唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

ブログをはじめるにあたって。

2019-12-08 11:41:44 | 生きることの意味
今日は。ブログは2009年より綴って最近に至っていますが、初めの投稿から少し自分を見つめ直したいという思いから、Twitterと連携して週一のペースで更新できればと思います。
先ず初めに、「生きること」のプロローグを書いてみます。
「私が本当に大切にしているもの。人それぞれ違うでしょうが、月並みに「幸せ」でありたいと思っているのではないでしょうか。私も「幸せ」でありたいと思っています。しかし現実は自分の思いとは裏腹に一向に幸せ感が達成できません。それどころか、いちばん嫌だと思っているいざこざが絶えないのが日常の在り方です。何故なんでしょう?ではなぜ思いと違った方向に行くのでしよう。心の闇と一言で片づけるには、大きな問題が横たわっています。闇の問題は、自分を大切にという思いから、他を大切にしていない事実が浮かび上がってくるのですね。自と他を結ぶ接点は、利害関係を共有するか、利害の関わらないところで時間を消費するかの二点に絞られると思いますが、他を大切にしていないということが自ずから自分も大切にしていないということに気づきを得ないところから発生してしまうのですね。自分ひとりの力で生きていると思っている人はいないと思いますが、そこに誤解を生じているのではないですか。「他」を大切にするのではなく「利用」している。「他」を「利用」することにおいて自分を大切にしていると思っているのではないでしょうかね。このような「他」と「自」の関係を仏教では「顛倒」であると教えています。「顛倒」ですから「他」と「自」の関係を元に戻してやればよいのです。「自」を成り立たせているのがほかでもない「他」であったと頭が下がればよいのです。右手と左手、これが合わさった姿が人間として一番美しい姿ですね。「合掌」といいますが、「他」に合掌してみましょう。必ず生活が変わります。そこから何かが見えてくるはずです。そこから見えてきたものこそ大切な宝物(智慧)なのです。一番身近な家族の中で手を合わせてみてはどうでしょうか。実践ワークです。お金はかかりません。そんなこと言われても、手は合わされませんと気づかれると思います。まず、第一の問題点発見です。何故手が合わされないのか、ヒントは既に述べました。僕も実践してみます。お便りお寄せください。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tutomukawauchi)
2019-12-10 22:11:39
昨日ブロについて質問をいただきました。先ず漢字の読みと意味がわからない、ということでした。顚倒はテンドウと読みます。原因と結果が逆さまである事を意味します。つまり、私達は原因をも外に向けますが、本当はそうではなく、外は縁、間接原因であって、直接原因は自己にある事を教えています。間接原因は様々な形をもって私を試してきます。喜怒哀楽が起こって来るのは全て間接原因によります。そこに自己が自己として、自己の心の内景を知る大切なご縁なのです。
もう一つは、智慧です。知恵という漢字もあります。智慧は正見をも表しでは知恵は分別、物事を分けて知る知恵なのです。そこには自己は関与しませんが、智慧は自己を知る唯一の扉になります。

コメントを投稿