「下は比量を以て大乗経は是れ仏説なることを成ず。」(大乗仏説義)
大乗非仏説義にたいしての大乗側からの応答になります。
これまでの四教証は、大乗の主張を述べたものであって、部派の学徒にとっては容認することが出来ないものなんですね。そこで第五教証は大乗経が真に仏説であることを『荘厳論』の七因をもって論証してきます。『成唯識論』所説の『荘厳論』は、古くから大乗仏説義を説く書として学ばれています。
前に「別に第八識の性有り」と述べられていましたが、これは大乗経典の中で説かれていることなんです。しかし、大乗経典は仏滅後に成立したこともあって、本当にお釈迦様がお説きなられたのか、勝手に作ったのではないのかという批難があつたのですね。それが大乗非仏説論なのです。
参考として、大乗仏教経典成立に関しての論考を引用しておきます。古来からは天台大師智顗の五時教判が学ばれています。
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初期大乗仏典―紀元2世紀ごろまで、すなわち龍樹[150-250頃]以前の成立と考えられるもの。般若経典・浄土経典や『法華経』『華厳経』など、大乗仏教の骨格をなす経典はこの頃の成立と考えられる。
中期大乗仏典―4、5世紀の成立。唯識説を大成した無著(むじゃく)・世親兄弟(4、5世紀)の頃までに成立していたと考えられるもの。『解深密経』など、唯識説を説くもの、『勝鬘経』『涅槃経』のように、如来蔵・仏性を説く経典はこの頃の成立と考えられる。
後期大乗仏典―その後の成立。主として密教経典で、中国・日本で重視された『大日経』や『金剛頂経』は7世紀には成立していたと考えられる。
一口に大乗仏典といっても、このように長い期間にわたって、異なる条件の下で成立している。原始経典が全体でまとまった体系をなしているのに対し、大乗経典はそれぞれ独立したグループのなかで、必ずしも相互の関連がなく創作されているのである。例えば、般若経典なら般若経典を、『法華経』なら『法華経』を創作し、信奉するグループがあり、それらはある場合には正統的な仏教教団と反目したり、弾圧を受けることもあったと思われる。
(『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』末木文美士/新潮社)
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日本においてもですね、江戸末期の学者である、大坂懐徳堂の富永仲基はその著『出定後語』の中で、痛烈に大乗仏教批判を展開しています。「経説、多くは仏滅後五百歳の人の作れるところ」であるとし、本居宣長や平田篤胤らに引き継がれていくことになります。
大乗側としては、大乗は仏説であるということを論証しなかればならなかったのですね。しかし、『成唯識論』で、第八識の存在論証としての第五教証で、大乗は仏説であることを論証されているのです。
論考として参考文献を挙げておきます。
印度佛教学研究第四十巻第二號 平成四年三月所収、竹内真道著 「『成唯識論』における大乗仏説論」をお読みください。(ネット検索できます。)
部派仏教から大乗仏教へという流れのなかで幾度となく軋轢が生じながら、Mahāyāna(マハーヤーナ)というお釈迦様が真に伝えたかった事を、大乗は仏説であることを、『成唯識論』は比量で述べているのです。それが次の科段になります。
またにします。