一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

「長い散歩」--他人ごとなら分かる

2012-01-09 20:47:47 | 芸術



     「長い散歩」 A long walk
     
     母親に虐待されつづけて心を閉ざしてしま
     った少女(5歳)と、妻への贖罪の念を背
     負った初老の男性。
     男は少女を旅に連れ出す。
     「おじいちゃんといっしょに行くか。
      青い空を見に行こう」
     そこは昔、家族と行った山の頂、彼にとっ
     てのユートピアなのであった。
     
     白い雲がぽっかりと浮かび、鳥が大空をの
     びやかに舞っているという、男の遠い記憶
     にある山の頂。
     果たして2人は旅の終点のユートピアに行き
     着けるか?

     途中から、バックパッカーの青年ワタルが
     旅に加わる。
     ワタルもまた、深く心を病む青年だった。
     ワタルが合流したことにより、次第にうち
     とけ、笑顔も見せるようになった少女……

       ☆  ☆  ☆  ☆
    
     ~とまあ、ストーリーを追っていくとキリ
     がないのだが、途中からふと気付いた。
     私は映画を観にいきながら、
     映像を見るのではなく、
     「作品」として視ているのだと。
     
     この場合の作品とは「活字の作品」のこと。
     どうにも気になって仕方がなかったのは
     そのせいだったのだ。

     例えば、ワタルが突如いなくなったと思っ
     たら、山の湖の前で銃で頭を貫いて自殺し
     てしまうのだが、
     追いかけていった主人公の男がその場を
     目撃して嘆く場面ーー

     「△●■△○~」
    
     男が地面をたたきながら阿鼻叫喚の叫び声
     を上げる。
     それだけけで充分ではなかったか。
     (むしろその方が感情が伝わる)
     なのに、映画では緒形拳に喋らせ過ぎていた。

     20歳そこそこの行きずりの青年(ワタル)が
     自殺したことの哀しさ、悔しさ、衝撃……
     等は映像なのだから、緒形の演技であらわ
     すべきだったのではないかと思うのだが。
     或いは、監督としての別の意図があるのだと
     したら、聞いてみたい。

     そこでワタルが自殺した理由まで主人公に
     語らせたら、艶消しではないのか。
     他にも2か所ほど余分というか蛇足と思う
     ところがあって、気になって仕方がなかっ
     た。

     すでに私は自分のことを語っているのである。
     日ごろ私が陥りがちで、尚かつ、よくやる
     ミス。
     つい説明し過ぎてしまうのである。
     その場の情景、会話であらわすべきなのに。

     実は暮れから悩んでいて、原稿がちっとも
     進まなかったのはそのことだったのだ。
     それは、自分の未熟さ、非才のせいでも
     あるのだが……。

     かくして、このブログのタイトルは最初
     から
     「他人(ひと)ごとなら分かる!」で 
     よかったのだ。
     副題「自分のことは分からない」として。


     
     
     

     
  
         
     
 
     

長い散歩

2012-01-07 21:02:21 | 芸術


     暮れに川喜多映画記念館(鎌倉・雪の下)
     で映画を観た。
     今回はそのことについて話そうと思う。

     映画名「長い散歩」
     監督・奥田瑛二
     キャスト・緒形 拳/高岡早紀/松田翔太
         /杉浦花菜(子役)ほか

     <あらすじ>
     定年まで高校の校長をつとめた松太郎(緒
     形)は、妻をアルコール依存症で亡くし、
     ひとり娘とも絶縁状態。
     今となっては遅いが、彼は家庭を顧みなか
     った過去を後悔し、家を娘にゆずって、ひ
     とり家を出て安アパートで暮らしはじめた。

     ふと、隣室の女(高岡早紀)が幼い娘(5歳) 
     を虐待していることに気づく。
     ある日、松太郎はついに惨状を見かね、
     少女をアパートから連れだして、旅に出る。     
     
     つまり、松太郎は贖罪の念から少女に救い  
     の手を差し伸べるのだが、いつしか彼自身
     が少女に救われていることに気づく。

     やがてバックパッカーの青年ワタルが加わ
     る。ワタルもまた、心に闇をかかえた青年
     なのだった。
     そして………………。

        ☆ ☆ ☆ ☆ 
     家に帰ってから気づいたのだが、この映画は
     (第30回)モントリオール世界映画祭グラ
     ンプリ、国際批評家連盟賞、エキュメニック
     賞の3冠王に輝いた作品だった。

