唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変  第二・ 二教六理証 その(25) 六理証 その(⑯)

2012-03-31 20:36:32 | 心の構造について

 昨日は聞法会(河内聞法会・於、聞成坊)の帰りが遅くなってしまいました。家に着いたら午前様になっていましたので、書き込みは休ませていただきました。聞法の後の座談会から自由討議はいいでね。ちょっと一杯やりながらですが、自分の認識の甘さといいますか、了解の浅さを感ぜずにはいられませんでした。

  • 第二は、問に対する護法の答えである。

 「殊勝の義に依って不共の名を立てたり、互に無き所を以て皆不共と名くるには非ず。」(『論』第五・十左)

 (恒行不共無明の不共とは、殊勝の義によって不共という名を立てたのであって、互いに無い所から、他に無いものをすべて不共というのではない。)

 殊勝の義とは、この恒行不共無明は勝れて、三性(善・悪・無記)にも遍く存在し、他の識にはこの三性に遍く存在する無明はない、即ち他の識にある無明には無い性格である、と述べられています。この意味するところは、相対的に、この識にあって。他の識には無いというような観点から不共というのではなく、末那識相応の無明は三性に遍在しているという点から不共という。

 「論。依勝義立至皆名不共 述曰。此答也。謂此無明勝遍三性位。餘識無此遍三性心之無明故名爲不共。非在自有餘識所無名不共等。」(大正43・411a)

 「述して曰く。此れは答なり。謂く此の無明は勝れて三性の位に遍ぜり。余識には此の三性心に遍ぜる無明は無きが故に。名けて不共と為す。自のみに在って余識に無き所有って不共等と名くには非ず。」(『述記』第五すね・二十二右)

  •  重ねて前の意義を明らかに説明します。

 「謂く、第七識と相応する無明は、無始より恒に行じて真義の智を障う。是の如く勝れたる用(ゆう)は、余の識に無き所なり。唯だ此の識のみに有り、故に不共と名く。」(『論』第五・十一右)

 (つまり、第七末那識と相応する恒行不共無明は、無始よりこのかた恒に活動して真義智(無漏智)を障碍している。このような激しい働きは、他の識に相応する無明には無いところである。唯だ、この第七末那識のみに有るものであって、そのために不共というのである、と。)

 論。謂第七識至故名不共 述曰。重顯前義。其文可解。」(大正43・411a)

 「述して曰く、重ねて前の義を顕す。其の文解す可し。」(『述記』第五末・二十二左)

  •  第三は外人からの非難を述べます。

 「既に爾らば、此れと倶なる三をも亦不共と名くべし。」(『論』第五』・十一右)

 (既に、そうであるならば、此れ、即ち第七末那識と倶である三(我癡・我慢・我愛)をもまた、不共というべきではなかろうか。)

 こういう問というか、非難は当然起こってくるでしょうね。第七末那識は四の煩悩と恒に倶であると定義されていますからね。我癡・我慢・我愛の三つの煩悩もまた、恒に活動し、三性(善・悪・無記)にも遍く存在しているので、恒行不共無明と同じく、勝れた特質を持っている。この特質は、他の識には無いというような観点から不共というのではなく、末那識相応の無明は三性に遍在しているという、従ってやはりこの三つの煩悩もまた、不共というべきである、と外人は非難しているのです。次に論主が会通します。二通りの解釈が述べられています。

  


第二能変  第二・ 二教六理証 その(24) 六理証 その(⑮)

2012-03-29 21:21:32 | 心の構造について

 二は、問答により説明されます。この中に四つの部分がある。(問答を弁ずるに四有り。一に問、二に答、三に難、四に通)。これは第一の問である。

 「若し爾らば、余の識と相応する煩悩も、此の識の中に無きをもって、不共と名くべし。」(『論』第五・十左)

 (もし、そうであるならば、他の識と相応する煩悩も、この識(末那識)の中に無いので、不共というべきである。)

 前師(第二師)からの批判が述べられています。問として、「若爾~不共)です。『述記』の記述を見てみましょう。

「論。若爾餘識至應名不共 述曰。下問答辨有四。一問。二答。三難。四通。此問也 前師難言。餘識相應一切煩惱如見取等。此識中無應名不共。」(大正43・411a)

 「余の識と相応する一切の煩悩は、見取等の如きこと、此の識の中に無きをもって、不共と名くべし。」(『述記』第五末・二十二右)

 と。他の識と相応するすべての煩悩は、見取見等のようなものである。これらの煩悩は、第六意識特有の煩悩であって、末那識には存在しないから、見取見等も不共と名づけるべきではないのか、と問うているのですね。前科段において、「唯此識有故」と不共の理由が述べられ、余の識には無いから不共というのだ、とを受けて第二師が反論しているわけです。これに対して護法は次の科段において答えています。


