時の移ろいは早いものですね。暑さ寒さも彼岸まで、と詠われていますが、お彼岸を過ぎると一気に桜の開花となりました。今週一週間どうかなと思いますが、桜を過ぎた頃に、お釈迦様の誕生会を迎えます。「天上天下唯我独尊」と、自分一人が尊いというのではなく、お一人お一人が尊いいのちを授かって生まれてきたということですね。それを独尊子と云われているのでしょう。
昨日は、お釈迦様の誕生会(降誕会・灌仏会)の意味についてお話をさせていただきました。その前に医大生が見えておられましたので、仏教と医療の関わりについて、これは五明処の中で明らかにされていることなのですが、菩薩が正しい教えを求める時に、修めなければならないとされた学道なんですね。それには五つの領域があって、内明処(仏教)・因明処(論理学)・声明処(文法学)・医方明処(医学)・工業明処(世間の営み)という人間の営みにとっての重要課題を担って菩薩は修行に勤められたのですね。人々の病苦を治することも菩薩の大きな課題でした。現在で云えば、ターミナルケア&グリーフケアについて話させていただいている中で、老・病・死を受け入れていく医療の在り方が現在問われていることではないのでしょうか、ということを問題提起させていただきました。
唐招提寺を開かれた律僧の鑑真和上は渡来の際には何百種類という薬草をもたらされたと云われています。当然、病気を治することも大事であったでしょうが、病に伴う苦の除去が最大の目的ではなかったのでしょうか。
(歴史的には、医療施設として、聖徳太子が隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があります。(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。中国では唐代に設置されたものが、日本同様に社会福祉のはしりとして紹介される場合がある(収容型施設のはしりであることには間違いない)。日本では養老7年(723年)、皇太子妃時代の光明皇后が興福寺に施薬院と悲田院を設置したとの記録があり(『扶桑略記』同年条)、これが記録上最古のものである。医療ボランテイア・社会福祉施設・ビハーラはもともと仏教の慈悲の精神から生まれたもので、菩薩(僧侶)は当然関わっていかなければならない重要課題であった事には間違いありませんね。)
追記
「云何が医方明処なる、まさに知るべし、此の明に略して四種ありと、謂く病相に於いて善巧なり、病因に於いて善巧なり、已生の病断滅するに於いて善巧なり、已断の病後に更に生ぜざる方便において善巧なるなり。是の如きの善巧、疲労義を分別すること経の如く応に知るべし。」(『瑜伽論』巻第十五)
「「医者がまず最初に病気の治療に入ったなら,病気自体が何であるかを考える.その後に
食べ物など,病気の原因が何から生じたかという病気の基体を考える.それから,その病
気は治療してよいものなのか,しなくてもよいものなのか,また病気がない[状態はもと
もとどうだったのか]を考える.そのあとにその病気[に効く]薬は何かと薬について考
える.・・・引き続いて医者を医王に譬え,仏陀もまた無上の医者であることを説く.
「たとえば,四支分をそなえた医者は一切の痛みを除く王にふさわしく,王の名誉をそな
えており,医王に数えられるものである.四支分とは何かといえば,疾病(gnod)に対し
て精通していること(mkhas pa),疾病の原因に対して精通していること,疾病が断じら
れている[状態]に対して精通していること,疾病を断じてからあとにもう生じないとい
うことに対して精通していることである.以上のような四支分をそなえた如来・阿羅漢・
正等覚の仏陀もまた,無上の医者であり,一切の痛みを除くものといわれる」(76b1-4)
ここに見られる四支分は,『喩伽論』十五「医方明処を釈す」で,医学とは何か
について説く際の,四種の定義に基づいていると考えられる。」(「印度仏教学研究第49巻第2号。」『義決択註』より引用)