     企画はいいし、全体的に嫌味のない作品。
     それに緒形拳、高岡早紀といったベテラン
     俳優にくわえ、何よりオーディションで多
     数の応募者の中から選ばれたという子役
     が光っていた。

     しかし、私の感想は別のところにあった。
     あまり映画を観るとはいえないし、映画に
     詳しいわけではない。
     だからというか、無知ゆえに思うところが
     あって、そのことについて次回に触れて
     みたい。
 

          

少女像

2011-04-02 20:02:44 | 芸術


     このところあれこれ考えてブログ更新にも
     間があいてしまった。

     4月に入ってTVの放送も普通にもどり、
     遠隔地では日常生活も通常とはいえないけれど、
     やや平静さを取り戻しつつある。
     だが被災地では何も解決せず、むしろ悲惨な状
     況がより現実となって、問題は一層深刻なもの
     となってきている。

     今頃になって、いや今頃だからこそ、兄弟の遺体
     を火葬してしてきたとか、家族が行方不明だとか
     といった話がそちこちから聞こえてくる。
     いくらかでも光明がみたくてTVの荒廃した映像
     はもう分かった、それより一刻でも早い復興を!
     と思ってやまなかったが、現実はそんな甘いもの
     ではないことを思い知らされたのがこちらの現状
     なのだ。
   
     そんな折、彫刻家の佐藤忠良氏の訃報を聞いた。
     (3月30日、98歳)

     佐藤忠良氏といえば、なじみ深いのは「少女像」。
     美術展はもちろん、名だたる建築物や駅の構内な
     どでも見かけ、一目で氏の作品と分かった。
     当代一流の彫刻家、といったイメージしかなかっ
     たが、戦後はシベリア抑留などの経験をされて
     かなり苦労されたようだ。

     そのためか毎日芸術賞や朝日賞といった民間の賞
     は受けるが、文化勲章などは辞退したとも聞く。
     ここに気骨の人あり、という感じだ。

     そういえば一時(といってもかなり前だが)毎日
     のようにTVドラマにも出ていた女優の佐藤オリ
     エさんはその後どうされたのだろう。
     「彫刻家の佐藤忠良さんの娘さん」
     と聞くだけで、他の役者さんとは違う、毛並みの
     良さを感じたものだ。
     逆に、父親の忠良氏は少女像を創るときに、娘さ
     んの幼い頃を参考になどしたのであろうか……な
     どと考えたりしたのだった。

     (写真は横浜駅のそごう側、階段手まえにある
      佐藤忠良氏の「少女像」)     
     
          
     


     

     


     

はなびらのにがさ

2010-12-12 19:51:36 | 芸術


     谷川雁にこんな形で出会うとは思わなかった。
     晩年、雁さんは作曲家・新実徳英さんの曲に
     詞をつけ、それが「白いうた 青いうた」と
     いう合唱曲になっていることを知っていたけど。
     それが各地の合唱団で歌われていることも。

     今日は
     「新実徳英と谷川雁による21世紀への抒情歌
       白いうた 青いうた」フェスティバル
        於 鎌倉芸術館
     というのがあって行ってきた。
     いわば鎌倉に越してきて、はじめての地元での
     イベントだ。
     しかもこの鎌倉でのフェスティバルは今年で
     11回目だとか。

     小学生から中・高生~シルバー世代まで、素人
     からプロのソリストまで、出演者はさまざま
     だったが、雑多な気楽さがまた楽しかった。

     ある人によると谷川雁が作詞をするなんて、
     「革命詩人のいたずら」となるらしいが、
     きょう歌われたどれもこれも、いたずら
     なんていうもんじゃない。
     やはり谷川雁の詩だ、という印象をつよく
     した。
     そのうちの一つを紹介しておこう。
     (ことに十代の子どもたちにエネルギーを
      注いだ雁さんらしい詞を)
    
