唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

大坂坊主BAR staff 日誌 (8)

2015-03-29 20:34:03 | 大坂坊主BAR staff 日誌

        
 時の移ろいは早いものですね。暑さ寒さも彼岸まで、と詠われていますが、お彼岸を過ぎると一気に桜の開花となりました。今週一週間どうかなと思いますが、桜を過ぎた頃に、お釈迦様の誕生会を迎えます。「天上天下唯我独尊」と、自分一人が尊いというのではなく、お一人お一人が尊いいのちを授かって生まれてきたということですね。それを独尊子と云われているのでしょう。
 昨日は、お釈迦様の誕生会(降誕会・灌仏会)の意味についてお話をさせていただきました。その前に医大生が見えておられましたので、仏教と医療の関わりについて、これは五明処の中で明らかにされていることなのですが、菩薩が正しい教えを求める時に、修めなければならないとされた学道なんですね。それには五つの領域があって、内明処(仏教)・因明処(論理学)・声明処(文法学)・医方明処(医学)・工業明処(世間の営み)という人間の営みにとっての重要課題を担って菩薩は修行に勤められたのですね。人々の病苦を治することも菩薩の大きな課題でした。現在で云えば、ターミナルケア&グリーフケアについて話させていただいている中で、老・病・死を受け入れていく医療の在り方が現在問われていることではないのでしょうか、ということを問題提起させていただきました。
 唐招提寺を開かれた律僧の鑑真和上は渡来の際には何百種類という薬草をもたらされたと云われています。当然、病気を治することも大事であったでしょうが、病に伴う苦の除去が最大の目的ではなかったのでしょうか。
 (歴史的には、医療施設として、聖徳太子が隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があります。(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。中国では唐代に設置されたものが、日本同様に社会福祉のはしりとして紹介される場合がある(収容型施設のはしりであることには間違いない)。日本では養老7年(723年)、皇太子妃時代の光明皇后が興福寺に施薬院と悲田院を設置したとの記録があり(『扶桑略記』同年条)、これが記録上最古のものである。医療ボランテイア・社会福祉施設・ビハーラはもともと仏教の慈悲の精神から生まれたもので、菩薩(僧侶)は当然関わっていかなければならない重要課題であった事には間違いありませんね。)

 追記
 「云何が医方明処なる、まさに知るべし、此の明に略して四種ありと、謂く病相に於いて善巧なり、病因に於いて善巧なり、已生の病断滅するに於いて善巧なり、已断の病後に更に生ぜざる方便において善巧なるなり。是の如きの善巧、疲労義を分別すること経の如く応に知るべし。」(『瑜伽論』巻第十五)
 「「医者がまず最初に病気の治療に入ったなら,病気自体が何であるかを考える.その後に
食べ物など,病気の原因が何から生じたかという病気の基体を考える.それから,その病
気は治療してよいものなのか,しなくてもよいものなのか,また病気がない[状態はもと
もとどうだったのか]を考える.そのあとにその病気[に効く]薬は何かと薬について考
える.・・・引き続いて医者を医王に譬え,仏陀もまた無上の医者であることを説く.
「たとえば,四支分をそなえた医者は一切の痛みを除く王にふさわしく,王の名誉をそな
えており,医王に数えられるものである.四支分とは何かといえば,疾病(gnod)に対し
て精通していること(mkhas pa),疾病の原因に対して精通していること,疾病が断じら
れている[状態]に対して精通していること,疾病を断じてからあとにもう生じないとい
うことに対して精通していることである.以上のような四支分をそなえた如来・阿羅漢・
正等覚の仏陀もまた,無上の医者であり,一切の痛みを除くものといわれる」(76b1-4)
ここに見られる四支分は,『喩伽論』十五「医方明処を釈す」で,医学とは何か
について説く際の,四種の定義に基づいていると考えられる。」(「印度仏教学研究第49巻第2号。」『義決択註』より引用)

大坂坊主BAR staff 日誌 (7)

2015-03-21 09:39:31 | 大坂坊主BAR staff 日誌
  

今日は春彼岸の中日、各地の寺院で彼岸会法要が厳修されます。彼岸の意味について考えてみましょう。

 昨日は坊主BARstaffでした。八時ごろに店に入りましたが、先行して、お客様が三名お見えでした。塚本師が見えておられましたので、お相手をしていただいておりました。お客様は、わざわざ岸和田から遠路はるばる坊主BARへときてくださいました、特養で看護師をされている同僚の方々でした。塚本師からは自分の経験を踏まえて、ホスピス・ビハーラについて詳しく語っていただきました。なによりも、仏教介護について、介護の目線はどこにあるのか、というお話に、皆さん熱心に聞いておられました。
 トークtimeでは、現場で抱えられている問題点をいっていただきました。介護に向き合う姿勢には、特に問題点ないということことだったのですが、一番の問題は人間関係で、指導する立場と、指導される立場での軋轢で悩んでいますと赤裸々に語っていただきました。指導する立場の方は年下で、指導される立場の方は年上ということもあって非常に難しいです、と。そして、お互いの意思疎通が図れなかった時、介護に影響が出ますと、リアルに反応が外に向かうことを懸念されておられました。
 そして、ものすごく深い問題も語っていただきました。親子の問題なのですが、この方は結婚もされ、お子様もおられるのですが、母親となって子育てのなかで、自分の半生を振り返られているのです。大変口にだして言えないような悩みを吐露していただきました。絶句するような、簡単には答えられない。人の事だからたやすく言えると云われてしまいそうな、人間が抱えている闇の部分を浮き彫りにしていただきました。坊主BARにまで足を運んでいただくまでには、相当悩まれたと思います。話さなくてもよかったとう選択肢もあったはずですが、どうしてもは話さなくならない、しかし話してもどうにもならないという苦悶の中からの質問でありました。内容は伏せておきますが、どうしても超えられない我執、自分が立ってしまうと云う問題でした。自分から頭が下げれない。私も苦しんだけれども、それ以上に(貴女)も苦しまれたのですね、辛かったでしょうね、と云えない問題です。
 私たちは、私達、私という立場で、物事を判断し、善悪の価値観をもっていますから、悪は悪として切り刻むということを平気で行います。それも知らず知らずにですね。法を犯しているわけではありませんので罪にはならないのですが、そのことが自分を苦しめてくることに気づかないという愚かさがあります。「愚」の自覚。愚が仏教が教えてきた救済の事実なのでなはいかなと思いました。ものすごく教えられました。ありがとうございます。
 入れ替わりに、大阪の方二名と、奈良の方にご来店をいただきました。会社の同僚ということでしたが、若い女性のお三方にとって、坊さん、とは?なに。という感じでした。それていうのも、一人の女性が、先日永平寺に取材にいかれたそうです。客観的に取材をする立場なのですが、若い修行僧の凛々しい姿に圧倒されました、と云っておられました。「何がこのような凛々しい姿にするのでしょう」という問いをもっておられました。
 仏事に関する質問もしていただきましたが、仏事を通して、触れていかなければならない「自分と云う存在」、仏教的に云えば「衆生という存在」について少し語らせていただきました。「自分は自分に遇う為に生まれてきた」ということ。外的条件は「自分が自分に遇うため」の御縁であるような意味のことを伝えました。
 皆さん、それぞれ深い問題をもって暮らしておられます。問題を外に投げ出して問われる方、内に覆われたまま聞いておられる方様々ですが、坊主BARに足を運んでいただいとこと、それが仏縁ですから、仏縁を大切にしていただいて日常の問題から、自分を問い、自分という存在に気づいていただきといと思いました。
 来週は、28日の土曜日staffの予定です。

