津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

古地図とめぐる東京歴史探訪

2011-03-07 23:17:02 | 書籍・読書
         古地図とめぐる東京歴史探訪 (ソフトバンク新書)
 
                   ソフトバンククリエイティブ

       「切絵図・現代図であるく 江戸東京散歩」はいつもデスク近くにあります。
   時にはGoogle Earthなどを駆使しての散歩も楽しいものです。
   又はまってしまいそうです。

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啓蟄や・・・

2011-03-07 14:46:48 | 俳句

                  啓蟄や出るに思案の雨となり

                  為書きの墨書も添えてひなかざり

                  迷い道思案の先や沈丁香

                  崩し字の解ひらめきて春の温

                  古絵図の目当ての寺の辛夷かな

 

                  

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細川幽齋・忠興--加藤重徳--郡宗保の関係

2011-03-07 09:14:01 | 歴史

 荒木村重の有岡城に幽閉された黒田如水に、牢番を勤めた加藤重徳は温情をもって接している。後開放された如水はその恩に報いるべく、重徳の二男を養子(黒田一成)とした。
この加藤重徳の妹が細川幽齋の側室であるとする系図が残されている。(九州大学所蔵 筑前黒田藩・大老-美奈木黒田家系図 )

 一方細川忠興の側室・松之丸の父・郡宗保の妹が、先の加藤宗保に嫁いでいる。
加藤一成と長兄吉成、又黒田蔵人に嫁ぐ妹等の生母である。松之丸とはいとこの間柄である。

 加藤重徳と郡宗保は共に伊丹氏であり、重徳が二代、宗保が三代遡ると共通の祖・伊丹大和守雅盛につながっている。

 忠興は重徳の娘婿・黒田蔵人を召抱えているが、その際黒田長政と争うように異常な熱意でこれを召し出している。
        http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/05787a95508ea34550c379921bbf7baa
よくよく考えると義理の仲ながら、従兄弟ということになる。

                      +--- 吉成
      +------加藤重徳    |   黒田如水養子
      |       ∥--------+--- 一成(筑前黒田藩・大老-美奈木黒田家)
      |  +----●      |
      |  |            +------●
      |  |                 ∥
      |  |               黒田蔵人(細川家家臣)
      |  |
      |  |               松井興長
      |  +---郡宗保---松之丸      ∥=====寄之
      |               ∥-------古保    ↑
      |   麝香(光壽院)  ∥
      |     ∥-------忠興---+--忠利
      |   細川藤孝         |        ↑
      |     ∥            +---------寄之
      +------●(大法院日周)

 私は忠興と側室・松之丸(藤)の出会いが、どのようなものであったのかを興味深く考えてきた。今般の美奈木黒田家の系図にある、藤孝側室・大宝院が加藤重徳妹であることを考えると、細川--郡--加藤の関係や黒田蔵人召しだしに関する事情が、ほんのりと見えてくるように思われる。

(以前細川忠興と郡宗保・加藤重徳に関する略系図「郡宗保の枝葉-筑前黒田藩 2009/12/02」をUPしていたが、幽齋の側室と思われると加藤重徳の妹の存在を知り、再度略系図の作成を試みた。GOOブログではプレビューが別画面表示になったため作業は困難を極める。ちょっと込み入ったものは今後は無理かもしれないと感じている。)

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