・中山左次右衛門、此両人を以被仰越候ハ、大坂寺嶋主水ゟ申越
内藤信正ノ大坂邸 |
ニ置キシ石ノ移転 |  候ハ、内藤紀伊守殿御やしき被成御借、石を被成御置候処ニ、今度安部備中殿へかのやしき相渡
日雇ニテ除ク   |  申ニ付、右ノ石三間通ほとのけ禍申由、申来候間、日雇ニて直させ可申候へ共、惣銀ム御座候、
惣銀備蓄ナシ   |  弐貫目・三貫目之儀ニ、 御袖判ハ難申請候間、御銀子之内三貫目程被成御取替可給候由被仰越
保利與兵衛ノ貸銀 |  候間、幸保利與兵衛銀かし申候間、可被成御借用候、 殿様へも與兵衛銀被成御借候間、此返弁
         |  之銀、大坂ニて渡可申候条、其分ニ可被成通、則返事ニ申候事、
         |一、右ノ儀ニ付、歩ノ御小姓吉谷平太夫差上度候間、遣銀なと遣、上せ可申候条、平太夫ニ此段可申
         |  付由、被仰越候、此方ゟ申候ハ、兵太夫儀ハ来年之御供ニ上り申筈ニて御座候間、休ノ間さやう
         |  ノ役目申付候儀いかゝニ御座候、併、御上せ不被成候而不叶儀ニ御座候ハヽ、遣銀なと被遣、手
         |  前つゝき申候様ニ被成可被遣候、此通可申付通、御返事申候事、
新参ノ物書初見  |一、新参ニ被罷出候御物書野田権兵衛、今日御礼被申上候事、
         |                (長泰)                (長氏)
平野長泰ヘノ銀ヲ |一、真野兵左衛門銀被成御借付、平野遠野殿へ被進之を、平野九郎右衛門ニ可相渡旨、冣前 御印成
同苗長氏へ渡ス  |  被下候、就夫、九郎右衛門ゟ、只今請取可申由ニ付、加被相渡由之切かミ、彦進・甚丞方へ遣候
         |  事、
大雨ニツキ橋流失 |一、雨事之外ふり申候間、橋なとなかれ不申様ニ、いつものことく無油断可被申付通、河田八右衛門
ノ防止ヲ作事惣奉 |  方へ申遣、得其意候との返事有之、
行へ命ズ     |
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