大坂坊主BAR staff 日誌 (7)

2015-03-08 00:43:15 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 
 人間関係の難しさが話題になった一日でした。どうしても自分が中心になって、自分の意見をおし通そうとしますから軋轢が生じてきます。そうかといって、自分が折れると相手の言いなりになるのではないのかという不安が顔をのぞかせます。スタンスが違うと云ってしまえばそれだけなのですが、自分を失いたくない、自分が壊れるのが嫌だ、或は何故自分は相手の言いなりにならなくてはいけないのかという疑念が渦巻いて、そのストレスが弱い相手に差し向けられることになりますね。
 そういえば、私はいつも弱者を探しているのかもしれません。弱者を探して自分を立てている、ストレスを発散させているとしか言いようがありません。ストレスを発散される立場の人はもちませんね。そういう目線も持てないほど我に執われている心は強烈なんですね。
 あの人は独裁者、あの人は自己中、そしたら私は何者?私は独裁者でもなく、自己中でもなく物わかりのいい人なのでしょうか。私の中で、壊れてはいけないものを持っています。
 「仏教は何を教えているのですか」という問いも出てきました。端的に仏教は「諸法無我・諸行無常」を教えています、と答えましたが、一瞬たりとも同じ時間はない、瞬時瞬時に新しい命の息吹が生み出されているのです。そこには固定化された、或は実体化された我は存在しません。道理なんですね。道理に反しますと、執着するべき何物もない中で執われていく心が苦しみを生み出してくるのではないでしょうかね。
 「私はすぐに悩んでしまうのですが何故でしょうか」という質問もいただきました。そして何故悩んでしまうのか一緒に考えてみました。悩みは、こうあったら悩まないと云う答えを自分の中で作りあげているんですね。こうありたいという欲求があるのでしょう。それが見えてこない。当たり前の事なのですが、そういうことを考える教えに触れていなかった、教えられていなかったというのが私たちの側の責任ですね。執われている心を解放してみると案外楽なのかもしれません。しかし、怖れ、自分がなくなってしまうという恐怖から、執われている心を手放すことはありません。ここに深い問題が隠されていますが、そんな深い問題を教えていただいた貴重な時間でありました。
 仏教に出遇ってください。
 仏教を学んでください。
 必ず心は解放されます。
 そして今までの人生に意味を見いだし、「これでよし」という生き方が証しされます。 
 問いは答えを待ち続けています。問から逃げずに、問いを受けとめて、仏法に尋ねる歩みを積み重ねていきたいものです。
次週は13日の金曜日に入ります。よろしくお願いいたします。m(__)m

大坂坊主BAR staff 日誌 (6)

2015-02-28 16:09:14 | 大坂坊主BAR staff 日誌
 
「うれしいひなまつり 」リトミック・季節の歌


 4月8日はお釈迦様の誕生会
 龍谷大学学友会宗教局主催 灌仏会(花まつり)2014


3月3日はひな祭りですが、4月の8日はお釈迦様がお誕生になられた日で、花まつりとして祝っています。
 


 先日お見えになられましたお客様からお写真を送っていただきました。紙面を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 

 今日(日付は変わりました。2月28日のことです。)は早くから女性二名のお客様に来店していただきました。いろんな話をさせていただく中で、孤独という問題が出てきました。友人たちは結婚をして家庭をもっているが、私はまだ独身で、このままいくと、いずれ一人ぼっちになってしまう。そんなことを考えていたら孤独に耐えられない自分がいると気づきました、どうしたら孤独と共存できるのでしょうか、ということなのです。週末は法話タイムはないのですが、店主の妙様が法話されたらいかがですかと問いかけられましたので、孤独という問いに対して法話をさせていただきました。皆様方はどのように答えられるのでしょうか。
 坊主BARのいいところは、素朴な質問が素直に出てくることでしょうか。こんなことを聞いたら恥ずかしい。いまさら仏教とは何?とも聞けない、ということがなのですね。時には大外から変化球が投げ出されてきます。ズバットです。迂闊な受け答えはできません、本当に真摯に、真剣に取り組んでいかなければならない場所、それが坊主BARなんですね。いい勉強をさせていただいています。
  
 次回は3月7日(土曜日)に入らさせていただきます。 
 

大坂坊主BAR staff 日誌 (5)

