「依彼転」の示す意味を汎く説く。
「此の能変の識には、三の所依を具せりと雖も、而も依彼転という言は、但前の二を顕せり。」(『論』第四・二十六右)
(この第二能変の識、即ち第七識には三つの所依を備えているといっても、本頌の「依彼転」という言葉は、ただ前の二つのみを指し顕しているのである。)
「彼」 - 第八識を指す。
「彼依」 - 第八識と第八識中に保持された第七識の自種子に依って、ということ。
「依」 - この中第七識の自種子が第七識の因縁依、現行第八識が第七識の増上縁依(倶有依)である。
『論』の示す意味は「依彼転」の「依」は因縁依と増上縁依(倶有依)のみを指しているということであるという。
これまで「依」については等無間縁依を含め三つの依の説明がされていました。依全般に説明されていましたのでこれが「傍論」になるわけです。しかし、第七識の依は因縁依と増上縁依(倶有依)と等無間縁依の三つであるにも関わらず、「依彼転」の「依」は初めの二つのみを指しているのは何故かという質問が出されます。
「問、何が故にか唯だ彼の初の二依のみを説く。」(『述記』第五本・十九左)
「此の識の依と縁との同なることを顕さんが為の故なり。」(『論』第四・二十六左)
(それは、この識の依と縁とが同じであることを顕そうとするためである。)
「依彼転」の示す第七識の依は因縁依と増上縁依(倶有依)の二つのみであることの理由を説明しています。三つの理由が述べられる内、この科段は初の理由になります。
「述して曰く、此れに二の解有り。」(護法の解釈と安慧の解釈)
護法の説明は総聚を以て分別すべきものではないとし、二つの解釈がなされます。
- 第一の解釈 「依と縁とが同じである。」。依と縁と同じ因であることを顕す。(「縁」は因縁依・「依」は倶有依) 第七識の「縁」も「依」も同じ第八識であると。第七識の因縁依は種子識である第八識であり、種子を保持する第八識自体分は倶有依である為、「依と縁との同なることを顕さんが為の故」と説かれている。
- 第二の解釈 「種子は識の自体に離れざるが故に亦名づけて縁と為す。即ち是れ正義なり。」 「依」とは因縁依と倶有依の二つを指す。「縁」とは所縁と理解する。第七識の所縁が第八識の見分であることを指す。「依」も「縁」も総聚でいえば第八識であることを顕そうとしていることになる。
この第二釈が正義であるということは、後に第七識の所縁を説くところで、「第七識の所縁は第八識の見分である」という正義に依って云う。従って、前滅の第八識自識は第七識の所縁とはならないので、「第八識に依って」という「依」から等無間縁依が除かれるのである。
安慧の解釈は次回に譲ります。