津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

家臣への贈り物

2012-08-23 08:31:16 | 史料

 細川家の肥後入国に関する沢山のお祝いに関する返書を見ると、何とも微笑ましい書状がある。
藩主に対するとともに、家臣にも祝いの品が贈られており、これに対する忠利の率直な考えが反映されている。

    寛永十年二月十六日相良長毎宛書状(2039)とその追而書(2040)を見る。

     (2039)    肥後國へ罷越候付而被差越御使者御状 令拝見候 仍為御祝儀
              御太刀一腰・馬代銀拾枚并白柄百本・漆五桶拾貫目 御在所之物
              之由候而被懸御意 忝存候 貴様之儀御在江戸之處 遙々如此之
              段 難申盡候 猶御使者へ申入候 恐惶謹言
                   二月十六日
                    
                   相良左兵衛佐様
                             御報
 
     (2040)    追而申入候 我等内長岡佐渡守・有吉頼母佐・長岡監物・かゝ山
              主馬・筑紫大膳・筑紫左近かた迄も御太刀・馬代被遣候由 申聞
              候 忝存候 為御禮如此候 恐惶謹言
                   二月十六日

                   相良左兵衛佐様
                             人々御中

                 尚々 私へ御使なと被下候さへ御座候ニ 下々迄か様ニ御座
                 候ヘハ 他國へ之聞えも如何と 何も御理申入儀ニ御座候
                 以上 

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一方昵懇の間柄である浅野長直からの書状 (2049)に於いても、家臣に対する祝儀について触れている。

              肥後國拝領仕為御祝儀遠路三左衛門被下 御太刀一腰・馬代黄
              金壹枚・蝋虎鞍覆被懸御意 忝存候 并貴様御継目之為御祝儀
              御太刀・馬代金子壹枚被送被下候 是又過分至候 目出度祝存候
                    辰珍        波多     可政        友好
              次 津川四郎右衛門・中庵・かゝ山主馬・澤村宇右衛門ニ御小袖一
              重宛被遣候 何もへハ御理申入候へ共 貴様之儀は各別ニ而御座
              候間 拝領仕候へと申付候 寄思召忝存候 猶御使へ申候
              恐惶謹言
                    二月廿五日

                    浅野内匠様 

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相良家との付き合いは同じ九州の大名であるが、特段親しい間柄でもない。それ故、家臣への祝儀は受け取れないという訳だが、その理は言を尽くしている。
一方浅野家との付き合いはまさに格別なものがあり、こちらは有り難く頂戴するとしている。
このあたりの機微がなかなか面白い。 

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進士作左衛門宛て書状

2012-08-23 08:30:39 | 史料

7月23日のブログで 進士作左衛門  を書いた。

日本近世史料・細川家史料に、その作左衛門に宛てた忠利の書状を見つけた。忠利と作左衛門は沼田家の家系を通じて再従弟の関係にある。
しかしながら、作左衛門については詳しいことが判らないでいる。細川家史料による人名索引によっても「未詳」とある。

     寛永十年二月十六日書状(2037)は、前年の細川家肥後拝領の祝儀に関する礼状である。

             就肥後國拝領申遥々被差越飛脚 殊祝儀と候て手綱十筋并かすの子
                                             大音主馬首
             一折送給候 御志之程別而祝著申候 貴殿煩之由 大主より申来候 如
             何御入候哉 無心元存候 爰元之儀 事之外見事成大國拝領申 忝仕合
                                                吉重     元五
             申も疎之儀候 頓而有付可申候間 可御心安候 尚澤村大學・志水伯耆
             申入候 恐々謹言
                  二月十六日

                  進士作左衛門殿
                           御返報


 作左衛門の煩を伝えた大音主馬首に対しても、同日日付の書状(2038)がある。
こちらも肥後入国祝儀の使者に対する礼状である。伊賀焼の水指その他を贈られて喜んでいる。
なおこの書状の尚々書には「我等事 目少悪候而 為養生以他筆申入候」と、自筆でないことを断わっている。
この人物を通し作左衛門の情報が得られないかと考えている。(加賀前田家臣・大音氏)

この年の正月四日から二月いっぱいに掛け、三齋や御六などを除き175通もの書状が発せられている。
「肥後拝領御慶」「御歳暮」「江戸上屋敷火事見舞」などに対する返書で、忠利は多忙を極めている。目が悪くなるのも納得である。 

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