津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

護貞さま

2005-10-04 20:55:34 | 徒然
 司馬遼太郎は、その著作「春燈雑記」の中で「護貞氏の話・肥後細川家のことども」という一文を著している。
  「護貞氏は軀幹まことに長大である。温容ではあるが、容貌の特徴は、刃で
   するどく切れを入れたような一皮の上瞼にあるといっていい」と書き
  「凄気があり、・・・どこか豊織期の人を思わせる」とも記している。

 第二次大戦末期「中大兄皇子」の故事になぞらえての、高松宮との「東條暗殺」の話などは、その「凄気」の故であろうか。それより少し前、昭和17年私は細川公爵家のお長屋(職員住宅?)で生を受けた。19年祖父母、父と相次いで亡くなり、一家を挙げて帰郷することになる。わが家に身の丈ニ寸五分の、小さな木彫の薬師如来像があるが、細川家から頂戴したものである。この時期だったのだろうか。護貞様が「師」と仰がれた狩野君山も、わが家の行く末を心配してくれた。昭和22年没、わが祖母の叔父である。わが心の細川家は、終戦をもって終わっている。





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