紫陽花がぼちぼち花を咲かせ、道行く人の心を癒してくれています。梅雨が近いのかな?
雑踏の、道行く人に、さりげなく、息づくいのち、有り難きかな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/2f/7e748c4101b2d22e28331010a6ed42e0_s.jpg)
今日は、諸門分別の結びです。
「余門を分別することは、理の如く思う応し。」(『論』第六・二十三右)
他の門を分別することは、理の通り考えるべきである。
「述して曰く。謂く有無異熟と有漏無漏と、七随眠に摂して、八纏諸蓋に摂す。乃至、九品の等きを分別することは、皆理の如く思うべし。」(『述記』第六末・六十七左)
『述記』の所論によれば、「余門」とは、十煩悩はいずれが有異熟か無異熟か、有漏か無漏と云う分析と、或は七随眠のいずれに摂めるのか、八纏のいずれに摂めるのか、五蓋のいずれに摂めるのか、或は九品の各々等のことである、と述べています。煩悩の十は十二門にわたって分析をしてきましたが、他の視点からの分析も考えられ、それらの分析は以上述べてきた十二問と同様に考えるべきであると結んでいます。
七随眠とは、(仏教心理学HPより一部参照)
随眠とは、表面に出てこない潜在的な煩悩のことです。
表面的な心として表れて来ることはないので、普段は感じることができませんが、適当な所縁に出会えばすぐに煩悩として現れて来るものです。
例えば、柿の種には実がなっていませんが、柿の種には柿の実を実らせる潜在的な力がありますね?このように今は表面化していないけど、機会があれば表面化する可能性のある煩悩の種が随眠です。随眠を取り除くには阿羅漢になるしかありません。
随眠(ズイメン)には次の7つあります。
① 欲貪の随眠 ― 一般的な五欲のもとになる貪心所を生じさせる潜在煩悩
② 有貪の随眠 ― 色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという貪心所を生じさせる潜在煩悩
③ 瞋恚の随眠 ― 怒りのもとになる瞋心所を生じさせる潜在煩悩
④ 慢の随眠 ― まわりと比較することでおごり高ぶる慢心所を生じさせる潜在煩悩
⑤ 見の随眠 ― 邪見のもとになる見心所を生じさせる潜在煩悩
⑥ 疑の随眠 ― 因果法則に対する疑いのもとになる疑心所を生じさせる潜在煩悩
⑦ 無明の随眠 ― 無明のもとになる痴心所を生じさせる潜在煩悩
預流果(ヨルカ)を悟った場合
預流果を悟ると、見の随眠、疑いの随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
1.欲貪の随眠・・・一般的な五欲の随眠
2.有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
3.瞋恚の随眠・・・怒りの随眠
4.慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
5.無明の随眠・・・無痴の随眠
一来果(イチライカ)では、煩悩が薄まるだけですので、新しく随眠がなくなることはありません。
不還果(フゲンカ)を悟った場合
不還果を悟ると、貪欲の随眠、瞋恚の随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
1.有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
2.慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
3.無明の随眠・・・無痴の随眠
阿羅漢果の場合
阿羅漢果になりますと、全ての随眠がなくなります。随眠は煩悩の種ですから、もう煩悩は生じることはありません。
纏(テン)は随眠の潜在的な煩悩に対して、顕在的な煩悩になります。
纏とは、まとわりつくものという意味。煩悩が心にまとわりつき、真理を覆い隠すもの。具体的に働く顕在的な煩悩を指します。八纏・十纏を数えます。
無慚・無愧・惛沈(コンジン)・睡眠(スイメン)・掉挙(ジョウコ)・悪作(オサ)・慳(ケン)・嫉(シツ) - 随煩悩の各項目を参照してください。
五蓋(ごがい、巴: pañca nīvaraṇāni, パンチャ・ニーヴァラナーニ)とは、仏教における瞑想修行を邪魔する5つの煩悩、「5つの障害」の総称。「蓋」(がい、巴: nīvaraṇa, ニーヴァラナ)とは文字通り、認識を覆う障害のこと。
五蓋の内容は、以下の通り。
① 貪欲蓋 ― 渇望・欲望
② 瞋恚蓋 ― 悪意・憎しみ
③ 惛沈睡眠蓋 ― 倦怠・眠気
④ 掉挙悪作蓋 ― 心の浮動・後悔 ⑤ 疑(ぎ)蓋 ― 疑い
以上で第三能変・諸門分別・煩悩の心所について述べ終わりました。続いて随煩悩について考えてまいります。以前にも簡単に説明しておりますので、重複する所が多々あると思います。
尚、第二能変の投稿は2011年1月1日よりはじめています。第二能変は『成唯識論』にそって考究していますので、お目通しいただければ幸いです。カテゴリを追加して更新したいと思います。