第二能変  第二・ 二教六理証 その(23) 六理証 その(⑭)

2012-03-28 22:10:31 | 心の構造について

 第三師の説(護法正義)を述べる。

 「有義は、此の癡を不共と名くることは、不共仏法の如し。唯此の識のみに有るが故なり。」(『論』第五・十右)

 (護法正義は、この癡(我癡)を不共と名づけるのは、不共仏法のようなものである。何故なら、ただこの末那識のみに不共無明が存在するからである。)

  • 不共仏法 - 仏のみが具える特質をいう。十力・四無畏・三念住・大悲に分かれ、全部で十八あるので、十八不共仏法という。または、三十二大丈夫相・八十随好・四護・大悲・無忘失法・永害習気。一切種妙智に大別し全部で百四十あるから百四十不共仏法ともいう。

 初は不共について説明されます。不共という名の特質を先ず述べます。護法は我癡を不共というのは、末那識のみの固有の特質であって、他の識には無いために不共という、と。これは凡夫や二乗にはない、仏のみが具える特質を不共仏法という場合の不共と同じである、と述べられています。

「論。有義此癡至唯此識有故 述曰。下文有三。一釋不共。二問答辨。三顯差別。此初也。即攝論無性。其論本意亦同於此。頌言倶行一切分故。故此無明唯此識有。餘識所無。如不共法非二乘共。不言自十八中唯一法。不與餘法共也」(大正43・410c)

 「述して曰く、下の文に三有り。一に不共を釈し、二に問答を弁し、三に差別を顕す。此れは初なり。即ち摂論の無性にもあり。其の論の本意は亦此れに同なり。頌に倶に一切の分に行ずと言うがゆえに。故に此の無明は唯此の識のみに有り、余の識には無き所なり。不共法と二乗と共に非ざるが如し。自の十八の中に唯一法のみにして、余法と共ならずと言はざるなり。」(『述記』第五末・二十一左)


第二能変  第二・ 二教六理証 その(22) 六理証 その(⑬)

2012-03-27 23:04:54 | 心の構造について

 第二師の説に対する問(外人(げじん)より)と第二師の答が述べられる。その初は問である。

 「此と倶なる見等をも相応と名くべし、若し主と為らん時には、不共と名くべし。」(『論』第五・十左)

 (もし、第二師の説くようであったならば、無明と倶である見等(我見・我慢・我愛)をも、相応と名けるべきである。ものそれらが主となる時には不共と名けるべきである。)

「論。此倶見等至應名不共 述曰。下釋難也。此外人問。此倶見等非爲主故應名相應。若許爲主。彼亦應名不共。以癡例餘爲主應爾」(大正43・410c)

 「述して曰く、下は難を釈するなり。此れは外人の問なり。此れ(第七識)と倶なる見等は、主と為すに非ざるが故に、応に相応と名くべし。若し主と為すと許さば、彼(六識相応の見等)をも亦応に不共と名くべし。癡を以て余に例するに主とせんこと応に爾るべし。」(『述記』第五末・二十左)

 外人の問が出されています。第七末那識と倶なる我見等は、無明に随伴することから、共というより、相応と名づくべきではないのか。そして若し我見等が主となれば他の三は不共と名づけるべきであろう。

 第二師の答え

 「無明の如くなるが故に、許すとも亦た失無しと云う。」(『論第五・十左)

 (無明のようであるからである。別にそれを承認しても過失はない。)

 「無明の如くなるが故に」と述べられていますように、これは末那識での所論であり、無明が一切時に於て主と為るということを述べています。

 「論。如無明故許亦無失 述曰。餘三爲主時。亦得名不共。亦如無明爲主義故。此義未詳。不見諸論名不共貪故。對餘癡故論多説癡。理實貪等亦有不共名故。然此師意。非第七識中有不共貪等。無明爲主故。今此據彼六識作論。若此師意。即六識中獨行貪等名不共貪。通見・修斷等。唯此倶貪不與六識慢等倶者等方名相應。不爲主故。是主無明餘識亦有 又如無明故。總是難文。許亦無失。是答前難文 又此倶見等應名相應者。是破前師。前師見等亦名不共。今言非主應名相應。總是第二説之文也。若爲主時應名不共者。初師難文。若以爲主名爲不共。此倶見等不爲主非不共者。餘六識中見等爲主時。亦應名不共如無明故。論答許亦無失 又如無明以下。總是答此前師難文 並得合爲四解。」(大正43・410c)