2015-02-14 16:58:45 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 「光陰矢のごとし」とは先人の智慧ですね。昨日もすこし誕生に関する話の中で、お客様から「どうして仏教を学ぼうとされたのですか」という質問をいただきました。
 「これは僕の生い立ちと関係するのですが、母を早くに亡くしましたのと、父が再婚をしまして、一子を授かることになりました。しかし生まれつき病弱で一年たらずでこの世を去ることになったんですね。母が23歳、弟が1歳で「夕べに白骨となれる身」を教えていただいていたのです。おそらく自分の記憶の中では過ぎ去った過去の出来事ということでしょうが、まだ幼少の私の心に与えた衝撃は少なからず大きかったように思えます。「いつ死ぬか分からん」という衝動に駆られたのが高校生の時でした。「死」それは恐怖そのものでしたね。はじめて生と死が合体して、生きることと、死ぬこととは一つのこととして自分に迫ってきたんです。「生きるには死を見つめないと本当に生きることにはならない」という疑問が仏教を学ぶ原点だったように思います。それから幾星霜、原点を見つめることなく生の謳歌の為に走りだし、紆余曲折リセットされた人生に再び光が指し込んだのが我が子の誕生だったんです。この時の衝撃は走馬灯の如く、自分が生み出されてきた背景を知らされることとなり、僕の中では、生と死はいつも人生の岐路に立った時に問い質されることになるんですね。そのことは、否応なく死と向き合わされた時、我が子の誕生という時に於いて、生きることの意味を深く考えさせてくれる縁となりました。無茶苦茶な生きざまの中で、やっぱり手を合わせていくことのできる人生を送りたいなあと思っていることです。」
 このような趣旨のことを述べました。改めて生死の原点を見つめ直すいい御縁をいただきました。感謝です。
 それから少しの時間が経ち、妙ちゃんが「河内さん少し外に出ておいてくれますか」と云われたものですから4・5分でしょうかね、やがて扉を開けますと店内は照明がおとされ、Happybirthdayの音楽とともにbirthdaycakeが用意されていまして、はからずもはからずもです。21日が誕生日なんですが、来週はstaffに入る予定がありませんでしたので、店主の妙ちゃんと園田君がこの日に誕生会の演出をしてくださったのですね。ありがとう。つっちーもですね、高校時代の同級生、花の女子大生5人組で駆けつけてくれました。重ね重ねありがとう。その他のお客様からもお祝いのお言葉をいただきました。最良の日とはこのようなことを指すのでしょうね。巡り合いの人生、不思議な不思議な時間を共有して過ごし会うことの尊さを教えていただきました。
 明日はお釈迦様が涅槃に入られた時であります。釈尊が約2500年前に涅槃に入られた日、入涅槃といいます。涅槃という意味は煩悩の火が消えた状態(ニルバーナ)をいいます。実際には成道された時をもって涅槃というのが正しいのかもしれません。正しい生き方を身をもって教えてくださいました。そしてなぜ苦悩をするのかの原因をつきとめてくださいました。十二支縁起という形で教えられていますが根本の迷いは無明であると。そして「無明」は仏陀釈尊によって見破られたのです。自分の外に問題があるのではない。自分自身に問題があるのだと。私たちは環境は私の外にあると思っています。そしてその環境に執着を起こして苦悩をします。外なる環境が私を苦しめるのだと思っていますが果たしてそれは本当なのでしょうか。
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大坂坊主BAR staff 日誌等 (4)

2015-02-08 10:37:51 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 昨日の坊主BARでの一会は、本川さんがコメントを書いてくださっていますので、本川さんの投稿を代用して日誌とさせていただきます。
 本川さんの投稿
 「今日は陶芸終わりで、大阪第4ビルの俺の大関さんで晩酌、その後坊主バーへ。いつも通り河内さんや常連の園田さん、妙さんと世間話する。
自分の描いてる絵のこと等も聞いてもらいました。 後、久しぶりのお客さんや新規の美人なお客さんもおられました(^-^)」
 
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「妙さんから、本日はよろしくお願いします」とメールが入り、「こちらこそ、八時前には入ります」と返事を返したのですが、少し遅れての出仕になりました。本川さんと、Tちゃんが先に見えていまして妙さんと談話中でした。本川さんは感性の鋭いお人です。ブログの内容についてなんですが、原典と現代語訳について突っ込みもかなりきついもの(核心に触れたものです)がありました。でも仰っていただいていることは当然のここと思っています。ただ僕には其の力量がないというだけなんですが、出来るだけ今の言葉で表現できたらいいと思いました。学びの大切さを教えていただきました。ありがとうございます。
 TちゃんはR大の仏教学の学生さんなんですが、在家の方で、とてもよく仏教を学ばれています。「田畑先生の本を読まれますか」と提示された冊子は『現代と親鸞』第十二号に掲載されているものだったんです。全然目を通していなかったですね。「あっちゃ」と思いました。
 そこに二人連れのカップルが見えられたのですが、偶然か必然かR大の卒業生でした。Tちゃんは仏教学でしたが、彼は経営学と云っておられました。九年来付き合ってきた彼女とこの四月に結婚することになりましたと仰っていただきました。おめでとうございます。とってもチャーミングな美しい彼女でした。徳之島出身と云われていましたが、純朴さを内に秘めた素敵なお嬢さんでした、末永く幸せな家庭を築かれることを応援したいと思います。
 その後は二人組の女性が来店。「看護師としていろんな悩み事があるんです」と。聞いてみますと、職場での人間関係なんですね。三人寄ると派閥が出来ると云われているくらい、私の思いで徒党を組むことが日常茶飯事なんですね。僕は立場の逆転という見方で、人間関係に取り組んで見られたらとお答えをしておきました。
 閉店後は近くのお店で少し休憩を取り帰宅してきました。今週は金曜日(13日)がstaffです。よろしくお願いいたします。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 本日は旭区千林の真宗大谷派 正厳寺様で『成唯識論』講義を担当させていただきます。有縁の方がの御参集よろしくお願いします。<m(__)m>
 菊池師のFBより転載させていただきます。
 
 
 【唯識学習会】
本日15時~17時
於:正厳寺 講師:河内 勉師
*参加自由*
親鸞聖人の教えに触れた時に、人間は無始以来ずっと悩みつづけ、いかにしたらこの悩みから脱却することが出来るのかを問うてきたということがおぼろげながら知り得ることができました。
阿頼耶識に触れても悩みや苦しみは消えることは無いでしょうが、何故悩んだり、苦しんだりするのかということは解り得ると思います。残念ながら、と。いってもいいのでしょうが、悩みや苦しみを通さないと仏法に触れることができないのですね。いうならば、悩みや苦しみが有るということが仏法に触れていることなんです。[河内師ブログ引用] 南無阿彌陀佛

 菊池 光高
 昨日は、後輩の伴侶の訃報に驚かされました。
仕事柄『歳に不足は無い』とか『この若さで』と色々な言葉を聞きます。
《死》を必然と生きる身に仏法は今を生きる覚悟を教えてくれます。今日の会座が正定聚たらん事を 南無阿弥陀仏