雑踏の、道行く人に、さりげなく、息づくいのち、有り難きかな
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今日は、諸門分別の結びです。
「余門を分別することは、理の如く思う応し。」(『論』第六・二十三右)
他の門を分別することは、理の通り考えるべきである。
「述して曰く。謂く有無異熟と有漏無漏と、七随眠に摂して、八纏諸蓋に摂す。乃至、九品の等きを分別することは、皆理の如く思うべし。」(『述記』第六末・六十七左)
『述記』の所論によれば、「余門」とは、十煩悩はいずれが有異熟か無異熟か、有漏か無漏と云う分析と、或は七随眠のいずれに摂めるのか、八纏のいずれに摂めるのか、五蓋のいずれに摂めるのか、或は九品の各々等のことである、と述べています。煩悩の十は十二門にわたって分析をしてきましたが、他の視点からの分析も考えられ、それらの分析は以上述べてきた十二問と同様に考えるべきであると結んでいます。
七随眠とは、(仏教心理学HPより一部参照)
随眠とは、表面に出てこない潜在的な煩悩のことです。
表面的な心として表れて来ることはないので、普段は感じることができませんが、適当な所縁に出会えばすぐに煩悩として現れて来るものです。
例えば、柿の種には実がなっていませんが、柿の種には柿の実を実らせる潜在的な力がありますね?このように今は表面化していないけど、機会があれば表面化する可能性のある煩悩の種が随眠です。随眠を取り除くには阿羅漢になるしかありません。
随眠(ズイメン)には次の7つあります。
① 欲貪の随眠 ― 一般的な五欲のもとになる貪心所を生じさせる潜在煩悩
② 有貪の随眠 ― 色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという貪心所を生じさせる潜在煩悩
③ 瞋恚の随眠 ― 怒りのもとになる瞋心所を生じさせる潜在煩悩
④ 慢の随眠 ― まわりと比較することでおごり高ぶる慢心所を生じさせる潜在煩悩
⑤ 見の随眠 ― 邪見のもとになる見心所を生じさせる潜在煩悩
⑥ 疑の随眠 ― 因果法則に対する疑いのもとになる疑心所を生じさせる潜在煩悩
⑦ 無明の随眠 ― 無明のもとになる痴心所を生じさせる潜在煩悩
預流果(ヨルカ)を悟った場合
預流果を悟ると、見の随眠、疑いの随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
1.欲貪の随眠・・・一般的な五欲の随眠
2.有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
3.瞋恚の随眠・・・怒りの随眠
4.慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
5.無明の随眠・・・無痴の随眠
一来果(イチライカ)では、煩悩が薄まるだけですので、新しく随眠がなくなることはありません。
不還果(フゲンカ)を悟った場合
不還果を悟ると、貪欲の随眠、瞋恚の随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
1.有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
2.慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
3.無明の随眠・・・無痴の随眠
阿羅漢果の場合
阿羅漢果になりますと、全ての随眠がなくなります。随眠は煩悩の種ですから、もう煩悩は生じることはありません。
纏(テン)は随眠の潜在的な煩悩に対して、顕在的な煩悩になります。
纏とは、まとわりつくものという意味。煩悩が心にまとわりつき、真理を覆い隠すもの。具体的に働く顕在的な煩悩を指します。八纏・十纏を数えます。
無慚・無愧・惛沈(コンジン)・睡眠(スイメン)・掉挙(ジョウコ)・悪作(オサ)・慳(ケン)・嫉(シツ) - 随煩悩の各項目を参照してください。
五蓋(ごがい、巴: pañca nīvaraṇāni, パンチャ・ニーヴァラナーニ)とは、仏教における瞑想修行を邪魔する5つの煩悩、「5つの障害」の総称。「蓋」(がい、巴: nīvaraṇa, ニーヴァラナ)とは文字通り、認識を覆う障害のこと。
五蓋の内容は、以下の通り。
① 貪欲蓋 ― 渇望・欲望
② 瞋恚蓋 ― 悪意・憎しみ
③ 惛沈睡眠蓋 ― 倦怠・眠気
④ 掉挙悪作蓋 ― 心の浮動・後悔 ⑤ 疑(ぎ)蓋 ― 疑い
以上で第三能変・諸門分別・煩悩の心所について述べ終わりました。続いて随煩悩について考えてまいります。以前にも簡単に説明しておりますので、重複する所が多々あると思います。
尚、第二能変の投稿は2011年1月1日よりはじめています。第二能変は『成唯識論』にそって考究していますので、お目通しいただければ幸いです。カテゴリを追加して更新したいと思います。