 「述して曰く、余の三にも主と為る時には、亦不共と名くることを得と。亦無明の主と為る義の如くなるが故に。 (問) この義未だ詳ならず。諸論にも不共の貪と名くるを見ざるが故に。 (答) (六識の)余の癡に対するが故に、論に多く癡(不共無明)のみを説けり。理実を以ては貪等にも亦不共と云う名有るべきが故に。然るに此の師の意は第七識の中に不共の貪等有るに非ずと云う。無明を主と為すが故に。今此れは彼の六識に據って論を作す。若し此の師の意は即ち六識の中の独行の貪等を不共の貪と名けば、見・修断の等に通ず。唯だ此れ(第七識)と倶なる貪の六識の慢等と倶ならざる者等しきを方に相応と名く、主と為らざるが故なり。是れ主なる無明は余識にも亦有りと云う。(第一解)

 又、「如無明故」というは、総じて是れ難ずる文なり。「許亦無失」というは是れ前の難を答する文なり。(第二解)

 又、「此倶見等応名相応」とは、是れ前師を破すなり。前師は見等をも亦不共と名くと云う。今言わく、主に非ざるを以て応に相応と名くべし。総じて是れ第二説の文なり。「若為主時応名不共」とは、初師の難ずるの文なり。若し主と為るを以て名けて不共と為る。此れと倶なる見等は主と為らざるを以て不共に非ずと云わば、余の六識の中の見等の主と為る時にも亦応に不共と名くべし、無明の如くなるが故に。論に答して許すとも亦失無しという。(第三解)

 又、「如無明」以下は、総じて是れ此の前師の難を答する文なり。並びに得たり合して四解と為る。」(第四解) (『述記』第五末・二十左)

 『述記』に『論』本文の問答に二通りの区切り方があり、それぞれに二種づつ、合計四解があると説明しています。第一の区切りが第一解と第二解に分けられ、第二の区切りが第三解と第四解に分けられています。『新導本』p205に「如無明故 四説可知 論導依第一説也」と述べられています。この読み方に従って「此倶見等応名相応。若為主時応名不共。」を問とし、「如無明故許亦無失。」を答えとします。 


第二能変  第二・ 二教六理証 その(21) 六理証 その(⑫)

2012-03-26 22:20:56 | 心の構造について

 第三の過失を挙げる。

 「處處に皆、染汚の末那は四の煩悩と恒に相応すとのみ説けるが故に。」(『論』第五・十右)

 (諸の論書には皆、染汚の末那識は我癡・我見・我慢・我愛という四の煩悩と恒に相応するとのみ説かれているからである。)

 「論。處處皆説至恒相應故 述曰。論説與四煩惱倶故。不言與隨煩惱倶故。對法第七説諸煩惱皆名爲隨前師可爾。若隨非根本。此是根本亦是隨攝。以隨不言是煩惱故。即此三種唯説是根本。純隨中無。故證此三非隨惑也 若爾此癡何名不共」(大正43・410b)

 「述して曰く、論に四の煩悩と倶なりと説く故に。随煩悩と倶なりと言わざるが故に。対法の第七に諸の煩悩を説きて、皆名づけて随と為せるを以て。前師も爾る可し。若し随は根本には非ず。此れは是れ根本なり、亦是れ随にも摂む。随をば是れ煩悩と言わざるを以ての故に。即ち此の三種をば、唯だ是れ根本と説くことは純随の中に無きが故に。此の三は随惑に非ずと云うことを証するなり。若し爾らば此の癡を何ぞ不共と名づけん。」(『述記』第五末・十九左)

 この三は随煩悩ではないという証拠を挙げて、第一師の説を論破していますが、ここで問題が提起されています。「若し爾らば此の癡を何ぞ不共と名づけん」と。我癡と他の三とは何故不共というのか、共ではないのか、という問ですね。それに答えているのが次の科段になります。無明は主であり、他の三は従であるといいます。主とは根本です。他の三と一緒に生起しているのですが、無明が主となると言う意味です。主となるという意味で不共であるといいます。

 「応に説くべし。四が中には無明いい是れ主なり。三と倶起すと雖も亦た不共と名けん。無始際より恒に内に惛迷して曾て省察せず。癡いい増上なるが故に。」(『論』第五・十左)

 (まさに説く。四の煩悩の中では、無明が主である。そのため、我見・我慢・我愛の三と倶起するといっても、また不共という。無始以来恒に自己の阿頼耶識に対して執着して、曾って阿頼耶識が我ではないのではないかと省察したことがない。それは癡が増上だからである。)

 「論。應説四中至癡増上故 述曰。此申義也 主是自在義。爲因依義。與彼爲依故名不共。何故無明名爲不共 謂從無始際。顯長夜常起 恒内惛迷。明一切時生曾不省察。彰恒執我無修返時。此意總顯癡主自在義」(大正・43・410b)