 河内 勉
 おはようございます。身近な方の訃報の報せには、老少不定とはいえ心にぽっかりと穴か空いたような虚脱感にさいなまれます。
死は遥か彼方、いずれは死するであろうという問題ではないと、身を持って教えていただいた慈悲の心ですね。
そのお心に摂する時、計らずも、死する身をどう生きるのか、仏界に至る道中の人間界に在って、成さねばならないこととは何かが教えられているように思いました。
今日の一会が、私の帰るべき依処が明らかにならんことを願います。
ご恩に報いることは、ひとえに帰依処を明らかする歩みではないのか、私の死を無駄にすることは許せることではないと教えられていることでしょう。南無阿弥陀仏
 本日もご聴聞の程よろしくお願いいたします。

大坂坊主BAR staff日誌 (3)

2015-01-31 21:19:40 | 大坂坊主BAR staff 日誌
 
 昨日は午前中は雨、そしてとても肌寒い日でした。坊主BARには月に三度位入らさせていただいています。いろんなジャンルの人がお見えになり、質問等も多岐にわたります。迂闊な受け答えは出来ませんが、できるだけ自分にとって解る範囲で応答させていただき、勉強させていただいています。
 『スカット念仏』の著者でもあり、小松大谷高校の教諭でもあられます河合清閑師が、関空からインドネシア・バリ島の仏教遺跡を訪ねられる途中に立ち寄ってくださいました。いつも明るく無邪気な性格の師には華やかさと、人を魅了する両方を兼ね備えた魅力ある方ですね。昨日ももう一度真宗を勉強したいんや、と仰っておられましたが、飽くなき探求心といいますか、菩提心ですね。素晴らしいですね。
 菩提心は平易な言葉で表現しますと、「何故生きているんや」を問う歩みだと思いますね。今です。仏教では現行していると捉えますが、現在行じている、命は働いている、その意味を問うことだと思っています。今において、「生まれてきた意味」と、今において、「死することの意味」が見いだせてくるんではないでしょうか。
 
 そして昨日はもうひとかた、素晴らしい人にお会いすることが出来ました。僕にとってはたまたまの御縁なのですが、河合師がFB友達の大竹淳司様をお連れ下さいました。大竹氏は宗教全般に通じられ、その中から真宗はほんまもんや、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」、親鸞には立教開宗の意志は微塵もなかったことに敬服し真宗の教えを聞いていますと仰っておられました。金融関係のお仕事をされ、文楽や大衆演劇に精通されている多彩な方で、在野にはこのような方がおいでになるんやなぁと、改めて聖教に向き合わなあかんなと強烈な刺激を受けました。ありがとうございました。
 それからもう一つ、坊主BARにいく楽しみがあるんです。俗なことで失礼しますが、お昼をいただいてから23時過ぎまではお腹がもたないので、坊主BARに向かう途中で食事をいただきます。これが楽しみなんです。不謹慎ながら少々お酒も入ります。昨日は園田君ともつ鍋をいただきました。天六交差点西側の河野工務店が入居されていますビルの一階の博多もつ鍋屋さんです。こじんまりとした店構えで愛想のいい御夫婦かな?で切り盛りされている店でしたがとても美味しかったです。もつ鍋はこの店できまりです。乄のうどんも美味しかった。出汁がいいんでしょうね。ひれ酒ののどごしたまりませんね。 

 

大坂坊主BAR staff日誌 (3)

2015-01-17 22:56:16 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 昨日は職場からチャリ走行で坊主BARに向かいました。途中中崎町商店街に店を構えておられるラーメン店の伊吹さんにお邪魔しました。ベースのスープは香川県観音寺特産の伊吹島いりこをふんだんにに使用したアッサリ系です。麺もこしが有ってさすが四国の麺という感じでした。トッピングの鳴門わかめも美味しかったです。腹ごしらえも済ませていざ出陣。
 世間のイメージでは、坊主BARというと何か怪しいと云う雰囲気があるようですが、中身はとっても真面目に仏道を求め、仏教を世の中に知ってもらいたいと云う願いに生きておられる僧侶方の節なる思いに依って成り立っている場であります。真面目に相談されるお客様、或はひやかしで、僧侶の能力を試そうとされるお客様等々様々ですが、僕は昨日心を打たれた質問は、震災で亡くなって逝かれた人のことをどう考えたらいいのかということでした。ある日突然、なんの前触れもなく襲ってきた地震と津波によって多くの人たちが犠牲になられた。生まれてこのかた真面目に生きてきた、それがこの結果か、どうにも考えようがない。この事実をどのように受け止めたらいいのか私にはわからない、ということでした。理からいうと、何が起こっても不思議ではない世界を生きています。無常です。これを受け止めることが出来ないのですね。他の人の死と見た時には、自分とつながりを持ちませんから悲惨な出来事として処理してしまいます。私は大阪に住んでいますから震災とはほど遠いわけです。気持からすれば不謹慎かもしれませんが、お気の毒にとしかいいようがないのです。裏返せば、自分の災難でなくてよかったと安堵しています。こんな気持で何故亡くなって逝かれたのか問うことができるでしょうか。私は問うことの不謹慎さを思わずにはいられません。
 他の人の死、命あるものの死は私とは無関係なのでしょうか。お前はどう思っているのかという切っ先がのど元に迫ってきたように感じました。自分はそのような状況の中で後悔のない生き方をしているのか、生死を時間の隔ての中で、死は彼方のことであり、今は生を謳歌するとう姿勢でいるのではないのか。亡くなっていかれた尊き命は、「貴方は今死して悔いのない生き方をしておられますか」と、私達の死を無駄にしないでほしい、私達の無念を受けとめていただきたい。何が起っても不思議ではない世界で、死して悔いがない今を生きていただきたいという心の叫びを私は聞くことができるのか。根源的な問いとして、お客様の素朴な質問から感じました。生きるということは真剣勝負なんですね。


 月曜日は『成唯識論講義』です。初能変・所縁行相門に入ります。八尾市本町二丁目聞成坊様にて午後三時からです。

大坂坊主BARstaff日誌 (2)

