唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

日曜雑感 仏性について (3)

2010-06-20 16:45:42 | 仏性について
仏性について その(3)
前回は『教行信証』より『涅槃経』引用の意味に就いて考えてみました。『涅槃経』のテーマは大きく三つのカテゴリーにわかれています。(1)如来法身常住 (2)一切衆生悉有仏性 (3)一闡堤回心皆往、ですが此れは一つ一つ別々のテーマを論じているのではなく、涅槃を得るということは如何にしたら可能かを三の視点から述べられたものだと了解しています。(2)と(3)の関係では一切衆生悉有仏性ではあっても、一闡堤は涅槃すなわち往生を獲得できないといわれているのです。この一闡堤(icchantika)は生死を欲して出離を求めない者、あるいは真理そのものの存在を否定する者という意味に解し、仏に成る可能性のない者という既存の概念はいかがなものであろうかと思うのです。欲界に執着して生死解脱を求めないものには、いくら仏性が有るといっても、それは空論になるわけです。しかし「斉しく苦脳の群萌を救済し」(総序)といわれますように法は一切を漏らさないのですね。「世雄の悲、正しく逆謗闡堤を恵まんと欲す」といわれるわけです。この「欲」は清浄意欲で、欲生の欲ですね。これが如来の願心でしょう。善導の『法事讃』に「仏願力をもって、五逆と十悪と、罪を滅し生を得しむ。謗法・闡堤回心すればみな往く」(信巻)といわれ、「惑染・逆悪斉しくみな生まれ、謗法・闡堤回すればみな往く」(『文類聚鈔』)と語られているわけです。このことが、衆生のために「如来は常住にして変易(へんやく)あることなし。・・・定んで言わく、如来は終に畢竟じて涅槃に入りたまわず」と。如来と衆生を結びつけるものが善知識の存在でしょうね。如来の法は離言ですからもう雲をつかむようなものです。その離言を言葉にして伝える役割を善知識はもっているのでしょう。「善知識教えて南無無量寿仏を称せしむるに遇わん」(信巻)。そうしますと、私たちの生活は何に依って成り立っているのかも善知識に教えられるわけです。在心・在縁・在決定という三在釈に依って「自らが虚妄顚倒の見に依止し・自らが妄想の心に依止し・有後心・無間心に依止して生ず」と見抜かれ、このことに由って三有生死を出ずることができないのだといわれるわけです。そして「もしは総相・もしは別相、所観の縁に随いて、心に他想なくして十念相続するを、名づけて「十念」とすと言うなり。名号を称することも、またかくのごとし」(信巻)。離言の言は衆生といわれる内実を抉りだし、それを増上縁とし、私をして信の世界に導く働きをするのでしょう。また仏性は衆生の心に総相とし認識されていることがあるわけです。それを「覆」ということで表現されています。
 「貪愛瞋嫌之雲霧、常覆清浄信心天。譬猶如日月星宿、雖覆煙霞雲霧等其雲霧下曜無闇信知超日月光益」。これは『浄土文類聚鈔』の「念仏正信偈」に讃嘆されているお言葉です。「必至無上浄信暁、三有生死之雲晴、清浄無碍光耀朗、一如法界真身顕」。
 と信心仏性を明らかにされています。そして信心仏性こそが発菩提心であるということですね。
 親鸞聖人は発菩提心を大切にされています。その菩提心が成就するということはどういうことなのかを、自らに尋ねておられますね。
 自力聖道の菩提心 / こころもことばもおよばれず / 常没流転の凡愚は / いかでか発起せしむべき
 三恒河沙の諸仏の / みもとにありしとき / 大菩提心おこせども / 自力かなわで流転せり
 これは聖人が仏法に遇われた時の感涙でしょうか。わが身をたのみ、わが心をたのむ自力の在り方では菩提心を起すと雖も、自己関心でしかないという見極めではなかったかと思います。明恵上人は納得されるでしょうか。それでも反論なさるのでしょうか。親鸞聖人がここまで言い切られるという事には法に対する信知があるわけです。
 浄土の大菩提心は / 願作仏心をすすめしむ / すなわち願作仏心を / 度衆生心と名づけたり
 度衆生心ということは / 弥陀智願の回向なり / 回向の信楽うるひとは / 大般涅槃をさとるなり
  如来の回向に帰入して / 願作仏心をうるひとは / 自力の回向をすてはてて / 利益有情はきわもなし
と『正像末和讃』に讃われています。
 蓬茨祖運先生の『仏陀 釈尊伝』をすこしづつながら読ませていただいているのですが、このあとがきの中で先生は次のように述べられています。紹介をしてこの項を閉じさせていただきます。
 「釈尊伝に関して、宗祖は「如来般涅槃の時代をかんがうるに、周の第五の主、穆王五十一年壬申(みずのえさる)にあたれり。その壬申より、わが元仁甲申(きのえさる)にいたるまで二千一百八十三歳なり」と、教行信証の化身土巻にのべられているばかりである。もとより、それは単に釈尊の入滅の時期を算定されたものではない。その前に道綽禅師の「当今末法にして、これ五濁悪世なり。ただ浄土の一門ありて通入すべきみちなり」の文につづいて「しかれば、穢悪濁世の群生、末代の旨際をしらず、僧尼の威儀をそしる。いまのときの道俗、おのが分を思量せよ」ということの背景としてであった。近代に入ってその記録そのものが、科学的考証の対象となって、教行信証の心は埋没していった。如来の涅槃は、釈尊の死期を考える以外の意味をもたなくなったのが、近代における釈尊伝である。
 しかし、釈尊の涅槃は単なる人間の死ではない。人間のもっとも恐れる死、すなわち生活の崩壊を真実に越えた人の正しい覚(さとり)の異名というてよい。宗祖は「涅槃とまふすに、その名無量なり。・・・涅槃おば滅度といふ、・・・真如といふ、・・・一如といふ、仏性といふ、仏性すなわち如来なり」(唯心鈔文意)ともいわれている。この意味で、近代において釈尊伝が科学的にとらえられてきたことは、人間より離れていた仏を新しく人間に近づけたと思わせることになった。しかし、近づいたのは科学的思考であって、仏ではなかった。「信心すなわち仏性なり。仏性すなわち法性なり」(唯心鈔文意)という宗祖の言葉は、われわれ人間にほんとうに仏を近づける道はその教法しかないことをあらためて明示するものである。宗祖が真実の教は“大無量寿経”といわれた。その大経の序文には、その意味で釈尊の八相、すなわち釈尊伝が大経の聴衆の徳として語られている」
 尚、八相成道についての『大経』の記述についてはHP親鸞に学ぶの八相成道の項を参考にしてください。    以上