 「述して曰く、此れは義を申ぶるなり。主と云うは是れ自在の義なり。因依の義と為る。彼が與に依と為る故に不共と名く。何が故に無明を名けて不共とする。謂く、無始際よりとは長夜に常に起こると云うことを顕す。恒内惛迷と云うは、一切の時に生ぜりと云うことを明かす。曾不省察と云うは、恒に我と執して修返(善を修し善に返ずる)する時無しと云うことを彰わす。此の意は総じて癡の主との自在なる義を顕す。」(『述記』第五末・二十右)

 無明が四の煩悩の主であり、その他の依り所となるものであって、主と従の関係から不共というと説かれていますが、『述記』の説明によりますと、「無始際」というのは、長夜に常に起こることを顕しているのである、と。無始よりこのかた今に至るまで恒に生起しており、すべての時に活動していることを明らかにしている。そのことによって、恒に阿頼耶識を我であると執着して、曾って省みることがないことを顕し、この三点によって無明が主であり、何事においても無明が主として活動している。活動すること自在である、と。


「下総たより」 『感の教学』 安田理深述 (5)

2012-03-25 19:41:08 | 『感の教学』 安田理深述

 衆生が疑を除いて信を獲るのでなくして、信心そのものが衆生の疑を除き証を獲しめるところの真理である。体験ではなくして真理であるのである。真理というのがむしろ純粋の事実である。衆生がいかに煩悩熾盛であり罪悪深重であっても、如来内存在である根本的な秩序を動かすを得ぬという確信であると思う。仏を仏性というのでなく、衆生そのものを仏性という存在論的な自覚があるのではないか、かく親鸞は涅槃経の経文を日本語の文法に従って国語としてよまれたのだが、漢語では発音通り悉有仏性、一切衆生ことごとく仏性あり、というよりことごとくあるのが仏性、「悉有は仏性なり」非常に鋭い受取り方である。諸法実相は諸法の実相でなくして、諸法即ち実相である、といった趣きであります。何か仏性というものは何所か誰かにある存在物だと思っておるのは、それは実体化された仏性である。それは法性ではなくして思弁である。形而上学である。悉有は仏性とはこの思弁を破っているのである。悉有の有といい、有時の有というのは今日哲学で問題となっているところの、存在論的存在というべきものかと思います。あらゆる存在を存在たらしめている存在そのもの、が哲学の問題となっている。いま悉有というのは別な表現では本有である。あらゆる存在だから悉有であるが、その存在を存在たらしめるが故に本有である。もとよりある。そのあるは無いに対してあるのでもないし、またないのでもない。有無を離れて端的にただある、ただそれのみがある。存在としての存在というようなことは、我々と無縁な学問上のことのようでもありますが、実は存在するものにとって存在が問われるということは、我々と無関係な問題ではなく、現実の自己の立っておる地盤が揺るぎ出してきたということである。自己の存在が問題になるということは、自己にとって最も現実的且つ根本的の問題である。宗教問題もここから考え直してこなくてはならぬ。

 自己とは何ぞや、問うまではわかったように思うていても、更めて問うと一番わからぬのが存在であるということが判ってくる。私はある存在者といっても人間である、男性である、といってもそれは幾らでもある、特に私に限るわけではない。どれだけ私という存在概念の内包を限定してみても、一あって二なき私は出て来ない。そうなると私は人間の一例に過ぎぬ、代用可能であるから一号二号という風に記号的な存在、取りかえることが出来る存在ということになる。しかし私の代りに死んでくれるといえるかというとそれは出来ない、死もやはり私の死を死ぬるのでなければならぬ。探すのは自分の外に自分を探すのではない、内観の方向に探求の方向を転ぜねばならぬ、根元に帰ることは同時に根元それ自らを語らしめることである。探されるものは向うの方から名乗っておる、近くをみよ、外に探してゆけばわからぬようになる。それは逆に却って遠ざかる方向である。本来の自己は探す以前にわれここに在りと名乗っている。方向のあやまりを自覚すれば、存在は既にあるものとして来ている。善導は既にこの道あり、必ず度るべしという、既有という、既にあるもの即ち道である。道は探す自己よりも近く既にある。道を忘れた思いが思い知らされて本のところに呼び返されるのである。新しい出発点はこういう根元的なものに帰るところにある、内観は根元へと出発するのである。