2015-01-12 20:12:20 | 大坂坊主BAR staff 日誌
  昨日 坊主BARstaffは長谷さんでしたが、正厳寺様での講座修了し、懇親会も早く終わりましたので、講座に参加してくれていました園田君を誘って坊主BARに遊びにいきました。長谷さんが終電の都合で帰られた後、バトンをひきついでstaffをさせていただきました。そこで明日誕生日という女性が見えておられましたので、誕生の意義についてお話をさせていただきました。
 本日の投稿は、先年の7月20日八尾の聞成坊さんで話させていただきました『人として生をうけて』を掲載させていただきます。

 『人として生をうけて』 法話  河内 勉 師   
 
 おはようございます。去年もこちらに寄せてもらったのですけれども、去年はかなり緊張しておりました。それで今年はちょっては楽に行くかなと思ったのですが、緊張がだんだん昂じてきました。何を喋っていいのか、また皆さんに何を伝えていったらいいのか、ということがはっきりしないままここにいます。暁天講座ということで朝早くから有り難いことで、ともかく今日聞いていただくことは、自分というものを通して聞法、法を聞くということはいったいどういう意味があるのかな、ということを少しでも自分の中に確かめながら、それを語れればいいかなと思っております。
先週こちらの学習会の時、「河内さん、今度の暁天講座の時、自分の事を話ししなけりゃならんよ」と言われたのです。それまではちょっとは教義的なこともしゃべらなければならないかなと思っておったのですけれども…。いざ、自分の事を語らねばいかんよ、と言われたとき、去年もある一定のことは喋らせてもらったのですけれども、よくよく考えてみますと、自分が聞法する、自分でお寺に足を運んで聞く、という原点は一体どこにあったのかな、こういうことを考えざるをえませんでした。
それで去年も少しお話をいたしましたが、重ならないようにお話をしたいと思います。私は19歳の折に、浄土真宗のお寺に足を運んでいるということはありましたが、仏法を聞くということはなかったのです。けれども、坊さんのすすめで、その後そこの仏教青年会にお邪魔することになり、先生方のお話を聞くということになったのです。それが入り口には違いないのですけれども、本当にそこから仏法を聞く歩みが始まったのかということを自分の中で考えてみたときに、確かにそれはそれで間違いのないことなのですが・・・けれども、私が21歳の時に、学校を卒業し、社会に出たわけです。それまでは親の庇護のもとで何をするにしても自由である。親が右を向けと言っても自分は左に行っても学費も出してもらえるし、小遣いもらえるし、時間はありますし、ということで好きなようにしておったわけです。しかし社会に出るとそうはなかなかうまくいかなかった。しかしまだまだ卒業したけれども浄土真宗の教えをもっと聞きたいということもありまして、会社を辞めてもう一度学校へ行き直したということがあるのです。しかしそういう生活は長続きしなかった。
 その間いろいろ事情がありまして、事情がありましてというのは私の生涯に閉じ込めておくことで、そこの蓋をこじ開けるということはやはりしてはならないということが自分の中の決め事としてあったのです。けれどもそこを一つ語っていかないと自分の事というか、聞法するということの大切なことが欠けてしまう。今回ご住職に言われたことがご縁となって、そのようなことをじつは思ったのです。
 それが何かと言いますと、21歳で学校を卒業したのですけれども、卒業する以前からですね、平野の願生寺さんにはよく通っていました。そこで仲野良俊先生にお会いして、こちらでも講義をさせてもらっています『唯識』という学問を聞かせていただきました。また、こちらの八尾別院にも毎月、高原覚正先生がお見えになっておられまして、高原先生にも随分厳しく教えられてまいりました。そのようなことがありまして、それで自分が生きていくのはこれしかないと、真宗の中に自分が身を置いてそれで生涯自分を尽くしていこう、これしかない、というひとつの思いがあったのです。
 それで私がお世話になっていたお寺から「この道で歩んでいくのだったら君の面倒をみましょう」というお話がありました。ところが、私は家が商売人であり、一人っ子なのです。跡取りがないということで親が大反対したわけです。父は「かなわん。お寺に入ってしまうということは許さない」と。去年もお話ししましたけれども、母親が小さいころ亡くなって父がなかなか面倒みられないということで、親戚の叔母のところに預けられてそこで育てられました。父は叔母のところに行くわけです。「こういうふうに育てたのはお前に責任がある、どうしてくれるんや」と。それで叔母は私に「頼むからそんなことを言わんといてくれ」と泣き付くということがありました。私はそれに逆らえなかったです。小さいときから大きくさせてもらって、すごく恩を感じていましたしね。このおばさんのことは百パーセント聞かなければならないと。ないがしろにするというか、振り切っていく勇気はなかったですね。それでこの話はあきらめたのです。そんなに簡単にあきらめることができるものかということなのですけれども、でも仕方がないということであきらめました。これをきっかけに一切仏教というか真宗というものから足が遠のいてしまったのです。こんなことがあったのです。「仕方がない、あきらめよう」と思ったのですが、自分では思いもよらなかったことなんです、「あきらめられん」ということがあったのでしょうね。
 しかし私がいま感じていることは、私の聞法はそこから始まったのだなあと思うのです。お寺を離れたところから、離れて何があったかと言ったら、いったん自分は道を決めたわけです、この道で行くのだと。これしか自分の生きていく道はないのだと。若気の至りもあったでしょうけれど。しかしそのことが180度回転してしまったら、世間のうちに身を置くことになる。ですから迷路にさまよったことになるのかなあと、いまから考えると思います。その頃はそうは思っていなかったのです。そして、自分では全く気がついていないのだと思いますが、気がつかないまま、「違うな」と、「こんなはずではなかったなあ」ということがあったのだと思います。ですからその反動として遊びまくったということもあります。金もうけに走った。逆に何かをつかみたいということだと思います。その中から自分がこうあるべきだなと自分が思えば思うほど大きな反動が・・・、だからこそ20代の頃は遊び回ったのだと思いますね。
 でもそういう生活というのは長続きしないということがすぐに表れました。20代30代の元気盛りの時はそれでもいい。ちょうど今の時期とは違い、バブルだったのです。ようするに儲かった。何をやっても儲かった。使っても儲かった。銀行金利が高かったですから勝手にお金が増えた。そういう時代です。証券もどんどん右肩上がりで上がっていった。そういうときは有頂天ということが分からない。上に上がったら反動でかならず落ちるのです。落ちるということは一切考えないです。商売をやっていてもそうですし、株式投資をやっていてもそうです。損をするということを考えない。儲かることしか考えない。儲かったら使うのです。使ったら減ります。すると落ちたときは何ともならない。オイルショックの時でしょうか、下がったのです。そうすると商売は毎月毎月売り上げが落ちるのです。落ちるけれども気がつかないのです。儲かっている時の幻想というのか、影が付きまとっていると言っていいのか、そういうことがありまして、損をしたということがあまり感じられない。そういう生活が20年ほど続きました。しかしそういう生活はバブルの崩壊とともに崩壊しました。そこのところの話をすると長くなるので割愛します。ともかく、バブルの崩壊とともに自分の生活もあっけなく崩壊しました。40歳ぐらいの時でしょうか。いまから30年ほど前のことです。
