津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■じゃごべえ、その後

2020-03-23 14:50:11 | 徒然

 先に「じゃごべえ」を書いたら即悪友が反応した。
「じゃごべえちゃー(とは)、熊本ん(の)人間のこつば(事を)言うとじゃなかつかい(のでは無いのかい)
彼が言わんとする処は、熊本は都(京都)や江戸からすると、最果ての地であり、熊本自体が「じゃごべえ(在地兵衛)」の地と見られていたのではないかという論である。
「当時の熊本ん人間のコンプレックスだろたい(だろう態)」という御高説である。
「薩摩のじごろう(地吾郎)も同じじゃなかつかね~(ないのだろうかね~)」とも宣う。
さてこれが正解かどうかは別として、貴重な説であるように思える。
「三齋公あたりまでは、自分な(は)京都人と思うとらしたっじゃなかつかい(思っていたのではないのか)
「熊本ん(の)侍はあっちこっちから都落ちんごて(の様に)集まっとるけんね。そぎゃん(そのような)人間からすっと(すると)熊本人は皆「じゃごべえ」たい」彼の結論である。

現役の頃の彼は仕事の関係で日本国中はもちろん、海外迄足を延ばしたビジネスマンだが、熊本に帰って来た。
標準語をしゃべっていたが熊本人特有の余り抑揚のないものだったが、最近はこのように熊本弁をよく使うようになった。

そのことを話すと、「本家帰りしたったい(したんだョ)。熊本弁でしゃべっと(しゃべると)裃ば脱いだごたる(様な)気持ちばい。」
これはよく理解できるがあまり公ではこんな具合で話は出来そうにない、友達同士だからできる会話である。
しかし「じゃごべえ」などという強烈な方言は死語となりつつあって、「熊本の方言一覧」の記録にのみ残されるのもそう遠いことではないかもしれない。

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■桜開花す

2020-03-23 13:09:14 | 熊本

          

           熊本も本日ようやく桜開花宣言となりました。ほとんどの木がこんな状態です。

           下の写真は、自衛隊西部総監部正門前の左四本目の桜で、これ一本だけ満開状態です。
           山桜でしょうか、毎年この桜の木だけ早咲き状態で楽しませてくれます。

          

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■じゃごべえ

2020-03-23 06:56:44 | 熊本

 熊本の方言に「じゃごべえ」というのがある。私ほどの年齢だとまだ理解ができるが、少し若い人にはわからないのではないか、死語に近い存在である。
昨日熊本は県知事選挙が行われたが、投票に向かう途中、出会った老夫婦の会話から聞こえてきた言葉で、なんだか半世紀ぶりに出会ったように思えた。
漢字をあてると「在郷兵衛」ざいごう→じゃごう→じゃごと変化したものだろうが、いかにも熊本弁の感がふかい。
熊本国府高校のサイトに「熊本弁一覧」があるが、メールでいろんな方言の報告があるらしいが、担当者は2007年にこれを知ったとされる。
上記サイトではこれを「蔑称」としているが、これは田舎ものを蔑した言葉であるから、案外武士階級が使っていたのではないかと私は考えるが如何だろうか。
人様に対してははばかられる言葉だが、自らを卑下して「私はじゃごべえ(田舎者)ですけん」ということもある。
藩政時代、城下に居住して生活が成り立たない侍は、許可を受けて知行地など田舎に移住して作物などを作り勝手むきを再建させている。これを「在宅」という。
定かではないが、こんなことも言葉の成り立ちに影響しているように思えるが如何だろうか。
熊本の方言は、元の言葉が極端に変化して音だけでは元の意味を察することができないことが多く見られる。

    (ちなみに県知事選挙は四選を目指した現職が、二度目の挑戦の元・熊本市長に勝利しました)

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■細川小倉藩(183)寛永三年・日帳(十二月廿七日)

2020-03-23 06:44:31 | 細川家譜

               (寛永三年十ニ月)廿七日

         |       
         |    廿七日 甚左衛門
         | 
惣奉行請書    |      覚

         |  (朱書)
         |  「松井  生田   森    深沢」
松井小吉等知行物 |一、少吉・又介・長介・百介此四人之衆、当地ニ親類縁者無之ニ付、知行物成御蔵ニ納置、面々用
成ヲ御蔵ニ納メ加 |  所在之時ハ、誰ニ而も奉人加判を以可相渡旨、奉得其意候事、
判ヲ以テ引出ス  |
江戸ニテ銀子ノ引 |一、江戸ニ而用所在之時ハ、御銀子被成御引替、重而可遂御算用旨、奉得其意候事、
替        |
         |    (党)
若党小者以下ノ給 |一、若堂・小者已下給分いかほと遣候迄、念を入可申旨、奉得其意候事
分念ヲ入ル    |
         |    以上
         |       寛三                      (浅山)
         |         十二月廿七日                清右衛門
         |                                (田中氏次)
         |           (郎脱)                   與左衛門
         |         湯浅五兵衛殿
         |
         |   (沢村吉重) (盛方院、吉田浄元)                                                                                                      (親英)
書状等請取    |一、大学所へせいほういん内と有之、京ゟ下ルかミ包壱つ、幷仁保太兵衛ゟノ書状一つ、慥うけ

         |  取申候、以上
         |                           沢村大学内
         |                             曽山十左衛門尉(花押)
         
         |一、御船頭田辺長介罷下候事、
         |   (衛友)    (長泰)
         |一、谷出羽様・平野遠江様ゟ御返事、
         |  (東福門院)                           (烏丸光広)
高仁親王     |一、中宮様御誕生■■御祝儀、去十九日ニあかり、権大納言殿ゟノ御文、幷御進物ノ目録・寺嶋平兵
         |  衛言上ノ状、又知首座ゟノ状、何も三宅勘三郎を以上ヶ申候事
         |  (京都)                                                      (星出)   (河部)
蔵奉行蔵子ノ借物 |一、ミやこ・中津郡ゟ御蔵奉行衆幷蔵子共ゟかり物・預り物無之との書付弐つ共ニ、市左衛門・加兵  
預物調      |  衛ニ渡候事
         |

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