 話が少し抽象的になりますが、今日哲学で存在というような問題になると遠くアリストテレスに帰って考えてゆく、アリストテレスは哲学の古仏である。そこまで遡って明らかにしなければならぬ。つまり源を尋ねて出直すのである、遡ることが出来るというところに古典というものがある意味がある。それは現在に行詰ると既有の過去に聞く、帰って聞くところが古典である。古典は古仏の言葉である。教典である。現在に行詰るということは問題をもつことである。問題なくして古典に帰るといっても、古典は何も答えないが、古典のないところにはないのである。過去に帰るのは根元に帰るのは根元に呼び戻されるのであるが、根元が単に隠れた存在でなく、歴史となって根元を道として証明しておるのが古典である。教典である。ここに個人を超えたトラジションというものの深い意味がある。単なるオピニオン(主張)を超えた意味がある。先にいったアウトリテート(権威)というものがここにある。アウトリテートは歴史のそれである。存在が既有の歴史となっているところに、否定すべからざる威力というものがあるのである。歴史は人間の地盤を離れないが、それは存在の真理が人間を破り、人間に於て自己を開示しているところにある。その人は単なる人に非ずして無等等なる唯仏与仏である。アウトリテートをもつ歴史は唯仏与仏の歴史である。私がほんものだといい、ものがちがうという所以である。先生がほんものだというのは、先生がほんものに触れたということ、自己を破って存在の名乗りを聞かれたということである。先生のお言葉には歴史から生まれて歴史を創るという意義がある。教典を聞思されて、また教典となる意味があると思うのです。道元禅師も何か重要なことを語られる場合は、仏仏祖祖を持ち出される、非常に厳粛な態度がある。それはどこまでも禅師の言葉であるが、しかも禅師を超えているものがある。空手還郷、所以一毫無仏法(空手にして郷に還る。所以に一毫も仏法無し・『永平広録』巻一)という逆説的表現がそれを語っている。そういうところに道元禅師の前にも禅師はなく、後にも禅師はない、曹洞禅は道元禅師に始まって道元禅師に終わったという感銘を禁じ得ない。  (つづく)


第二能変  第二・ 二教六理証 その(20) 六理証 その(⑪)

2012-03-24 23:31:09 | 心の構造について

 「第一は、我見と我慢と我愛は根本煩悩ではない。無明は根本になるという。無明によって見がおこり、見によって慢、慢によって愛がおこる。これは自我意識の現象学である。根本になるという点で、不共無明という。『起信論』は根本無明という。それを唯識では不共無明という。しかし、それだけならば、見慢愛が根本煩悩ではないということになる。もし根本煩悩でないなら、随煩悩ということになる。根本に随って起こる煩悩ゆえに、随煩悩である。しかるに見慢愛は根本煩悩である。根本煩悩は六である。随煩悩は二十あるが、遍染の惑は十である。見慢愛の三つは随煩悩に入れず、根本に入れている。これは如何。」(『安田理深選集』第三巻、p175)

  • 根本煩悩 - 諸の煩悩のなかで根本となるもの。それを根本として他の付随的なぼんのう、随煩悩が生じる。三毒の煩悩として貪・瞋・癡があげられ、六種の根本煩悩として、貪・瞋・癡・慢・疑・悪見があげられる。ただし、末那識相応の煩悩としては、我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩を根本煩悩といわれ、「末那識は恒に阿頼耶識を縁じて我癡・我見・我慢・我愛の四根本煩悩と相応す」といわれます。

 第二師の説を述べる。

 「初に前を破し、次に難を申べ、後に難を釈す。此れは初なり。」(初めに、第一師の説を論破し、次に自説を述べる。後に自説に対する問と答えが述べられる。)

 「有義は、彼が説く理・教と相違せり。純随煩悩の中に此の三を説かざるが故に。」(『論』第五・十右)

 (有義の説くことは、第一師が説くことは、理と教とに相違する。何故なら、純随煩悩の中には、この三つは説かないからである。)

 第一師の説は理論の上にも、教えにも相違すると述べ、三つの過失があると批判しています。この科段は第一の過失を挙げています。第一師は三つの煩悩は根本煩悩ではなく、随煩悩であると説くことに対して、随煩悩の中には見・慢・愛は入っていないと批判します。随煩悩は二十種数えられます。忿・恨・覆・悩・嫉・慳・誑・諂・害・憍・無慚・無愧・掉挙・惛沈・不信・懈怠・放逸・失念・散乱・不正知ですが、この中に、我見・我慢・我愛は入っていないと批判することが、第一の過失になります。

論。有義彼説至不説此三故 述曰。此師有三。初破前。次申義。後釋難。此初也。二十隨非名煩惱。如前已説。不見不正知名我不正知。亦不見憍名爲我憍掉名我掉。又離二十外無別此三隨。更別推求無此三故。是爲一失。」(大正43・410b)

 「述して曰く、 (中略) 二十の随をば煩悩と名づくるには非ず。前に已に説きしが如し。不正知を我不正知と名づけたることを見ず。亦た憍を名づけて我憍と為し、掉を我掉と名づくることを見ず。又二十に離れて外に別に此の三の随無し。更に別に推求するに此の三無きが故に。是れを一の失と為す。」(『述記』第五末・十九右)

