津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■智照院殿

2016-02-19 11:12:02 | 歴史

 これは細川家の菩提寺・妙解寺の総絵図である。左下の表示部分に、かっては図示のごとく「智照院」があった。
智照院とは細川光尚の異母弟・尚房の謚名である(智照院月江義心)。この場所は平成18年、九州新幹線の計画に伴う道路の位置変更の計画に伴い、尚房一族のお墓(上部)の発掘調査が行われた。当時の新聞は尚房よりも生母である永壽院のお墓の方が立派で、側室の立場が重んじられたと報じ、尚房の死に当たっては藩内での立場を表すようにお墓が貧弱であると報じている。大名一族のお墓の発掘調査は珍しく、その成果は「智照院細川家墓地 花岡山・万日山遺跡群第1次調査区発掘調査報告書」としてまとめられている。

尚房は光尚の18歳年下の弟である。光尚の死に当たってはその遺領の国替案・二分割案・三分割案などが取り沙汰された。
その三分割案に登場したのがこの尚房である。老中酒井讃岐守の強力なリードによって二分割案が進められていたようだが、宇土藩主の丹後守が諫言の為に江戸に赴いた家老を殺害したとされ、これが二分割案の頓挫に繋がったのではないかと私は考えている。
同時に三分割案や国替案も消滅したのではないか・・・・
尚房は寛文五年新知二万石を給されている。尚房28歳、新藩主綱利は24歳であった。
尚房室は肥後国の存続の為に死をかけて奔走した松井寄之の女・万であり、その子尚方も20歳で亡くなり一族は断絶した。
報告書に詳しく記載された記事の一つ一つが、なんとも哀れをさそう。
今は墓地も妙解寺内の別の場所に移設されているが、この智照院の場所に何らかの説明板など設置すべきだろうという方が居られる。
もっともの事と考えるのだが・・・・・
 

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■御恵贈御礼・THE RAIBOW ACROSS THE BOUNDARIES

2016-02-19 09:32:00 | 書籍・読書

 著者はわが熊本史談会の会員でもある、出井ヤスコ氏である。今般このような立派な著書「境界に架ける虹」の刊行に当たりご恵贈たまわった。
厚くお礼申し上げると共に、深く敬意を表したい。
氏はお茶の水女子大・英文科を出られた後、地元高校の教師を20余年勤められ、その後尚絧大学講師に転じられた。定年前に退職されると英文学研究の為に米国モンタナ州立大学に進まれて、「ネイティブ文学」の研究につとめられた。まさに情熱にあふれての行動であったようだ。
その成果は、アメリカ先住民の歴史や文学に深い憧憬と理解をもってこの著書の上梓に至っておられる。
わが史談会でも平成25年7月の例会において、お話をお聞きした事があった。史談会に会員として在籍いただいている事をありがたく思う。
 

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