触食の体について説明します。
「此の触は、諸識と相応すと雖も、六識に属せる者、食の義偏に勝れたり。麤顕(ソケン。はっきりと認識されること)の境に触し、喜と楽と及び順益の捨とを摂受して、資養すること勝れたるが故に。」(『論』第三・初右)
諸識は、八識を指す、
本科段でいう「捨」は身を順益する捨受である。
触食の触は遍行の触の心所で、触食の体になります。「触食、境に触るるを以て体と為す。」
問題は、八識全体にかかるのか、或はどの識にかかるのか、或は複数の識にかかるのか、ということです。
意訳しますと、この触の心所は、八識と相応するとはいっても、六識に属するものが食という意味・内容では最も勝れている。はっきりと認識される対象に触れ、喜受と楽受そして身を順益する捨受とを養い、助け、資し養い成長させることが他の識よりも勝れているからである。
他の識は、第八識及び第七識ですが、この二識は麤顕ではなく微細である為に、この識と相応する触の心所は喜受・楽受を生起させることはないのです。そして捨受とは相応しますが、身を順益するものではなく、分別を起さないという意味を持っているにすぎないのです。
また、食は身を順益するものですから、順益させない苦受や憂受及び順益新あい捨受は身を資養することはありませんので相応しません。
つまり、六識の中でも、喜受と楽受と身を順益する捨受と相応する触の心所のみが触食の体となるのであると説いています。
「いただきます」というのは身を養うということが第一義ですね。食することに於いて、喜びが生じ、楽しみが生れ、身体を順益して資養することなんですね。
『述記』第四末・四右に、詳しく釈されています。