 「疏。不見不正知至掉名我掉者。問前師但云以隨惑中不正知等。是此識中我見慢等。誰言隨中説不正知爲我憍等 答若隨惑中不説我憍我掉等者。何理得知。隨中憍等是第七識相應慢等。若言説者教無文故。故爲斯難。」(『演秘』、大正43・903c)

 「疏に、不見不正知というより掉を我掉と名づくるに至るは、問う、前師は但随惑の中の不正知等を以て、是れ此の識の中の我見慢等と云う。誰か随の中に不正知を説いて我憍等と為すと言うや。答う、若し随惑の中に我憍我掉等を説かずんば、何の理をもって随の中の憍等は是れ第七識と相応する慢等なりと知ることを得ん。若し説くと言はば教に文無きが故に、故に斯の難を為す。」(『演秘』第四末・三十二左)

 第一師の第二の過失を挙げ、批判する。

 「此の三は六と十との煩悩に摂めらるる故に。」(『論』第五・十右)

 (我見と我慢と我愛の三は、六と十との煩悩に摂められるものだからである。)

 第一師の説は、前にも述べていますが、我見と我慢と我愛の三は根本煩悩ではなく、随煩悩であるといい、根本煩悩である無明と共ではないと論じていました。この主張を、論拠を以て破斥します。『瑜伽論』巻第八等には六つの根本煩悩が説かれ、『対法論』巻第六等には十の根本煩悩が説かれている。そしてこの三は六或いは十の根本煩悩の中に摂められている。従って、どうして随煩悩というのか。根本煩悩であるから共無明というべきであって、不共無明とはいえない、と。

「論。此三六十煩惱攝故 述曰。依瑜伽等説六根本煩惱對法等論説十根本煩惱。此三皆是若六。若十煩惱所攝。何名隨感」(大正43・410b)

 「述して曰く、瑜伽等に依るに、六の根本煩悩を説き、対法等の論に十の根本煩悩を説く。此の三は皆な是れ若しは六、若しは十の煩悩に摂められたり。何ぞ随惑と名づけん。」(『述記』第五末・十九左)


第二能変  第二・ 二教六理証 その(19) 六理証 その(Ⅹ)

2012-03-23 22:21:31 | 心の構造について

 不共の意味を問う。初に問がだされる。

 「染の意いい恒に四の惑と相応せば、此れと倶なる無明を何ぞ不共と名くるや。」(『論』第五・十右)

 (染の意である末那識は、恒に四の煩悩と相応するといわれている。それならば、恒行不共無明と倶なる無明をどうして不共というのであろうか、倶であるならば、共というはずではないのか。)

  「論。染意恒與至何名不共 述曰。初小乘問。彼宗不共。無惑相應故」(大正43・410b)

 「述して曰く、初に小乗問す。彼の宗は不共と云う、惑と相応すること無きが故と云う。」(『述記』第五末・十八左)

 小乗からの問であると述べています。論拠は『倶舎論』第四巻になります。不共というのは、他の煩悩と共に相応しないという意味である。この考え方からの小乗側からの反論になります。護法が主張する、末那識の存在を証明するため、恒行不共無明の存在を明らかにしているが、末那識は恒に四の煩悩と相応して活動すると言われている。そうであるならば、共無明ではないのか。それを何故、不共無明というのか、という問です。この答えに三説が出されています。最後に述べられます第三師の説(護法の説)が正義とされます。

 第一師の説

 「有義は此れと倶なる我見と慢と愛とは根本煩悩に非ず。不共と名づくと云うに何んが失かあらんと云う。」(『論』第五・十右)

 (有義は言う。これ(恒行不共無明)と倶である我見と我慢と我愛とは、根本煩悩ではないので、不共というのに何の過失があろうか。)

 第一師の主張は、四煩悩の無明(我癡)が根本煩悩であって、その他の煩悩は根本煩悩ではなく、随煩悩であるといい、その為に根本煩悩と倶ではないという意味で不共であるという。

「論。有義此倶至名不共何失 述曰。下有三説。此即初師。此中無明不與根本共。非不與隨共。然此四(四字恐三歟)惑(私云。惑下一有中三之二字)非是根本。是隨惑攝故無此失 何隨惑攝耶 此有二義。一云非二十隨。二十外攝。雜事説。隨有多種故。即諸煩惱分位差別。隨其所應根本分位二云即隨惑。義説不正知爲我見。憍爲我慢。掉爲我愛。無明一種是根本故。」(大正43・410b)

