津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■熊本城宇土櫓、解体再建へ

2020-03-27 17:23:38 | 熊本

                      

 熊本地震からそろそろ4年になろうとする中、昨日、被災した熊本城の国重要文化財で、唯一木造で建造以来の姿を残す宇土櫓が、全て解体した上で復旧する方針が発表された。1927年以来の解体修理工事となる。

 熊本市によると、宇土櫓は地震による倒壊は免れたものの、基礎や柱の破損が地階と1階に集中して42カ所ある。柱の傾斜も各階で見られ、1階は東側に、4・5階は北側に傾き、全体が変形しているという。石垣も一部が変形しており、復旧方法を検討中だという。
このため櫓の解体着手時期は未定だそうだが。「全ての解体を見据えて進める方針」としている。
こちらは、完成を見ることができるだろうか、長生きをしなければならない。

 4月29日からは熊本城特別公開の第二段として見学通路が開通する。なんとかコロナ騒ぎにも終息の兆しを期待したいものだ。

 

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■桜に雨

2020-03-27 10:17:37 | 熊本

 桜の開花宣言以来、20度を超える気温が続いて桜は一気に開き始めた。
今日は一日雨模様のようだが、一瞬の晴れ間をぬって散歩に出た。桜は三分咲きくらいだろうか。
途中から小雨が降り出したが、膝が痛くて駆け出すことが出来ず、20分程ウインドブレーカーを頭からかぶって帰宅する。
一週間ほどはぐずついた天気が続くようだが、日曜日はその合間を縫っての好天らしい。人出はどうだろうか?
満開の頃には交通規制がかけられて、約7~800m花見客で賑やうのだが、今年は木々に宴会などの自粛を要請する看板が掲げられている。
当然道路規制もないのだろう。
熊本で一昨日コロナ感染者がでたが、又、東区のホテル宿泊者だった。熊本市内の感染者はすべて東区、用心に越したことはない。
誰もいない道を散歩花見で過ごすことになる。

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■山名重澄和歌幅

2020-03-27 08:25:51 | オークション

                 【模写】 山名重澄 和歌幅 十左衛門 肥後細川家 家老

              

 幽齋の実家三淵家(熊本)の四代目「十左衛門重澄」の和歌幅(写)である。

           +---三渕藤英---+--秋豪===藤利----+---尚正・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→徳川家臣・三淵家
          |       |           |
          |       |           +---藤正---氏正・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・郡 家    
          |       +--光行             
          |               
           +---細川幽齋-----忠興------忠利------光尚------綱利                               
          |                                 1                2                 3
           +---山名伊賀守好重-----重政-----之直---+---之政
                             |    4
                             +---重澄・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・三淵家

 三淵家が山名姓であったのは、家祖好重が母方の名跡を継いだことによる。生母は山名民部少輔一雲斎女とされる。
この家は長岡姓を給わってこれを名乗っているが、本姓は山名氏のまゝであったようだ。三淵を名乗り始めたのが何時からなのかは承知していない。
さてこの十左衛門、従兄弟である前川勘右衛門の婚約問題から起こった騒動では、柳川領北関まで藤田一族を追いかけて是を討ち果たした豪の者でもある。
北の関事件として有名である。
綱利に認められ家老になり、当主の座にしがみつく晩年の綱利に諫言して隠居させたのも又この十左衛門である。文武兼備の士であったようだ。

        

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■細川小倉藩(187)寛永四年・日帳(正月四日)

2020-03-27 06:54:40 | 細川小倉藩

               (寛永四年正月)四日

         |       
         |   四日  少右衛門
         |       〃〃〃〃
         |
         |一、中川内膳殿へ之 御文箱、幷式ア少輔殿ゟ中川かゝ殿へ之状一通、友田二郎兵衛与梶原喜左衛門・
         |               (へ脱)
         |  佐分利作左衛門与柿本長助両人相渡候事、
         |一、毛利伊勢守殿へ之 御文箱一つ、竹内吉兵衛与坂本九左衛門・寺尾左介与木村角介ニ相渡候事、
         |                                 (加々山可政)
小笠原忠真使者へ |一、小笠原右近様ゟ之御使者荒尾儀太夫ニ、御小袖一つ幷御樽二つ被遣候、加主馬持参被申候事、
給与ノ品     |
中津城年賀ノ能興 |一、中津へ来ル十五六日之比、年頭之御礼ニ被成御座候ニ、御能見物可仕と存候者ハ、中津近辺之衆
行ニ見物ノ触   |  まて罷出可申旨、式ア少輔殿奉り二而、被 仰触候事、
         |
         |   〇丁替、異筆
         |
         |        (趾)
間紹甫船交趾渡海 |一、間紹甫船交路へ渡唐仕ニ付、御銀子拾貫目かし被遣候、則証文之切手ハ、松本彦進・豊岡甚丞方
ニ貸銀      |  へ遣置候也、
         |一、三斎様為 御意、長舟十右衛門方ゟ被申越候ハ、来ル十二日・三日両日之間ニ御能可被成候間、
         |  其時分不被為御障候ハヽ、被成御座候様ニと、被仰越候刻、則申上候処ニ、十一日二中津へ御着
         |  可被成旨 御意ニ付、其旨御返事申入候事、     〃
         |一、中津御侍衆明後六日ニ被成御越候付、七日ニ御礼申上候様ニ、可被進之旨、 三斎様御意之由、
         |  (長舟)   (貴田政時)  
         |  十右衛門・権内方ゟ被申越候間、則申上候処ニ、御心得被成との 御意ニ付、其旨御返事申し入
         |  候事、
         |                                           ニ付、
         |一、樋口淡路、せかれ主水見舞之由候て、今日白井兵助・鏡善右衛門所へ参之申由、兵助登城仕ニて、
         |                                           〃
         |                                       
         |  左候ハヽ、川口も自由ニ御座候間、人を付置可申旨、被 仰付候事、主水ハ■■〇賀殿ニ奉公仕
         |  居申候由申候事、                           (三淵重好)
         |
         |   〇丁替、異筆
         |
唐人ハ明寰借銀ヲ |一、明寰所へ参候唐人ニ、御銀子六百目、明寰借銀を取替被下候由、道倫奉り二て被 仰出候事、
取替ウ      |                           
               

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