
朋との会話
N 「今の自分自身が存在しているのは確かな事実、真実でしょう。しかし思った事はないですか?今自分自身は寝ている、いや死の間際で夢をみているのではないかと。現実と想像の世界の区別がついていないのかなと。思うようにいかないのが人生でしょう。理想の人生を生きていけず、今の自分自身を受け入れず苦しんでいる。趣味を持ち人生を楽しんでいるように見えても、自分自身と格闘しているのでしょう。目の前に理想的な異性がいます。しかし自分自身の現実を認めたくない。こんなはずではなかった。と思えば思うほど底なし沼にハマってしまう。悪は外にあるのではなく、内、自分自身にあると考えないのでしょう。外に問題があると考えるのは自分自身にとっては非常に楽です。言い訳をして生きて行けるからですしょう。しかし底なし沼にはまる事になるでしょう。努力しなかったからだ。前向きに考えなかったからだ。と説教じみたことは思いません。努力しても、前向きに考えても上手くいくとは限らないでしょう。僕自身は努力家ではありませんし、悲観的な人間です。しかしそのお陰で他人に頼るということは出来ます。何でも人並以上に出来る人間を知ってはいますが、羨ましくもあり、可哀想とも思います。何故なら自身よりも悩みは深いであろうと。他人から羨ましがれ妬みも多いであろうと。妬み、羨ましく思う。悩みの種ですね。種まきをしているのは自分自身であり、自分自身の色でしか把握出来ないからでしょうね。自分自身が見ているものは自分自身が色ずけしており、他人とは共有出来ない。争いが絶えないのは当たり前ですね。どうすればよいのか?相手を認める。当たり前のことですね。その前にしなければならないのは自分自身でしょうね。今の自分自身を認める。前にも書きましたかも。ただ自分自身が今までしてきたことを許せるのか?自分自身を許せるのか?まだ当分許せないと思います。過去の自分自身が、現在の自分自身を作っていて、今の自分自身の縁は過去の自分自身が運んできてくれたのなら感謝しなければなりません。まあ努力して、思いどうりの人生を歩んでいたらどうでしょう?多分つまらないでしょうね。悩む事は人生における財産でしょうから。ただ悩む事は財産と言いましたが、悩みと愚痴は同じように捉えている事があると思います。どうにもならないこと、死ぬということからは逃げられないです。しかし死ねるということは有り難いことでしょう。死ねなければ永遠に苦しみますから。自分自身は臆病過ぎるのかなと。死に対する臆病ではなく、生きていくのに臆病かなと。いつも何かに臆病になっている。人と同じでなければならない。世間に合わせなければならない。という臆病、恐怖なのでしょう。僕自身の一番の恐怖は、今の自分自身で良いのだ。と思う事です。思ってしまえば成長は止まってしまう。自分自身の存在は他人が証明してくれている。と以前言いましたが、他人という存在も自分自身が造り出しているに過ぎません。物事の本質はどこにあるのでしょうか?解りません。死の間際まで追求することになるのでしょう。素直に生きることをしなければなりません。過去を許す勇気を持たなければ。前会社の方で自殺された方がいました。自殺という行為は許されるものではないと思います。しかし自殺した人間を責める事は出来ません。本当に悩み抜いて自殺という行為を選択されたのですから。僕にとっては一生涯忘れる事のない出来事でしょう。」
河内 「成る程ね。怯えは自分自身。自分自身の怯えが、怯えを覆い隠すように他に向かうのでしょうね。その方が確かに楽なんです。一時的にはね。ただ、真理に反していることですから、必ず、自分自身が其の責を負うことになります。そのことがなかなか解らないんですね。自分自身の存在を証明する者は他者なんです。他者によって、実は自分自身が証明されているんですね。ですから昨日、共命鳥の話をしたのですが、私の陰で泣き、苦しみ、叫んでおられる方が居るということなのです。そのことに気づきを得ることが出来るのかが私の問題なんでしょうね。悩みや苦しみは生きるエネルギーなんですね。悩みは悩みのない世界を欲するということであり、苦しみは苦しみのない世界を欲するという欲望なんです。この欲望が煩悩の正体なんですが、欲望の正体を知ってみれば、清浄世界を願っている欲と同一なんですね。過去を背負った自分は、欲望に翻弄されたされた結果として、今を頂いている。今を頂いて未来に向かおうとしている。そしたら過去を引きずったままでよいのかということにないますね。過去からの決別と言うのか、決着をつけなければならない、その時が、「今」なんです。面白いことなんですが、これでよかったんだ、すべては無駄ではなかったんだ、「今」自分自身に会えることができたのは、悠久の歴史を超えて、すべては無駄ではなかったと手を合わせることが出来るということでしょう。自殺という、自らが自らを葬り去るという自死は、あまりにも悲しすぎる出来事です。僕たちは何も気に留めることなく過ぎ去っていく事柄として処理していますが、本来は他人の自死ではないのですね。そこに貴方が生涯わすれることのない出来事として受け取っておられることは貴重であると思います。「何故」という問いが貴方をして歩ませる原動力になっているからですね。物事の本質はわかりません。有るともないともいえません。河の流れのようにです。流れを止めようと堰を作るとヘドロが出来ます。堰が煩悩ですし、ヘドロは苦悩です。理屈は自己肯定をしようとするあがきでしょうね。僕は一生懸命自己肯定をしようとしてあがいているんです。これはよくわかります。なんとかして自分を納得させたいんです。その為には屁理屈が必要なんです。屁理屈が屁理屈であると知れという働きのあることも事実です。そこの耳を傾ける作業が必要だと思います。悩みや苦しみは生きる原動力。原動力が「何故」という問いを生み出し、その中で、もがき、苦しみながら出会っていける世界が有る。それが僕に言えることは、親鸞の世界であると確信していることなのです。」