 「述して曰く、下に三説有り。此れは即ち初師なり。此の中の無明は、根本と共ならざるを以て、随と共ならざるには非ず。然るに此の三の惑は是れ根本に非ず。是れ随惑に摂するが故に此の失無し。何の随惑に摂するや。此れに二義有り。一に云く、二十の随には非ず、二十の外に摂す。雑事に説かく。随に多種有るが故に、即ち諸煩悩の分位の差別なり。其の所応に随って、根本の分位なり。二に云く、即ち随惑の義を以て説く。不正知をば我見と為し、憍をば我慢と為し、掉をば我愛と為す。無明の一種は是れ根本なるが故に。」(『述記』第五末・十九右)  

 


第二能変  第二・ 二教六理証 その(18) 六理証 その(Ⅸ)

2012-03-22 21:54:58 | 心の構造について

 「論。此依六識至便無此失 述曰。若謂不共在六識身。亦不應理。所以者何。應許此無明間斷。從所依識故。彼六識恒染。從無明續故。經・頌倶言無明恒起。其六識身許通三性。若六識身有此無明。此便間斷。彼六識身便唯染倶。許與無明恒相應故 攝論無性第一卷云。此於五識無容得有。非不染意識中有。亦非染意識中有。若謂意識由彼煩惱成染等 若復有説。善心倶轉等。若有説。染意倶有別善心等。料簡大精。然彼不共與此下相違。至彼對會。許有末那便無此失 上破小乘。下因解不共之義。」(大正43・410a) 

 「述して曰く、若し不共は六識身に在りと謂はば、亦理に応ぜず。所以は何ん。応に此の無明は間断すと許すべし、所依の識に従うが故に。彼の六識は恒に染なるべし。無明に従って続するが故に。経と頌に倶に無明恒に起こると言へり。其の六識身は三性に通ずと許すを以て、若し六識身に此の無明有らば、此れは便ち間断すべし。彼の六識身は便ち唯染とのみ倶なるべし。無明と恒に相応すと許すが故に。『摂論』無性第一巻に云はく、此れは五識に於て有りということを得べきこと無し。不染の意識の中に有るにも非ず。亦染の意識の中に有るにも非ず。若し意識は彼の煩悩に由って染と成ると謂はば等と云へり。若し復た有るが説かく、善心と倶に転ず等と云へり。若し有るが説かく、染の意と倶に別の善心有り等と云へり。料簡すること大に精し。然るに彼の不共に此の下と相違せり。彼しこに至って対して会せん。末那有りと許すには便ち此の失は無し。上は小乗を破しつ、下は因みに不共の義を解す。」(『述記』第五末・十八右)

 『無性摂論』に『摂論』の(先に述べた)頌を釈して、「此の文は復余の道理を以て染汚の意を成立す。」と述べられています。染汚の意が無かったならば不共無明は成り立たないといい、不共無明は独頭の無明、或いは独行の無明と称して、貪・瞋等の煩悩と相応せず、単独に生起して真実智慧を障える根本無明なのです。独自であることを意味しているのですね。不共無明は五識に於ては理として相応しない。五識自体には障碍となるべきものが無いと。前五識には無明は起こらないといえるけれども、第六識には起こる。しかし起こらない時もある。第六識は染である場合と不染である場合が有る。染の場合は無明であって、不染の場合は無明というわけにはいかない、といわれるわけですが、しかし煩悩具足の凡夫である。それを成り立たしめているのが末那識であるといわれるのです。恒行不共無明が相応しているわけです。末那識に相応している無明です。「不共無明とは、謂はく一切の善と不善と無記と煩悩、随煩悩の位との中に於て、染汚の意と相応して倶に生ずる無明なり。彼若し無ければ大過失を成ず。」(『無性摂論』)と述べられ、小乗の説を破斥しています。これよりの科段から無明だけ特に不共というのは何故か、という不共の義を説明しています。 


第二能変  第二・ 二教六理証 その(17) 六理証 その(Ⅷ)

2012-03-21 22:24:20 | 心の構造について

 護法正義の正しいことを述べ、小乗の説を破斥する。

 「此れは六識に依っていはば、皆成ずることを得ずなんぬ、此れは間断し、彼は恒に染になんぬべきが故に。末那有りと許すときに、便ち此の失無し。」(『論』第五・十右)

 (此れ(恒行不共無明)は、六識によって此れを論証しようとすれば、すべて存在することを論証することは出来ない、何故ならば、此れは間断することになり、彼(六識)は、恒に染になってしまうからである。しかし、末那の存在を承認するときには、この過失はなくなるのである。)