日曜雑感 仏性について その(2)

2010-06-06 22:23:18 | 仏性について
明恵上人は『摧邪輪』において、菩提心の必要性を経・論・釈文を引用し、『選択集』を批判しています。仏教は「発菩提心」が出発点になるわけです。「八万四千の法門において菩提の心を最勝とす」。「菩提心とは、帝王のごとし」・「菩提心とは、如意珠のごとし」・「菩提心とは、伏蔵のごとし」という『華厳経』(巻三十六ー大正10ー831b)を引用し、検証されています。「しかるに菩提心を以って小利とするは、譬へば、餓鬼の恒河に臨んで枯渇を憂ふるがごとし。」と結び、菩提心発無は「経論に迷惑して、諸人を欺誑せり」。と『選択集』の難をだして論破しています。しかしこの論破は仏教史観からいいますと、正しく明恵上人の仰せの通りであります。菩提を求める出発点は菩提心にあるわけです。
 親鸞聖人は『教行信証』化身土・本に於いて、八万四千の法門を「心に依って勝行を起せり、門八万四千に余れり」。と、「余」という一言に一大仏教を転換させました。「門余」と言うは、「門」はすなわち八万四千の仮門なり、「余」はすなわち本願一乗海なり」。(真聖p341)と『摧邪輪』の批判に答えておられます。自らが自らの意思を以って菩提を求める事は不可であるといわれるのです。「たとい千年の寿を尽くすとも法眼未だかって開けず」という「定善義」の文を引用され、自らの意思に先だって如来の願心が働いていることに、頷きの眼を開かれました。それが仏性という問題であると思います。『教行信証』信巻(真聖p229)に『涅槃経』を引用され「一切衆生悉有仏性」の問題に答えられています。「善男子よ、衆生の内なる仏性もこれと同じことだ。誰もそれを見ることができないが、ただ如来だけがそれを知っている。そして今やあまねく衆生たちに、貧しい女の家の地下の宝蔵にも比すべき仏性を開示するのである。それを聞き、まのあたりに見て、衆生たちはすっかり喜んで、如来に帰依するであろう。よく手だてを知った旅人とは、如来をたとえたのである。貧しい女とは一切衆生のことであり、埋蔵されている真金とは仏性をいうのである。」また「金剛宝珠の譬え」に示されますように「善男子よ、一切衆生もこれと同様である。善知識に親近しないので、身中に仏性があるのに。そして、貪欲・瞋恚・愚癡のために覆蔽せられているのである。・・・善男子よ、如来はこのように衆生たちは皆仏性を持っていると説くこと、かの良医が力士に金剛宝珠を示すようなものだ。しかも衆生たちは、その力士のように、無量の煩悩の殻に覆われているため、仏性のあることに気づかない。」(『涅槃経』巻第七、如来性品)
 「貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇なきがごとし」(『正信偈』)といわれるように、私たちには煩悩に覆われてその眼差しを失っているのです。私たちはそれぞれの立場において真実を明らかにすることが求められているのです。それを失ってしまったならば人生はたとえ長命であったとしましても、人生は空しく過ぎ去ってしまったというより他はありません。
 『教行信証』信巻に「一切衆生悉有仏性」について『涅槃経』を引用され、  
 『涅槃経』(師子吼菩薩品)に言わく、善男子、大慈大悲を名づけて「仏性」とす。何をもってのゆえに。大慈大悲は常に菩薩に随うこと影の形に随うがごとし。一切衆生畢に定んで当に大慈大悲を得べし。このゆえに説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大慈大悲は名づけて「仏性」とす。「仏性」は名づけて「如来」とす。大喜大捨を名づけて「仏性」とす。何をもってのゆえに、菩薩摩訶薩は、もし二十五有を捨つること能わずは、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わず。もろもろの衆生畢に当に得べきをもってのゆえに。このゆえに説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大喜大捨はすなわちこれ仏性なり、仏性はすなわちこれ如来なり。仏性は「大信心」と名づく。何をもってのゆえに、信心をもってのゆえに、菩薩摩訶薩はすなわちよく檀波羅蜜乃至般若波羅蜜を具足せり、一切衆生は畢に定んで当に大信心を得べきをもってのゆえに。このゆえに説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大信心はすなわちこれ仏性なり。仏性はすなわちこれ如来なり。仏性は「一子地」と名づく。何をもってのゆえに、一子地の因縁をもってのゆえに菩薩はすなわち一切衆生において平等心を得たり。一切衆生は畢に定んで当に一子地を得べきがゆえに、このゆえに説きて、「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。一子地はすなわちこれ仏性なり。仏性はすなわちこれ如来なり、と。已上
 (迦葉菩薩品)また言わく、あるいは阿耨多羅三藐三菩提を説くに、信心を因とす。これ菩提の因、また無量なりといえども、もし信心を説けば、すなわちすでに摂尽しぬ、と。已上(真聖p229)
 この項(つづく)

