「自分の感受性くらい」
ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠(おこた)っておいて
気難(きむず)かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立(いらだ)つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたし
初心(しょしん)消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志(こころざし)に
すぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄(ほうき)
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子さんの詩の代表作のひとつである。
一語一語心にぐさっと刺さるので、あえて
全部を掲載させてもらった。
必要があって茨木さんの著書をすべて読んでいる。
これは茨木さん50歳のときの詩。
同じく彼女の詩に「わたしが一番きれいだったとき」
というのがあるが、
「自分の感受性くらい」もまた、戦時中の青春時代
を思い出して書かれたものである。
パーマ禁止、きれいな着物もいけない、云いたいこと
も云えない中、なぜ美しいものを求め、思ったことを
口にしてはいけないのだろう、と思っていたと語って
いる。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、自分の感性を
信じていいのじゃないか。へんなものはへん、と。
自分の感性こそ、生きる軸になるのだと茨木さんは
思ったという。
私は詩の終連の
「自分の感性こそ 自分で守れ ばかものよ」
を読むたびに、自分のことを云われているような気が
して頭をかかえていたが、
これはご自分へ投げかける言葉だったのだ。
しかし、それにしても、
日々ばさばさと乾いてゆく私自身の、あるかなきかの
感性を何とかしなくちゃ。
この詩を読むたび、私のこころも深く揺さぶられる。
※ 私の部屋の窓から見える隣家の野ばら