随煩悩の三種類
「論。曰至名隨煩惱 述曰。長行爲二。初釋體・業等相。後諸門釋。初門有六。初釋得名。二束爲三位。三釋體・業。四解頌中與・并・及字。五解隨名之通局。六解廢立 釋頌之中隨煩惱字。謂忿等十・及忘念・不正知・放逸餘假染心所。是貪等法根本麁行差別分位名隨煩惱。無慚・無愧・掉擧・惛沈・散亂・不信・懈怠七法。雖別有體。是前根本之等流性名隨煩惱。由根本爲因此得有故。此據正義。又説唯四是實 言等流者。謂同類義。勢非強勝 。然非因故。不名根本。不能生餘染心所等。或等流者是等流果 若爾即根本後方生非倶時義 此説同時爲等流果。六十二二解。一云隨惱於心。二隨煩惱而生。今同後義。」(『述記』大正43・457b~c)
今日は「頌の中に随煩悩の字を釈す」以下の『述記』の所論を伺います。
「謂く忿等の十はと及び忘念と不正知と放逸との、余の仮の染の心所は、是れ貪等の法の根本の麤なる行の差別の分位なり。随煩悩と名づく。」
随煩悩の二十の心所の分位差別と等流性は、昨日図で以て示しました通りです。
忿等の十の小随煩悩と大随煩悩の中の放逸と失念と不正知との十三は、貪等の根本煩悩の麤なる行の分位の差別であると説明しています。尚、何故三位をもって随煩悩と名づくのかという問いに対しましては、次科段で説明されますので、本科段では省略します。
「無慚・無愧・掉擧・惛沈・散亂・不信・懈怠の七法は、別に体有りと雖も、是は前の根本の等流性なり、随煩悩と名づく。根本を因と為す由って此(随煩悩)は有ることを得るが故に。此は正義に據る。又唯だ四(無慚・無愧・不信・懈怠)のみ是れ実なり。」
随煩悩は、「根本の等流性なり」と云われていますから、根本煩悩の等流であることが解ります。等流とは同類の意味なのです。等流性の条件なのですが、随煩悩個別の体を持つものであるということでなければなりません。しかし、「根本を因と為す由って此(随煩悩)は有ることを得るが故に」と云われていますように、単独で生起するものではなく、必ず煩悩を因として(煩悩を依り所として)生起するということに他なりません。
分位仮立法に由る随煩悩 ― 十三
等流性に由る随煩悩(実法) ― 七
という二つの理由で随煩悩と名づけられています。「煩悩に随って生ず」と云われていますのが正義になります。
仮法と実法について
実法は、因縁所生の法で、因と縁とによって生じた存在で、五識で認識されたもの。量でいえば現量になります。そこに概念的思考で捉えられたものを仮法と云われます。直接経験が実法であり、思いが加わったものが仮法といえる。言葉に由って認識された存在を云う。
「論。曰至名隨煩惱 述曰。長行爲二。初釋體・業等相。後諸門釋。初門有六。初釋得名。二束爲三位。三釋體・業。四解頌中與・并・及字。五解隨名之通局。六解廢立 釋頌之中隨煩惱字。謂忿等十・及忘念・不正知・放逸餘假染心所。是貪等法根本麁行差別分位名隨煩惱。無慚・無愧・掉擧・惛沈・散亂・不信・懈怠七法。雖別有體。是前根本之等流性名隨煩惱。由根本爲因此得有故。此據正義。又説唯四是實 言等流者。謂同類義。勢非強勝 。然非因故。不名根本。不能生餘染心所等。或等流者是等流果 若爾即根本後方生非倶時義 此説同時爲等流果。六十二二解。一云隨惱於心。二隨煩惱而生。今同後義。」(『述記』大正43・457b~c)
今日は「頌の中に随煩悩の字を釈す」以下の『述記』の所論を伺います。
「謂く忿等の十はと及び忘念と不正知と放逸との、余の仮の染の心所は、是れ貪等の法の根本の麤なる行の差別の分位なり。随煩悩と名づく。」
随煩悩の二十の心所の分位差別と等流性は、昨日図で以て示しました通りです。
忿等の十の小随煩悩と大随煩悩の中の放逸と失念と不正知との十三は、貪等の根本煩悩の麤なる行の分位の差別であると説明しています。尚、何故三位をもって随煩悩と名づくのかという問いに対しましては、次科段で説明されますので、本科段では省略します。
「無慚・無愧・掉擧・惛沈・散亂・不信・懈怠の七法は、別に体有りと雖も、是は前の根本の等流性なり、随煩悩と名づく。根本を因と為す由って此(随煩悩)は有ることを得るが故に。此は正義に據る。又唯だ四(無慚・無愧・不信・懈怠)のみ是れ実なり。」
随煩悩は、「根本の等流性なり」と云われていますから、根本煩悩の等流であることが解ります。等流とは同類の意味なのです。等流性の条件なのですが、随煩悩個別の体を持つものであるということでなければなりません。しかし、「根本を因と為す由って此(随煩悩)は有ることを得るが故に」と云われていますように、単独で生起するものではなく、必ず煩悩を因として(煩悩を依り所として)生起するということに他なりません。
分位仮立法に由る随煩悩 ― 十三
等流性に由る随煩悩(実法) ― 七
という二つの理由で随煩悩と名づけられています。「煩悩に随って生ず」と云われていますのが正義になります。
仮法と実法について
実法は、因縁所生の法で、因と縁とによって生じた存在で、五識で認識されたもの。量でいえば現量になります。そこに概念的思考で捉えられたものを仮法と云われます。直接経験が実法であり、思いが加わったものが仮法といえる。言葉に由って認識された存在を云う。