唯識の学びも回を重ねてきました。かれこれもう七年になりますかね。聞成坊ご住職の尽力でまがりなりにもお話をさせていただいています。一番学ばせていただいているのは僕でしょうね。真宗の教学と重ねながらを憶念しながと思っていても、唯識の言語の難しさもあり、皆さん方には、よくついてきていただいていると感謝しております。今回で一応第二能変末那識の説明は終わらせていただきます。もし興味のおありの方は、29日午後三時より八尾別院で開講しております。会費は1000円です。
第八段第十門 起滅分位門、その(2) 分位行相門
第七識の分位の行相を明らかにする。上来、『三十頌』の第十門に依って、末那識を伏し断ずる位を分別してきた。それはあくまでも未転依有漏の位に約して明らかにしている。
この一段は、末那識の分位の差別(種類・区別のこと)を明らかにする。末那識には三つの側面がある。三つの面とは三つの段階があるということになります。(『述記』には傍らに、義に乗じて分位の行相を解す」(『述記』)
「此の意の差別(しゃべつ)なること、略して三種有り。」(『論』第五)
(この末那識の種類には、略して三種ある。)
「一には補特伽羅我見相応。二つには法我見相応。三には平等性智相応なり。」(『論』第五)
(分位行相の種類は、一は、補特伽羅我見と相応する末那識である。二は、法我見と相応する末那識である。三は、平等性智と相応する末那識である。)
「初のは、一切の異生に相続すると、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通ず。」(『論』第五)
(最初に説かれる「補特伽羅我見と相応する」末那識は、すべての異生に相続し、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通じて存在する。=執と相応する末那識の位)
「彼は阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見を起こすなり。」(『論』第五)
(補特伽羅我見と相応する末那識は、阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見をおこす。=所縁の境)
第二は、法我見と相応する位について
「次のは一切の異生と声聞と独覚とに相続せると。一切の菩薩の法空智・果との現前せざる位とに通ず。」(『論』第五)
(次に説明される法我見と相応する末那識は、一切の異生と声聞と独覚とに相続するのと、一切の菩薩の法空智とその果との現前しない位とに通じて存在する。)
我愛現行執蔵位
異熟 { 善悪業果位
相続執持位
(説明)
阿頼耶識という場合には、第八識が我愛に執蔵される位、即ち我愛執蔵現行位と。
異熟という場合には、所知障無き位に至るまでの第八識を善悪業果位と。
阿陀那識という場合には、第八識は無始よりこのかた、恒に相続して間断なく、一切諸法の種子や諸の色根等を執持つしているので、この位を相続執持位といわれる。仏果の第八識も、本有無漏種子を執持しているので、無始より乃し如来に至るまでの位をいう。
第三に、平等性智が起こる位について。
「後のは、一切の如来に相続せると、菩薩の見道と及び修道の中の法空智果の現在前する位とに通ず。」(『論』第五)
(後の平等性智と相応する末那識は、一切の如来に相続し、また菩薩の見道と修道の中の法空智とその果との現在前する位に通じて存在する。)
「彼は無垢と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こす。」(『論』第五) (平等性智と相応する末那識は、無垢の識と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こすのである。)
第三に、増上縁を例として、異熟生を説明する。
「増上縁の如し。余の摂めざる者をば皆な此れに入れて摂む。」(『論』第五)
(前科段に述べられていた異熟生について、例えば四縁の中の増上縁のようなものである、という。つまり、他の摂めないものをすべてこれに入れて摂めるのである、と。)
四縁(親因縁・所縁縁・等無間縁・増上縁)
以上で第二能変の八段十義を論じ終わったのである。
次に二教六理証によって末那識の存在論証を行う。
第八段第十門 起滅分位門、その(2) 分位行相門
第七識の分位の行相を明らかにする。上来、『三十頌』の第十門に依って、末那識を伏し断ずる位を分別してきた。それはあくまでも未転依有漏の位に約して明らかにしている。
この一段は、末那識の分位の差別(種類・区別のこと)を明らかにする。末那識には三つの側面がある。三つの面とは三つの段階があるということになります。(『述記』には傍らに、義に乗じて分位の行相を解す」(『述記』)
「此の意の差別(しゃべつ)なること、略して三種有り。」(『論』第五)
(この末那識の種類には、略して三種ある。)
「一には補特伽羅我見相応。二つには法我見相応。三には平等性智相応なり。」(『論』第五)
(分位行相の種類は、一は、補特伽羅我見と相応する末那識である。二は、法我見と相応する末那識である。三は、平等性智と相応する末那識である。)
「初のは、一切の異生に相続すると、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通ず。」(『論』第五)
(最初に説かれる「補特伽羅我見と相応する」末那識は、すべての異生に相続し、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通じて存在する。=執と相応する末那識の位)
「彼は阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見を起こすなり。」(『論』第五)
(補特伽羅我見と相応する末那識は、阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見をおこす。=所縁の境)
第二は、法我見と相応する位について
「次のは一切の異生と声聞と独覚とに相続せると。一切の菩薩の法空智・果との現前せざる位とに通ず。」(『論』第五)
(次に説明される法我見と相応する末那識は、一切の異生と声聞と独覚とに相続するのと、一切の菩薩の法空智とその果との現前しない位とに通じて存在する。)
我愛現行執蔵位
異熟 { 善悪業果位
相続執持位
(説明)
阿頼耶識という場合には、第八識が我愛に執蔵される位、即ち我愛執蔵現行位と。
異熟という場合には、所知障無き位に至るまでの第八識を善悪業果位と。
阿陀那識という場合には、第八識は無始よりこのかた、恒に相続して間断なく、一切諸法の種子や諸の色根等を執持つしているので、この位を相続執持位といわれる。仏果の第八識も、本有無漏種子を執持しているので、無始より乃し如来に至るまでの位をいう。
第三に、平等性智が起こる位について。
「後のは、一切の如来に相続せると、菩薩の見道と及び修道の中の法空智果の現在前する位とに通ず。」(『論』第五)
(後の平等性智と相応する末那識は、一切の如来に相続し、また菩薩の見道と修道の中の法空智とその果との現在前する位に通じて存在する。)
「彼は無垢と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こす。」(『論』第五) (平等性智と相応する末那識は、無垢の識と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こすのである。)
第三に、増上縁を例として、異熟生を説明する。
「増上縁の如し。余の摂めざる者をば皆な此れに入れて摂む。」(『論』第五)
(前科段に述べられていた異熟生について、例えば四縁の中の増上縁のようなものである、という。つまり、他の摂めないものをすべてこれに入れて摂めるのである、と。)
四縁(親因縁・所縁縁・等無間縁・増上縁)
以上で第二能変の八段十義を論じ終わったのである。
次に二教六理証によって末那識の存在論証を行う。