以下は第七識に存在しない心所について説明します。(「下は無を顕すなり」(『述記』)
「棹挙無きことは、此と相違せるが故に」(『論』第四・三十四左)
(第七識に棹挙が存在しないのは、惛沈と相違するからである。)
「述して曰く、下は無を顕すなり。此の惛沈と性相違せるが故に。雙べて起すべからず。」(『述記』第五本・五十七左)
第二師(六遍染師)以外の第一師(五遍染師)・第三師(十遍染師)・第四師(八遍染師)は第七識と相応する心所に棹挙は存在すると説いていますが、この六遍染師は存在しないと主張しています。その理由をこの科段において述べています。惛沈が第七識に存在する以上、その性が反対である棹挙は存在しないのであると主張しています。
しかし、後(『論』第四・三十五右)に護法は棹挙が遍染の随煩悩ではないという主張を論破します。
その二は他の心所が第七識に存在しないのは、第一師及び第二師の説く通りである。
「余の心所無きことは上の如く知るべし。」(『論』第四・三十四右)
(他の心所が第七識に存在しないことは上の通り知るべきである。)
「上の如く」とは、第一師の説(10月6日の項)と五遍染師の説(10月18日の項)を指します。
「述して曰く、別境の欲と及び勝解との二と、及び染汚の中の邪欲と(邪)勝解と忿等の前の十二と並せて不定の四と無きことは、前の第一・第二師の説くが如し。互に有り無しとは此に略して之を説いて余は上に説けるが如く応に知るべしというなり。」(『述記』第五本・五十七左)
六遍染師は十九の心所が第七識と相応すると主張しています。そして第七識に存在しないとする棹挙を説き、それ以外の心所(別境の欲と及び勝解との二と、及び染汚の中の邪欲と(邪)勝解と忿等の前の十二と並せて不定の四)が第七識に存在しない理由については、第一師と五遍染師が説いた通りであると説明しています。