唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 善の心所  第三の八 別境相応門

2014-01-25 23:14:59 | 第三能変 善の心所 第三の八 別境相応門

 自下は、第八に前の別境と相応することを明らかにする。

 「此は別境と皆相応することを得、信等と欲等とは相違せざるが故に。」(『論』第六・十二右)

 (此)善の十一の心所と別境とはすべて相応する。何故ならば、信等の十一の善の心所と別境の中の善の欲(善法欲)とは相違しないからである。

「論。此與別境至不相違故 述曰。自下第八與前別境相應。以遍行通所以不説。不定四者彼中自説。所以不論。故唯言別境。皆不違彼故。有漏位無漏位皆得相應。然欲界十倶除輕安。上界具十一。如前理説。此據別境五倶起時。可得爲語。然彼有時一二等生故。」(『述記』第六本下・四十五右)

 (「述して曰く。自下は第八に前の別境との相応なり。遍行は通ずるを以て所以に説かず。

  •  遍行相応門を説かないのは、遍行は遍く通ずる心所である為に、善の心所と遍行は当然相応するから説かないのである、と。

不定の四は彼の中に自ら説く、所以に論ぜず。

  •  不定の心所である、悔(ケ)・眠(メン)・尋(ジン)・伺(シ)と善の心所との相応については『論』第七に説かれるので、此処では説かない。尚、不定の心所については、2010年3月30日~4月4日に概略を述べていますので参考にして下さい。

故に唯別境のみを言う。皆彼に違せざるが故に。有漏の位、無漏の位に皆相応することを得。然るに欲界には十と倶なり。軽安を除く。上界には十一を具す。前に理を以て説けるが故に。これは別境の五と倶起する時に據って、語(ゴ)と為すことを得べし。然るに彼は有る時に一二等生ずるが故に。」)

 本願文の「欲生」ですが、この場合の欲は善法欲を指していますね。貪欲とか愛欲、或は三界の中の欲界は否定される欲なのですが、ここも問題ですね。何故なら、善法欲によって不善が否定されつつ摂取されることを意味しているからですね。欲とは、「所楽の境に於て希望するを以て性と為し、勤の依たるを以て業と為す」と定義されています。願われる対象に対して希望を起す欲である、と。所楽の楽は願われるということになります。「善の欲は能く正勤を発す、彼に由って一切の善事を助成するが故に、論に此れ勤が依たるを以て業と為すと説くなり」と言われていますように、別境の欲と十一の善所の心所は相応するのである、と。

 これ等の善事は、苦悩の底に流れて、支え続けているのでしょうね。種子として善事は与えられているということでしょうか。阿頼耶識からいうとですね、一切種子識であるのが欲生なのでしょう。願うということは、恒に願われている存在であるということ、願われているということに、願いが生れる根源があるのでしょう、このように思われてなりません。