唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 善の心所  第三の九・十・十一 三性・三界・三学分別門

2014-01-27 22:49:06 | 第三能変 善の心所 第三の九・十・十一

 第三の九 三性分別門

 「十一ながら唯だ善なり。」(『論』第六・十二左)

 第三の十 三界分別門

 「軽安は欲には非ず、余は三界に通ず。」(『論』第六・十二左)

 第三の十一 三学分別門

 「皆学等の三なり。」(『論』第六・十二左)

 十一の善の心所は、すべて善である。軽安は欲界には存在しない。しかし他の十の善の心所は三界に通じて存在する。そして善の十一の心所のすべては、有学・無学・非学非無学の三に通じて存在する。

 善の十一の心所は、有学・無学・非学非無学(有情)の三者すべてに存在する、と説かれています。これは一切有情すべてに善の心所が有る、ということを述べているのですね。大変重要な所論だと思います。

 「論。十一唯善至皆學等三 述曰。第九三性。唯善。第十三界。輕安非欲。餘通三界。如前可知 問何故所治有唯在欲。如瞋害等。能治通三界。煩惱隔情多不遍界。善順於理即通三界 彼無所治豈有能治。欲有惛沈。輕安豈有。但以性相相治。不以界繋相望治之 第十一有學・無學・非學非無學。一切皆通。然學・無學身中皆通有漏・無漏。順學等故。如對法第三・五十八・九等皆爾。」(『述記』第六本下・四十五左。大正43・443a)

 (「述して曰く。第九に三性に於ては唯だ善なり。第十に三界に於ては軽安は欲に非ず、余は三界に通ず。前の如く知るべし。
 問、何が故に、所治は唯だ欲に在ること有り、瞋害等の如し、能治は三界に通ずるや。
 (答)煩悩は情を隔つるを以て多く界に遍せず。善は理に順ず、即ち三界に通ず。
 彼に所治無くんば豈に能治あらんや。
 欲には
惛沈(コンジン)あれども、軽安豈にあらんや、但し性相を以て相治す。界繋を以て相望して、之を治するにあらず。
 十一に有学・無学・非学非無学においていう。一切皆通ず。然るに学無学の身中には、皆通じて有漏・無漏あり。学等に順ずるが故に。対法第三、五十八・九等皆爾なり。」)