 それからどう言ったらいいのでしょうか、全国を浮浪するという生活を余儀なくされました。それで各地へ行きましたが、あるとき岐阜県の竹鼻というところにお世話になっていたときがありました。そこには竹鼻別院というのがあるのです。私が学生時代、教学研究所に宮城(ミヤギシズカ)という先生がおられました。後に九州大谷短期大学の学長さんになられた方です。その先生の法話が3日間連続の夏季講座としてあると竹鼻別院の掲示板に貼ってあったのです。その時にね、行けなかったです。時間はあったのです。朝の7時から8時半ぐらいまでです。3日間だと知っていたのです。会いたいなあ、先生に会いたいなあと思ったのです。思ったのですけれども行けなかったのです。足が向かなかったのです。怖かったというのもあるのでしょうね。先生に会うことがね。行きたいなあ行きたいなあと思ったのですが、結局は行けなかった。それからお寺に足を運ぶということに至るまでは7年間要しました。
 7年間要したというのは私の中では、バブルの崩壊の時に家庭が崩壊して離婚したということがあり、その後再婚したのです。年齢のこともあり子どもが授からないということがありましたが、たまたま授かりました。その時に自分の生き方というのがものすごく問題だと思えました。こういう生活をしていて生まれてくる子供に対して自分は育てるということを一体ほんまにできるのだろうかと。もしこの子どもが将来、人は何で生まれて何をやって何処へ歩いていったらいいのだと問われたら、自分はいったいどう答えていったらいいのだろう、とものすごく身につまされた、矢が刺さったように感じることがありました。その時にこれもタイミングなのでしょうけれど、自分が求めたからそういう記事が目に入ったのかどうかわかりませんが、その時名古屋にいました。中日新聞の日曜日に宗教欄みたいなものがありました。そこにたまたま目を通したら、寺川俊昭先生が碧南の方で清沢先生の讃仰会をやられる、という記事が目に入ったです。その時家内はちょうど臨月でした。いつ生まれてもおかしくない状態でした。でも、これはいっぺん聞きに行かなければならないな、私自身のためではなくてこの子のために、将来この子に何を伝えていったらいいのか、そのために先生のお話を聞かねばならない、と重い足を運びました。この時初めて聞こうと思った。たぶん10代、20代前半の時に聞いておったのは一種の興味本位、仏教というのはこういう考え方をして、こういう事を言っているのだと、言ってみればお釈迦さまはこういうことをおっしゃたのだな、ということぐらいのもので、それが自分の生活にとってどういう意味があるのかということを何も聞いていなかった。聞いていなかったことが、ズッーとそこから離れていたことが、その聞いていなかったということ、それが大切なご縁だった、と思うのです。
 それで寺川先生のお話を聞きに行った。先生が何をお話になったかは何もわからない。ただ自分を問いなさい、自分を問いなさいということをおっしゃっておられたとは思うのですけれども、そういうことが全く分からないまま、だだひとつだけはやっぱりもう一回お寺に足を運んで聞かねばならないのではないか、ということでした。それから名古屋の東別院に聖典講座月一回ありましたので、そこへ行き、聞くようになりました。その時は2年間延塚知道という先生が『浄土論註』を2年間に亘って読むというで、連続のお話しだったら少しは勉強できるのではないかと思い通ったわけです。
 その時に地下鉄で帰るときに、名古屋の南区からおいでになったご婦人に声をかけられまして、「あなた熱心に聞いておられるけれども、私が知っている先生で、この方も大阪からきておられるのだけれども、一回会ってみませんか」とおっしゃられたのです。それで「ぜひお会いしたいです」と言うと、「ちょうど今週の日曜日に桑名でお話をされるので、一緒に行きましょうか。」と。「どう言ったらいいのですか」「近鉄の桑名駅、階段を上がったところに喫茶店があります。そこへ来てくれはったらすぐわかります。大きな人がおりますからすぐわかります。」と。それで言われた待合せ場所に行ったのです。その時にお会いしたのが聞かれた方もおありかもしれませんが、ご住職の教え子の鶴田という方で、名古屋の港区の養護学校の先生で、大阪教育大学を卒業して名古屋に奉職して養護教育にかかわっておられる方です。彼は熱心な聞法者で非常に厳しい。ズバッと突いてくる人です。お会いして4年間ぐらい一緒に聞法させてもらった。だから彼には随分教えられました。私はこれと言って就いた先生はないのです。いろんな先生に引っ付き虫みたいに引っ付いていたのですが、いちばんよくしゃべって、いちばんよく教えられて、いちばんよく感化されたのが鶴田さんですね。彼は今でも名古屋で聞法会を開いて一生懸命やっていますけれども、もう20年ぐらい会っていませんけれども。彼のことは一時も頭から離れないくらいで、彼には聞法の姿勢をものすごく教えられました。
 聞法というのは何故大切なのかなあと考えると、私のことでいうと、何もわからないまま生まれてきて、学校教育あるいは親の教育で育ってきた。他方私の父が終戦の焼け野原の中で、みんなそうだと思いますが、日本の復興のために自分の事を顧みることなくとにかく働いて働いて年老いて一線から身を引いて、と生きてきた人、その人に対して生きることはどういうことなのか問うてもその答えは無理なのです。一生懸命働き続け、育ててもらった。その父が亡くなる直前なのですが、ちょうど94歳の時ですが、自転車に乗ったら危ないとわかっているのだけれども、隠れて自転車に乗るのです。結果ひっくり返る。倒れて大腿骨を骨折して、年が年だからリハビリはきついのです。だから「そんなリハビリみたいなものは嫌だと、これでええんだ」と。でもリハビリしないと足は動かなくなるので、「ぼちぼちでもリハビリしたら歩けるようになるで」と言っても、「そんなものはかなわん。これでええねん」と。歳を取ったら頑固になるのですね。頑固になるには頑固になる理由があるのですけれどもね。そうしたら退院してきても動けない。だから体はしっかりしているのですが、足だけが動かない。ですから自分がもどかしいのでしょうね。動き回ることができない。物ひとつとることができない。だからその時ふっと愚痴が出たのですね。私はそれがものすごく大事だと思うのです。どんな愚痴が出たかというと、「おれはこの歳になるまで何で生きてきたのかな」と。「わからん。これから何をしていいのかわからん。生きていることが分からん。生きているのか死んでいるのかわからん。それなら死んだ方がマシだ。はようお迎えきてくれんかそればかりを祈っている。」と云うたのです。これは自分の思うようになったらいいのだけれども、思うようにならへんから生きていてもしゃあない。だから生きる意味が分からへん。そういうふうに言ったのですけれども、私にとっては非常に大事な大きな問題を父が与えてくれたなあと、こういうふうに思うのです。
 それはどういうことかと言いますと、「お前今いろんなことがあるやろうけれど、本当に生きるということはどういうことかはっきりしているんか。今はっきりせえへんかったら死ぬまではっきりせえへんぞ。だからおれを通して生きるということはどういうことなんや、と考えろ」これは父が体が動かないということを通して、自分の身を通して、こういうことになった時に、お寺に行って仏法を聞いているけれども、ほんまにそれで良しと言えるのか、生半可な気持ちで行っていてもあかんぞ。というような事を言ってくれているのではないかと。それは私も今は体が動きますし、排便排尿も自然にやってくれているから当たり前のように思っているのですけれども、その当時の父は体は動かない、オシッコも出ない、腎不全にかかっていましたから。だからお腹のここに穴をあけて、カテーテルを通して人工的に排尿していました。それをしなかったらどんどんたまってきて心不全を起こしてしまうのです。ですから大変な生き方ですよね。
 私たちが普段当たり前のように思っていることが当たり前でない。それは私は鶴田さんが重度心身障害児の教室を持った時にひとりの子が熱さが分からない。どれだけ熱いものに手を触れても熱いと感じない。あるときその子がストーブに手をぱっと当てた。でも熱いということが感じられない。ただれてしまった。私たちは熱いものに触れたら熱いと自然に身についてくる。暑さ寒さを感じる。そういう障害を持ったこの場合、感じる機能が失われているというか・・・。
