扨義有御盃を戴かれ候所を忠興君抜打に肩先より側腹かけて斬給ひ、主殿介方ニ御向ひ被成候ヘハ、主殿逃出候を中路市之允 後次郎左
衛門 又周防 討留候、義有ハ銀の打鮫の中脇差を少抜かけなから次の椽にどうと倒れ、袈裟分れしなり
義有の前に三方有しに御心を付給ふ故、少掛りしかと後に被仰候
一書、天返の灯かけから中りたるものにて有へし、前か六七寸程かゝりしにと有
一説、俱の士両人にて引立、屋敷之外迄出ける時、倒れて袈裟分れし也、大きれものにて吸付て如此と云々
一書、日置主殿ハ次の間より斬て入、又一書、主殿は忠興君に志を通し逃失たりと、然れとも中路討とめたる事実説也、主殿か子
後に忠興君御扶助被成、中路を敵と思ふへからすと被仰、中路も懇に云ける由也、其子孫熊本に居すと云々、再考
供の士此旨を聞て斬込んとするを、仕手の面々はや広間に出て切立候、敵もかひ/\しく働候得共、此方の勇士等思ひ/\に切臥る、中
にも半弓を以彼是ニ手を負する敵あり、的場甚右衛門立向て討留候、山本三四郎 後三郎右衛門正俱、法名宗覚 ・可児清左衛門等同時に敵を切
倒す、米田宗堅も敵三人を切、各眉間を割けるに頤まて二になる 此刀を三ツ頭と号す、秘蔵せしなり、後於京都忠隆君へ差上、今以伝来 敵方ニ芦屋金八郎・
金川与蔵と云者強く働き候をも取こめて討取る、宮部市左衛門 田辺之所に詳ニ出 も能働き、嶋庄右衛門ハ誤て味方討に合候、忠興君も庭ニ御
出御下知候処ニ日置主殿か弟小左衛門と外ニ壱人、三尺の鍔なしの刀にて忠興君を目掛て切てかゝる、丸山左馬助長刀をはしらかし、丸
山左馬介是ニ有と云てじたんたをふミたり 此勢にて弐人か切込さりにしや、名誉の男也と後ニ被仰候、三淵大和守殿ニつきて廻り候用人なりと云 、忠興君刀にて御
働被成候を見て、山本三四郎代々持伝たる長刀を、是をと申て御手の下より差出す 一ニ入江平内、又御小坊主 、両人之者三間馬屋へ走り込、繋
柱を楯に取る、忠興君右の長刀にて御せり合候か、つゝと入て御払ひ候ヘハ、小左衛門腕両方共に切られよろ/\と致し候を御かけ被成候
に、能大夫の面を落したる様ニ顔そけ候 面の薙刀と御名付御秘蔵被成候 其内に広間仕廻者どつと押入、今壱人ハ取込て討取候、
一書、忠興君最早残る者ハなきかと宣ふ、御声を聞て、小左衛門厩の内より飛出切て掛るを、忠興君ひらひて長刀にてかけ給ふと
云々、又一書にハ、小左衛門ハ丸山とつよく戦ひ候を取込て討取り、忠興君は広庭に出、大勢を追靡討取給ふニ、馬屋の前ニ弐人
の兵左右より切てかゝるを、長刀にて両手を払ひ落し、面をかけ給ふと云々、又一書、御傍ニ被召仕候坊主御長刀を持、庭へ飛下申
候、就夫弐人共ニ馬屋ニ入、繋柱を楯ニ取、御せり合被成候と云々
八木田新右衛門ハ御勝手ニ御用有之罷在、御討果候音を聞、御次より蒐出候ヘハ、一色の供に参たる小坊主を宗堅とらへ、新右衛門に渡、
此者殺し申間敷旨ニ付搦置候而相働疵を被る、一色の勇士牧忠左衛門 一ニ家老 は梶平七郎 一ニ梶平七 を討て立退候所を、沢村才八走り掛
て切伏る、森孫六郎 一ニ孫一 と云者柴垣の後ロに隠れてとをる者に手を負せ、中路市之允をもきる所を見かへりて孫六を討取り、左の眉の上
に疵を蒙候、忠興君御覧なされ、市之允切れたかと被仰候に夫迄覚さりし也、御手つから頭を結ひ、深手也、働へからすと被仰候 吉田に居る主
殿娘小少将か、夫からおれか小鬢を切とつたと後ニ申せしなり 敵討洩されたる者、城下より町に出る橋を越て逃行を押続て追かくる、大手の門外にひかへし
一色の雑兵、主人の死を聞て城中に込入んとする折節、逃るを追て切て出る味方の兵に橋向より持弓之者共弓鉄炮つるへ掛ける故、各橋
を渡り兼る処、的場甚右衛門鑓提けて搦手の門より出、町の方より廻り、弓射る者を突伏る、此勢ひに乗て討て出、こと/\く追ちらし也