      はなびらのにがさを
      だれがしってるの
      ぴかぴかのとうだい
      はだしでのぼったよ 
      かぜをたべた
      からっぽになった
      わたしいま十四(じゅうし)
      うみよりあおい 
      はなびらのにがさを
      だれがしってるの
      だれが

          谷川雁 「十四歳」
  
      

批評家にはなれない

2009-11-17 20:11:34 | 芸術
    「箱根」 岸 宏士 絵

    本来なら「新制作展 10」となるのだが、
    あえてこんなタイトルに。
    10回にわたって続けてきた「新制作展」、
    最もいいたかったのはこれである。
    
    この展覧会でいちばん好きな絵。
    これまで掲載したのはすべて、これを載せる
    ための布石だったような気さえする。

    しかし、しかしである。
    なぜこの絵が好きなのか、うまくいえない。
    理路整然と自分の気持ちを表現できない
    もどかしさ。
    で、親に叱られた小学生みたいに好きな理由を
    あげてみた。

    全体のトーンをなす深緑というか、群青色とい
    った色調が好き。
    (光線のせいか、実物とちょっと色合いが違って
     写ってしまったが)
    視界をさえぎらない、のびやかな絵がいい。
    絵を見ていると自然に引き込まれ、自分がその
    尾根に立っている爽快さがある。
    さらにいうと、
    毎日見ていたい絵、毎日見ても飽きない絵である。

    ……と、言葉の貧しさに辟易していたら、十年以上
    も前に所属していた文学の同人誌時代を思い出した。
    作品を持ち寄って毎月、合評会をひらく。
    (取りあげられるのは先生の眼鏡にかなった一定の
    レベル以上のもの)
    私の苦手とするのは、順番に回ってきて自分の意見
    をいうことだった。
    作品の良し悪し(自分なりのものさしで)は分かる
    のだが、的確に表現できない。
    その同人誌には結局、3年ほどいたが、最後まで
    慣れなかった。    
    つくづく批評家(評論家)にはなれない、と思った。

    だから新聞雑誌などで、見事言いきっている文章
    に出会うと、う~とうなってしまう。
    好き嫌いは私の場合、感覚的、あるいは直観でしか
    なく、いまだに人を納得させることがいえないので
    ある。
    小説だけでなく、絵もしかりなのだ。  
 
    
    
    
 

    

新制作展 9

2009-11-11 21:26:34 | 芸術
  


    「少女像」

    残念ながら、正式な名前と作者名を失念した
    が、同種の少女像は7~8体(像?)あった。
    完全な「女」になる前の、若さと伸びやかな
    肢体をもった少女像は、やはり芸術家にとっ
    ては魅力的なのだろう。
    またそれは、裸体のデッサンと同じように
    避けて通れるものではないのかもしれない。

    こういった少女像をみると、川端康成の小説
    を思い出す。
    川端というと、いまやノーベル文学賞の方が
    有名だが、若い頃は少女小説も多数書いていた。

    「椿」は昭和24年に少女雑誌「ひまわり」に
    発表したものである。
    鈴子と文子の2人姉妹。妹の文子は養女だが、
    その事実を知った後も姉妹であることを続ける。

    「古都」は昭和36~37年にかけて朝日新聞
    に連載された。
    (ちょうど少女期にあった私は何だか訳が分か
    らないまま夢中で読んだ記憶がある)
    離れ離れに暮らす双子の姉妹、千恵子と苗子は
    偶然出会うが、千恵子の結婚が決まると苗子は
    身を引いていく。

    「椿」は若い読者対象で、「古都」は大人向け
    の小説だからでもあるが、こうしてみると、
    この二つの間には「少女」から「女」になって
    いく過程がみられる。
    ここにあるのは「異性の出現」だ。
    はからずも「椿」のなかで文子にこういわせて
    いる。
    (結婚するときは)「みんな捨ててゆく」
    家も家族も、そして少女であった自分もーー

    話をもどすと、美術展でこうした像を前に
    すると、これは「椿」の少女だろうか、
    「古都」の「女」だろうかと、一瞬考えて
    しまうのである。
    

    
    
   