 恒行不共無明の存在を説明する時に、前六識まででは、その存在を説明することが出来ないと述べています。若し、前六識で恒行不共無明を説明しようとすれば、間断のある六識では、善・無記の時もまた染汚の識になる、と。前六識は間断することが有り、恒ではないからです。しかし、恒に活動する末那識の存在を承認すれば、これらの過失はなくなると説明しています。

 以下、『述記』・『了義燈』・『演秘』の了解をうかがいます。今日は原文のみを記します。

 「論。此依六識至便無此失 述曰。若謂不共在六識身。亦不應理。所以者何。應許此無明間斷。從所依識故。彼六識恒染。從無明續故。經・頌倶言無明恒起。其六識身許通三性。若六識身有此無明。此便間斷。彼六識身便唯染倶。許與無明恒相應故 攝論無性第一卷云。此於五識無容得有。非不染意識中有。亦非染意識中有。若謂意識由彼煩惱成染等 若復有説。善心倶轉等。若有説。染意倶有別善心等。料簡大精。然彼不共與此下相違。至彼對會。許有末那便無此失 上破小乘。下因解不共之義」(『述記』第五末・十八右、大正43・410a)

  「明不共無明。攝論第五云。此於五識無容説有。是處無有能對治故。若處有能治。此處有所治。非五識中有彼能治。於此見道不生起故 此意五識在見道位未成無漏。若有不共無明。即在聖位亦名爲醉。與教相違。説異生故。不云聖者亦恒常起 又約菩薩起見道説。爾時第七亦無漏故。非謂二乘所起見道。亦非第六立第七故 問無性之人既無對治。應總不有 答是異生故。又此難意且據有姓起見道説。不爾許五有成事智。應有不共 問攝論復云。亦非染汚意識中有。與餘煩惱共相應時。不共無明名不成故 既爾如何與四*或倶。應初師勝 答彼論叙難云。不共無明亦不成就。與身見等恒相應故。自釋云。汝難不平。非我説彼與餘煩惱不相應故名爲不共。然説彼惑餘處所無故名不共。譬如十八不共佛法。前説與餘煩惱相應名不成者。觀他所立顯彼過故 此意就他薩婆多等云與餘倶不名不共。顯彼自違故爲此難。非我説與餘惑倶時不名不共」(『成唯識論了義燈』第五本・八左、大正43・747a)

 「論。此依六識皆不得成者。如無性論。疏・燈略引。學者猶迷故今具録 論云。此於五識無容説有。是處無有能對治故。若處有能治。此處有所治。非五識中有彼能治。於此見道不生起故 釋曰。以五識中無能治見。故不得有所治無明。言見道者簡餘二道。以成事智佛果有故。問第六應有不共無明。有見道故。答六有通治。非別治故。問七有見道。七相應惑應名見斷。答雖不斷之。伏暫不起亦見力也。由斯見道有平等智。據大乘説 論非於不染意識中有。由彼此應成染性故 釋曰。外人計云。在淨六中。以淨六中無餘煩惱。相應無知得名不共。故難淨意既有無明應成其染 論亦非染汚意識中有。與煩惱共相應時不共無明名不成故 釋曰牒轉計破。意有餘惑方名爲染。不共既與彼意惑倶。便是相應何名不共 論若立意識由彼煩惱成染汚者。今應畢竟成染汚性 釋曰。不共無明恒行不絶。意識何有而得淨時論諸施等心應不成善。彼煩惱相恒相應故 釋曰。破文外救。外救既云意恒成染亦何爽耶。故斯難起 論若復有説善心倶轉有彼煩惱 釋曰。餘小乘救。施等善心與煩惱倶。由是不共無明恒行竟有何失 論是即一向與彼相應。餘不得有。此染意識引生對治不應道理 釋曰。正難前救。意既一向恒有無明。無明外餘善等之法此意非有。既無信等意名世善而不得成。又意恒染不可能引無漏善生。所治不爲能治因故。故出世善亦不得有 論若有説言染汚意倶有別善心能引對治。能治生故所治即滅應正道理者 釋曰。顯正義也。有大乘説。染汚意外有別世善。世善能引能治見道。應彼相生治障理也 論若爾所立不共無明亦不成就。與身見等所餘煩惱恒相應故 釋曰。此外難也。其難意云。七倶無明有餘見等三惑相應。應亦不得名爲不共。若雖見倶猶名不共。我前染意倶時無明。雖餘惑倶何乃不許名爲不共 論汝難不平。非我説彼與餘煩惱不相應故名爲不共。然説彼惑餘處所無故名不共。譬如十八不共佛法。前説與餘煩惱相應名不成者。觀他所立顯彼過故釋曰。答前外難。平猶齊也。前觀汝宗言餘惑倶失不共號。非我大乘許是義也」(『成唯識論演秘』第四末・三十左、大正43・903b~c)