
次に他の心所とも相応しない理由を述べます。他の心所とは、善・煩悩・随煩悩・不定の心所です。
「此の識は唯だ是れ異熟性なるが故に、善と染汚との等きとも亦相応せず。悪作(オサ)等の四において無記性成る者あれども、間断有るがゆえに定んで異熟に非ず。」(『論』第三・五右)
「此の識(第八識)は唯だ是れ異熟性なるが故に」。種子生現行、阿頼耶識の種子(有漏種子)が現行する時の果相は異熟と云われています。異熟は「無覆無記なり」、異熟無記の識、これが第八識です。常に触と作意と受と想と思と相応するが、感受作用としての「受」は捨受であり、触等の五遍行も無覆無記であることを明らかにしています。
受は捨受
三性(善・悪・無記)の中では、無覆無記性である。「異熟は必ず善・染に通ずるに非ざるが故に、(善の心所の)十一と、(根本煩悩の)六と、(随煩悩の)二十とも亦定んで相応せず。」(『述記』第三末・二十八左)
善の心所は、唯だ善性であり、煩悩・随煩悩は唯だ悪性でありますから、第八識とは相応しないのです。
悪作等の四の不定の場合についてですが、
『述記』に問いが出されています。「不定の中の無記成るは名にぞ。第八識の無覆無記と並ぶに非ずと云うや?此の問を答せんが為に、「悪作等」が説かれてきます。
悪作は悔(ケ)ともいいます。・睡眠(スイメン)・尋(ジン)・伺(シ)の心所です。これらの心所は、第八識と同じく無記性の場合もありますが、「一切時に常に相続するものではない」という理由から、相応することはない、と説かれているのです。
以上で第四の五受分別門が閉じられます。次に第五の三性分別門が開示されます。
FBの「唯識に自己を学ぶ」の投稿もお読みいただけら幸いです。