 年をとったらみんなそうなんでしょうけれども、排尿が自分の力ではできない。体も動かない。排便もままならないのです。朝から汚い話ですけれども、一週間に一度看護士さんに来てもらって出してもらうのです。自分ではできないのです。ですから毎日排便はないわけですから、おむつをしていても取り替えるということはなかったのです。そういう点では少しは楽でした。楽だったというとおかしいですが、看護士さんに来てもらって掻き出してもらうという、そういう状態でした。これは私が見ている方ですから、父の苦しさなんて全く分からないです。けれども、父にとっては大変な生き方だったと思います。苦しかったのだと思います。便も掻き出してもらい、尿もカテーテルをしている、そして意識はしっかりしている・・・。意識がはっきりしていますから、毎日、新聞を見るのが楽しみでした。ですから私以上によく知っていました。政治・経済・スポーツ、それを滔々としゃべるのです。それを聞いてあげる、聞いてほしいでしょうね。それだけが楽しみだったのでしょう。その中で人が生きるというのは並大抵のことではない。当たり前のようにして私たちは生きていますけれども。
 何か私たちは普通の生活の中では、いいとか悪いとか、この人が好きだとか嫌いだとか、そのようなことばかりでうごめいておるわけですけれども、そうではないのだなあ。昨日も或る友達が問題があって、いろいろ話をしておったのですが、私たちはすぐにあの人はダメだとかとすぐに切ってしまうことがあるのです。切ってしまうというのは、これは二つに分けてしまうことです。繋(ツナ)がりを切ってしまうことです。繋がりは切れない、つながりの中で生きている、ということを教えているのは仏法だと思うのです。切ってしまうというのはそれに逆らうのですね。切るのは誰が切るのかというと自分です。自分の都合で、自分の判断によってきるのです。自分にとっていい奴、わるい奴ということで切ってしまうのですが、そういうことが自分でできるのだろうか、それでいいのだろうか。昨日はそういうやり取りをやっておったのです。
 話を元に戻しますが、父の事ひとつとっても人間一人では生きていけないのではないか。誰かに世話になりながら生きている。じつは、うちの家内が全部面倒を見ているわけですけれども、でもやっぱり嫁と舅の間でありますから非常に難しい問題があります。うまくいっている時は「お前の嫁さんようやってくれるわ」、ちょっと機嫌が悪かったら「あんな奴あかん。わしのそばに寄してくれるな」と激怒するのです。やっぱりそういう時、人間ていうのはこうやな、こういうものの考え方、そういうことしかできないのだと思うのです。どこまで行っても自分というものは大切なのやなと。だからほんまに自分が大切かどうかということなのです。そういうふうに言うと楽なのかもわからないのですが、実はほんまはしんどいのです。だから苦しまねばならないのです。だから逆らっておるのでしょうね。ほんとうはつながりの中で、家庭の中で、普段は父と家内と二人っきりです。ですから父にとっては家内は仏さまみたいな存在であるはずです。手を合わさねばならないわけです。しかし不足が出るわけです。こんだけやってくれたらいいのだけれどもここまでしかやってくれない。呼んでもすぐ来なかった、あいつはあかん、と言わねばならない自分というものがおるという。それで父は苦しんでいる。お前の嫁はん何ともならん、と愚痴をこぼしながら。すると家内も反発してすぐに行かない。呼ばれて分かっていても行かない。すると自分が苦しむことにおいて自分だけが苦しんでいたらいいのだけれども、自分が苦しむことにおいて人をも苦しめるのです。自分が苦しんでいるということは自分の問題なのです。そのことが巻き込むのです。巻き込んで人をも苦しめる。そのようなものを持っている。世間ではそのようなことはごく普通の事、当たり前となってしまうのでしょう。
 そういうことは間違っているとか、相手は手を合わしていけるそういう存在であるということを知っていくのは、やはりこういうお寺に足を運んで仏法を聞くということ以外ありません。そういうことが無かったら、何でもかんでも全部自分の物差しというか、他人によってものさしは違いますから、大きな物差しをもっている人もおれば、小さなものさししか持っていない人もいるなかで、みんな自分の物差しによって判断して生きており、生きていく。その判断を自分の基準として人を切っていく。自分に都合がいい悪いと一生を暮して行ってしまう。そんな生き方ではたしていいんだろうか、ということを仏法は問うている。自分が問われている。だから真宗でいうと本願念仏の方から私が「あなたの生き方はそれでいいのですか」と問われている。それに対して自分はやはり答えていかなければならない。だから生まれてきたことを一つの宿題として与えられており、それに応えていかねばならない。それがお寺に足を運んでいただく、大きなひとつの意義になってくるのだろうと思います。このように私は思うのです。だからいろんなことがあったのですけれども、そういうことのすべてがご縁となって、この場所に来らしてもらえる、ということが自分にとって非常にありがたいことだなとおもっています。
 今日は朝5時に起きまして、コーヒーをのみテレビを点けました。ちょうどNHKの宗教の時間でした。『華厳経』の求道の善財童子の歩みについてやっていました。わずかな時間しか見ることができませんでしたが、この善財童子という方はあらゆる階層の人から道を聞いた、法を聞いたのです。だからお寺に足を運んで仏法を聞くということはどんなことなのか。現実に仏法が生きて働いているところは生活の場所です。だからお寺へきて聞いて今日はいい話だったなということで終わってしまうと何の役にも立たないということです。いろんなお話を聞いてもらって、それが生きて働いている場所が生活の現場だと思います。現場の中で親子の関係があるでしょうし、嫁姑の関係もあるでしょうし、社会に出たら人とのつながりの関係もあるでしょう。そういう中でお寺で聞いたこと、本当に聞いたことが証明されてくるのが生活の場所だと思うのです。だから一生懸命お寺に足を運んでいただいて聞いたことが、自分の生きている現場でどういうふうに自分が感じていけるのか、そこが本当は一番大事なところだと私は思っています。だから聞いたことが本当にこれでよかったと言えるのかな、生きていてよかったと言えるのか。
 私達の先達に訓覇信雄先生という方がおられました。その訓覇先生が「お前らどこに向かって歩いていんや」、口がめちゃめちゃ悪かったのですけれども、そのように言われました。そしてその時に言われたのが「火葬場一直線の生き方をしていないか」、「死んだら火葬場へ持っていかれて焼かれてそれで終わりや、そんな生き方をしていないか」と叫ばれました。そんな生き方ではなくて「浄土というところにちゃんと道をつけて、そこを歩んでいる、それをはっきりせい」、こういう事を言われました。「そういうことがはっきりしたらのうのうと生きておられんやろ」、言ってみればおしりに火がついたらそこでじっとしている奴がいるか、おしりに火がつけばのた打ち回るやろ、今火がついているやろ、それを消さにゃあかんやろ、おしりに火がついているということは悩んだり患ったりすることです。悩んだり患ったりしていることがどこからきどこから来ているんや、ということです。ここをはっきりせい、ということです。自分が苦しんでいるのは誰かのせいか?ということです。何で自分は苦しんで悩んだりしているのか、その根っこをはっきりすれば問題ははっきりするだろう。だからここは世間というのは全部他人のせいにする。他人のせいにしながら、それを一つ一つクリアーして自分の生活が豊かになろうというふうに考えているのでしょう。その苦の原因は自分の中にある。何でその苦の原因が自分の中にあるのだ?ということをはっきりさせていく歩みが自分の生き方ではないのかなと。そのことをお寺に足を運んで聞いていだだくことのいちばん大きなものではないかと思います。そのようなことをズッーと思っています。これが正しいことかどうかわかりません。だから大いに疑問をもっていただき、その疑いを晴らすということも大切な大きなひとつの生き方ではないかと。うのみにしますと何処へ行くかわかりませんから。うのみにしない、疑って、疑って、疑いを縁としていく、これを親鸞聖人は「疑謗を縁としてついに明証をいだす」とおっしゃっておられます。疑いを縁として真実とは何か、ということを明らかにしていく。そういうことが自分に問われている一番大切な事柄ではないのかな、と思います。とりとめのない話でしたが、朝早くから足を運んでいただきまして誠にありがとうございました。」
 
