津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■綱利公の後継争いの結果?

2016-02-09 08:35:02 | 歴史

 以前ご紹介した 細川右京(内膳)家資料集 に、お身内のみが承知しておられたと思われる記事がある。
それは、細川内膳家四代の忠重が藩主・綱利の後継争いに敗れ、綱利により隠居を強要されたとするものである。(31歳)
その後、次の藩主となった宣記(綱利弟・利重二男)により「押籠め」の処分がなされたという。61歳で亡くなったが内膳家の墓所(瑞巌寺)に埋葬する事も許されず、久本寺が墓所となった。又瑞巌寺にすでに埋葬されていた生母や奥方も改葬が指示され久本寺に移されたとされる。
正式には表に出ない秘事を、あえて著者の菅(細川)芳生氏は内膳家の資料から明らかにされた。

菅氏は綱利公の後継者として忠重を推す勢力があり、後継争いがあったとされる。
そのことがもたらした結果として、隠居・押籠・内膳家墓地への埋葬の不許可に至ったものだと結論づけをされている。

平成二十年八月瑞巌寺跡の内膳家墓地は改装され、忠重夫妻と生母のお墓は久本寺から移された。
歴史の表に出てこない隠された真実は背筋をぞっとさせるものがある。

                                    

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