津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■忘れていたヤフオク・・落札

2020-03-30 10:56:21 | オークション

 4・5日前に入札したものが落札していたとのメールが入っていた。
史籍集覧の「菊池伝記」二冊である。「細川侯爵家配置図」落札の為に集中していたから、すっかり忘れていた。
忘れるくらいのものの方が、簡単に手に入れられるようだ。

             

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■春の風景「楓」

2020-03-30 09:25:49 | 徒然

 昨年12月末に散歩の途中で楓の種子を見つけて持ち帰り、鉢に撒いてみました。

                      ■種まき爺

                      ■季節の写真「師走の紅葉」

御覧のようにたくさんの芽が出てきました。さて今後どうしたものかと思案中ですが、ある程度大きくなってから、ひそかに元の場所の植え込みにでも植えることにしましょうか?

                                                                                          

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(23)

2020-03-30 08:17:07 | 史料

                 

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■昭和九年・細川侯爵邸の配置図

2020-03-30 06:30:12 | 建築

          
          

          
                                        肥後細川公園

 昭和9年の書き込みがある細川侯爵邸の配置図である。17葉の設計図面があるようだが、これがヤフオクに出品されていた。
この一式の図面は昭和11年に竣工して現在は「和敬塾本館」として有名な、旧・細川侯爵邸の建物である。
私は小石川区高田老松町76番地で生まれたが、上の配置図がまさにこれに当る。それ故何とか手に入れたいという想いが通じて、昨晩無事に落札することができた。
左下に数軒の家が並んでいるが、ここが職員宿舎だと思われ、多分そのうちの一軒が私の生家ということになる。
下方に池と建物が見えるが、現在の「肥後細川公園(旧・新江戸川公園)」(下の図)である。
つまりわが生家は、現在は同公園前(西側)にできた新しい道を挟んで反対側に当たる。
配置図の中段右寄りに事務所とあるのが当時の家政所と思われ、祖父が大正四年から昭和十九年までの約30年弱勤務していたところである。
これが現在の「永青文庫」の建物であろうと思われるが、建物の向きが違うようにも思える?

思いがけずのこのような図面に出会い、定かではないが自分の生まれた場所を知ることができた。
私の姉は池に落ちたというが、まさにこの広い池がそうであろうし、一枚の図面がいろいろなことを思い出させてくれる。
建築設計を生業としてきた私にとっては、此の設計図は興味深い史料でありお宝である。到着するのが待ち遠しい。

追記 11:36記
T様からメールをいただき、昭和14年から伯母様が侯爵家に奉職されていたそうで、そのお話に「現在の建物は元の家政所で、終戦後に1年かかって現在地まで引っ張ってきた」ということであった。

若干位置が違うようだし、又建物も回転しているように思えたが、上記のご連絡で氷解した。ご連絡に御礼申し上げる。

コメント (1)
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