N 「会議あったら疲れてます。人間関係の嫌な所が見えて。勉強と捉えるようにしてますが。会社をよくしよう。ではなく、自分自身の保身がよく見えました。若い人間も年寄も。自分自身の情報は出さず、他人の事ばかり知りたがる。そんなかんじでした。昔から思っているのですが、全く違う世界の人間と会話するのは重要でしょう。お坊さんとサラリーマン。普段接点がないと思います。接点のない、違う世界の人間と会話することにより、世間は広がるのでしょう。会社なんて、仕事なんて成るようにしかならん。と思って生きていこうかと。案外楽観視してるのかと。僕自身の違う、全く触れる事のない世界を見たいという欲が唯識に出会う元なのかもしれませんね。」
河内 「貴方の見方は大切なものだと思います。僕は他人のことをとやかくいえるような生き方をしてきませんでしたので、自ずと自分を振り返って、他を反面教師として見てしまうのですが、徹底して保身の為ですね。どんなに会社人間になっても、骨までずずず~いっと尽くしても、保身なんです。保身=我愛=末那識。実体のないものです。実体のないものにしがみついている、外から見れば滑稽です。鉄棒がないのに、ぶらさがろうと一生懸命汗をかいてもがいているようなものです。想像してみてください。面白いでしょう。それが私の姿です。保身は別に悪いわけではないですが、自分を失っている、人間性を喪失している点についていえば、悪ですね。僕は思うんです。最近特に思うようになりましたが、妄想の域を出ませんが、どうなってもいい、無一文になっても、「これでいいんだ」と胸を張って生きられるような生き方をしたい。思い込みが自分を縛るね。縛ると動けないからね。」
河内「どうしたら、呪縛から解放されるか。簡単なことは、思い込みを捨てることなんやが、簡単なことが、一番難しいことなんや。そう簡単には開かれないと思う。僕自身今でも、思い込みで生きてるもんな。ここは、思い込みで生きてるという思い込みがあるんやね。本当は違うんや!アラヤ識からのメッセージなんや。アラヤ識の声を聞く。難しいけどな!でもこれが一番近道なんや。」
N「本当の自分自身、解りませんが、他人に結婚しろといわれて反抗する。何故だろう?自由が無くなる、金銭的にも時間的にも、それだけであろうか?責任が増える。そうであろうか?結婚という事を考えると、両親が一番の見本です。自分自身の親を見て結婚が幸せであると感じるなら結婚を望むのかもしれませんね。しかし言葉では結婚したいと思っていても、過去の両親が歩んで来た道、聞いてきた言葉からは結婚したいとは思いません。金銭的にきつかった時期がありました。親が失業したりしましたから。その時周りはとやかくいうものです。やれ離婚しろや田舎帰ってこいなど。子供であった僕は非常に嫌な想いをしました。僕も結婚して失業しないとは限りません。そうなれば嫁に迷惑がかかります。言葉では言わなくとも、結婚しなければ良かったと思っていることでしょう。僕は親に全く不満がないと言えば嘘になりますが、感謝はしています。しかし結婚はする気にはなりません。相手を幸せにすることが出来る自信はないからです。母を見て幸せな人生だったとは思えないからです。相手をつまり他人を幸せにしなければならない。というのは思い上がりかもしれません。自分自身が幸せであるから相手も幸せなんだ。と思うほうが正しいのかもしれません。自分自身の幸せはなんだ?と考えた場合、他人を不幸にしない。と言うのが僕自身の考えです。周りの人間は僕に結婚しろと言います。それは僕自身を幸せになる権利があると思ってくれているからなんでしょう。また両親を安心させてあげなさい。と言うことなんでしょう。でも収入的には無理でしょう。共働きならいけるやろ。とは言われますが。それにいつも出会うのが学のある方ばかりで、僕は学はありません。学のある人は学のある方と結婚したほうがいいです。結局自分自身の固定観念に囚われているだけだとは思いますし、独りは楽だと思います。僕みたいに頑張らない人間は一生涯独りでいないと他人に迷惑がかかる気がします。愚痴みたいになってすいません。ただ僕と一緒になっても不幸だよ。と言った思い込みが酷いです。まあ相手もいませんが。そう思っているうちは相手がいるのに、縁があるのに気がついていないでしょう。」
河内 「一生懸命、自分を納得させようとしているように思えますが、納得できますか?やっぱり結婚にこだわっているんだと思いますよ。だとしたら、素直に前を向いて、自分をさらけ出すんですね。そこでです、さらけ出せん自分が問題やと思う。こんな自分でないと駄目という方程式はありませんよ。自分らしく、ですね。」