 
 

大坂坊主BAR staff 日誌 (1) 1月9日

2015-01-10 01:44:24 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 日付がかわりましたが、本日も大阪坊主BARにたくさんのお客様にきていただきましてありがとうございました。 今日は、いきなり占いと仏教について語りなさいという申し出がありましたので、『正像末和讃』からヒントを得まして、私と占いの関わりについて少し私論をのべさせていただきました。
 また、「おまえは本当に仏教を学んでいるのか」という声なき声も聞くことが出来ました。坊主BARという空間に足を運んでいただいているのは、並大抵のことではないと思うのですね。心の奥深くに求めておられることがあるのだと思います。それに対して真剣に向き合う姿勢が問われているのです。
 身近に、父親が亡くなって49日になります。法事はどのように勤めさせていただいたらいいのでしょうか、という素朴な疑問から、後生の一大事に至るまで幅広く質問をいただきました。少子化の時代になって、これからの法事の在り方を考えさせられました。、相談をしていただいたお客様は、分家の方でしたから、お墓もお内仏も、手次の寺もないと仰っておられました。葬儀は会館まかせで、これからどうのようにまつりごとをしていいのでしょうか。家族で相談しているのですが、ヒントを教えていただいたら有り難いことです、と。僕は少し門外漢でしたが、僕の知る範囲で答えました。
 また、仏教のはたす役割についても、きついお言葉をいただいました。
 
 1月11日は仏教講座です。場所は大阪市旭区千林 真宗大谷派 正厳寺 (地下鉄谷町線 千林大宮2番出口徒歩2分、福島病院前) 午後3時からの開講です。今回は、心には何が蓄積されているのかの構造を紐解いてみたいと思っています。こちらの方にも足を運んでいたらと思います。よろしくお願いいたします。