新制作展 8

2009-11-10 07:53:04 | 芸術


    「子供の時間」(2枚組) 松木義三 絵

    体育館でよく見る風景。
    というよりか、子供たちが次々と倒立して傍らには
    雑談に興じる子たち(上の絵)の光景は体育館に出
    かけなくても容易に想像できる。
    体育館の(子供たちの声で騒がしい)喧噪や、
    ぼわ~んと反響して落ち着かない雰囲気まで伝わっ
    てきそうな絵である。
 
    こんな絵にならない光景を描く作者にも驚いたが、
    体育だけは「3」(自慢ではないが5段階で)
    以上をとったことのない学校時代を思いだして
    しまった。
    考えれば生涯最初のコンプレックス(というもの)
    を抱いたのは「体育」の時間ではなかったか。

    今思えば、徒競争も跳び箱も走る前に考えてしまう。
    それがいけなかった。
    (鉄棒や組み体操などはむしろ好きだったのだが)
    中学高校は女の子特有の身体つきになったことを
    理由にし、大学に入ってようやく解放されると思
    ったら、単位取得に体育があったことにはもう
    驚いた!!

    それも何とかくぐり抜け、大人になって気がつい
    たのは体を動かすことの爽快さである。
    すでに遅し!
    いまや倒立も跳び箱もやるチャンスもなく(気も
    ないが)、子供たちの見事なバランス感覚を羨ま
    しく見ているだけなのである。

    




    

新制作展 7

2009-11-05 18:05:06 | 芸術


    「二人でなら」 椎名良一 作

    思わず笑ってしまう像。
    作者は「二人でなら」の次に何をいいたいのだろう。
    
    「~生きられる」
    「~出来ないことも出来る」
    「~寂しくない」
    「~お茶がおいしい」

    口から出まかせにいっていたら、「二人でなら」に
    続くのは肯定の語であることに気づいた。
    これが「二人なら」となると、
    「喧嘩する」 
    「気まずくなる」
    「おもしろくない」
    と、どちらかというとネガティブな語がくるから
    不思議だ。

    むろん作者はポジティブであろうとネガティブで
    あろうと、後は観る者の想像にまかせているのだろう。
    でも、このユーモラスな像からは幸せな光景しか
    浮かばない。
    そして、かくいう私の肩の力もふっと抜けるのである。
    

新制作展 6

2009-10-31 12:56:29 | 芸術

     「風弱く霧雨」 渡辺久子 絵

    10月も終わろうというのに、まだ続いている
    展覧会の話。
    この絵の季節は春か、秋か。
    「霞」ではなく「霧雨」というからには秋で
    あろうか。
    そういえば、小春日和の晩秋の日と重なって
    みえなくもない。
    (タイトルに霧雨とついているのに)
    
    お天気がよくて健康状態も決して悪くはないのに
    物憂い気持ち。
    精神のどこかが病んでけだるい。
    用事があって出かければ、それなりに充実して
    帰ってくるのに、満たされない、わが放漫な心!
    ささいなことにこだわって先に進めない脆弱な
    神経!!

    カーテン越しに見る街路樹はすでに黄色がかって
    樹木の葉は落ちているのもある。
    陽光はまぶしい。
    カレンダーだけがこちらの気持ちにお構いなく、
    どんどん疾走してゆく。
    今頃の季節に毎年味わう、私の気持ちを代弁
    しているような絵。


    

新制作展 5

2009-10-22 18:11:47 | 芸術



     キッチンの詩 竹本義子 作

    このシリーズは昨年もあったのでみた途端、
    「あッ、この絵!」と思った。
    自由でのびのびとした絵で、昨年のはこの何やら
    お調子者そうなお母さんがピザの生地をのばして
    いる光景だった。

    今年はタコ!!
    何じゃこれは、と思いながら実に楽しい。
    この子供のあんまり可愛くない、悪ガキそうな
    のもいい。

    そして、設定がキッチンなら、素材は数限りなく
    あるだろう、と思った。
    魚介類だけでもイカあり、カニあり、貝や魚の
    種類だって面白くて「詩(うた)」になりそうな
    ものがもう……。
    野菜だってなかなかどうして自己主張するものが
    少なくないのである。
    (草食男子とかいって草や菜っ葉類は一般に軽く
     みられているが)
    
    かつて台所の主であった(現在は卒業)私として
    は、作者に並々ならぬ興味を抱いているのである。