津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

Webでみる安政の大地震-1

2011-03-23 19:50:00 | 徒然

先の安政の大地震に関するブログを御覧いただき、埼玉県にお住まいの荒木村重のご子孫Dr.A様からメールを頂戴した。かって静岡の蒲原の病院にお勤めで、興味深くお読みいただいたという。そして是に関するコメントやWebをご紹介いただいた。(感謝)

【富士近辺の地震の被害については、『東海道筋大地震大津波大出火』に、「よし原丸やけ 不二川(ふじがわ)水無之歩行成」、また、『東海道地震津波末代噺(はなし)種』には、「富士川 大ぢしんにて川上の山くずれてせき留し故渡し場水なく川原と茂る往来の人歩行(かち)わたり」と書かれています。吉原が火事により丸焼けのような被害を受けたことや駿河トラフに沿う富士川の上流の芝川町の白鳥山(しらとりやま)が崩れて川をせき留めて、富士川を歩いて渡ることができた様子がうかがえます。断層に沿った富士川の西側の蒲原町東蒲原付近では土地が隆起し、「蒲原地震山」とよばれる山が出現したそうです。この地震山について、蒲原の『渡辺利左衛門守亮(もりあき) 嘉永寅年日記』には、「この地震により富士川の西岸が三丈程隆起し富士川の流れが大きく変わり、蒲原側は洪水災害を免れるようになった」ことや、蒲原の人たちはこの地震により恵みを受けたので、「地震さん、地震さん、またおいで」という歌もうたわれたそうです。】

 そしてご紹介いただいたサイトは、ディアナ号が、下田に来航し、第一回目の交渉が行われた翌日(11/4日)に大地震がおきた時の様子である。
    http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00561/contents/0008.htm

 その11月4日荒木慶右衛門の一行は亀山で地震に遭遇している。Webを探して当時の様子を追ってみようと思いついた。(私が得意とするところの他力本願です)

 11/4 亀山→郡山→桑名
    www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=94
    http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kouhou/tektek/000330.html
      
 11/5 名古屋
    http://www.agu.ac.jp/news/file/lib070821.pdf#search='名古屋 安政の大地震'

                            (続く)    
   

   

コメント
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