唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 滅尽証(13)寿不離身難 結び

2017-12-06 21:31:06 | 阿頼耶識の存在論証
 
 後半は護法が正義を述べます。
 「故に識も、寿・煖等の如く、実に身に離れずと許すべし。」(『論』第四・四左)
 このように識も、生命や・体温のように本当に身を離れないと認めるべきである。
 本科段は有部の主張を受けて護法が正しているところですが、有部も自分の主張を撤回して、滅尽定においても識も寿も煖も根も身に離れないと認めるべきであると云っているわけですね
 すみません、ちょっと横道にずれます。朋の感想に対して補足です。
 存在と認識は四分義を通して明らかにされているのですが、認識は現象学において唯識が言いたいことをはっきりしているようです。つまりノエマ・ノエシスです。
 ノエシスは考える作用ですが、唯識では見分になります。ノエマは考えられたもの、相分です。このノエマには実体的なもの、具体的な事象はなく、ノエシスとの相関関係・相互関係によって意識内に構成させる認識作用だと云われています。つまり、ノエマは意識の対象面になり、意識によって捉えられたものが客観的事象ということになります。従って、唯識は客観的事象を認識する場合、その事象は無覆無記と押さえています。客観的事象には色付けはない、純粋無垢なものであると教えているのです。それを裁くのはこちらの都合でしかありません。裁くことに於いて生活軌範を守ろうとするのでしょうが、これは常識ですね。時に変化します。常なるものではありません。ここにおいても都合が垣間見られます。問題は都合です。都合において必ず弾き飛ばされる人がでてきます。十方衆生・普共諸衆生のお言葉は一切を包むわけですね。一切には漏れることが無いというわけです。では世間では何故漏れる人が出てくるのでしょうか。世間ではそこを何とか上手くやりくりをして乗り越えていこうと努力されているのでしょうが、仏法はそうはいかないですよ。僧伽は種々雑多の集まりです。仏・法を主としてその中で意見を戦わせ涅槃に向かうサンガです。ここに一つ道が見えてきますね。私たちは涅槃に向かっていますか。本当の主体ってどういうことなんでしょうか。
 今日は墨林先生が仏教学の大家、雲井先生が逝去されたとFBに投稿されていましたが、いのち有る者は必ず死すという無常を教えてくださいますね。信は無常を信じ、無我を信ずる道理を信ずるのです。そこに道理に反した生き方をしてきた慚愧の心を頂けるのですね。そして慚愧の心に依って我見が打ち砕かれてくるのです。南無阿弥陀仏は教えをいただくことができた恩徳なのです。
 外界の事象が有であるとしますと、外界とノエマは相関関係になり、相分上において実体的観念が根強く横たわることになります。唯識で云う所の行相です。往相は見分ですから、相分が見分の役割を果たすことになり、見分は自体分という関係になって、自他分別を起こします。これが妄想・迷いの根幹になるのですね。私たちの認識はこのようなことでは成り立っていないと知るべきです。これに対して示唆を与えているのがノエマ・ノエシスですね。

阿頼耶識の存在論証 滅尽証(12)寿不離身難

2017-12-05 21:43:56 | 阿頼耶識の存在論証

 前回のつづきになります。
 第二は、寿も識と同じく身を離れないという観点からの論破です。
 寿は命根のことで、生命と考えていいと思います。
 「寿と煖と諸根とも亦識の如くなる応し、便ち大なる過と成りぬ。」(『論』第四・四左)
 本科段は有部の主張に対する論破ですが、先に契経に説かれていることを論証として有部の主張には過失があると述べています。
 「滅尽定に住する者は、・・・しかし寿は滅さない、また煖を離れない、識は身を離れない」」
 ですから、本科段の意味は、寿と煖と処ねとも識のようになるであろう。それであるならば、有部の主張には大いなる過失があると云わざるを得ない。
 有部の主張は滅尽定中では六識は滅していると説いているのですが、識と寿と煖とは密接不可分の関係なんですね。相互に支え合って生命活動をつづけているわけです。従って一つでも滅していることになれば生命活動は停止すなわち死を意味します。
 つまり、有部の主張である限りですね、滅尽定においては寿も煖も五根も滅して存在しないことになるわけです。
 先ほども述べましたが、寿は生命活動ですし、生命活動がある限り温かさという体温が保たれ、五根の活動がある、これが生きているということです。従って、有部の主張通りであったならば、滅尽定入るのは死を意味しますから、大いなる過失があると破斥するのですね。
 次回は結びになりますので、参考文献として『述記』の記載を紹介します。