日曜雑感 仏性について その(1)

2010-05-30 20:44:54 | 仏性について
親鸞聖人は師、法然上人との出遇を「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と自らの廻心を語っておいでになります。そして「悲喜の涙を抑えて由来の縁を註す」といわれた、『選択集』書写の事実を「元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。」と『教行信証』化身土巻末に述べておられます。(真聖p400)
 法然上人の課題は二つあったと思われます。一つは一切衆生の救済は如何にしたら成立するのか。もう一つは速やかに生死を離れる事は如何にしたら可能かということでしょう。そしてその根拠はどこにあるのか、が必然として問われてきます。親鸞聖人は『選択集』を「真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり」と述べられています。いついかなる時であっても、いついかなる機であっても、そこに念仏とはなにかを明らかにし、私の行に先だって、本願として選び取られた、選択本願念仏を明らかにされたのが法然上人ですね。その視座は一切衆生をして平等に往生せしめたい、ということと、選択本願念仏為本ということでしょう。親鸞聖人は「行巻」(真聖p189)に「それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、なお助業をにして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するなり。称名は必ず生まるることを得、仏の本願に依るがゆえに、と。已上」と総結三選の文を引き閣・抛・傍を取捨し選択摂取としての本願念仏を選び取られた師の視座を確かめておられます。そしてその道こそが「同一に念仏して別の道なきが故に」と結ばれています。
 また平等の視点は、
「念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。しからば則ち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願としたまふか。 もしそれ造像起塔をもって本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望みを絶たん。 しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。 もし智慧高才をもって本願とせば、愚鈍下智の者は定んで往生の望み絶たん。 しかも智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。 もし多聞多見をもって本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望みを絶たむ。 しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。 もし持戒持律をもって本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望みを絶たむ。 しかも持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。 自余の諸行、これに準じてまさに知るべし。(『選択集』-P52)
 一切衆生の救済と一切衆生悉有仏性といわれることには深い関わりがあるように思います。『選択集』はまず道綽禅師の『安楽集』引用から始まりますが、ここに一つの問いが投げかけられています。「問うて曰く、一切衆生の皆仏性あり。・・・何によってか、今に至るまでなほ自ら生死に輪廻して、火宅を出でざるや。答えて曰く、大乗の聖教によらば、まことに二種の勝法を得て、もって生死を排はざるによる。ここをもって火宅を出でざるなり。」と。一切衆生悉有仏性は『涅槃経』のテーマの一つです。すべての生きとし生きる者には仏に成る可能性が秘められている、にも拘らず何故に仏に成ることはないのかという問いがあるわけです。それと、何故本願は起されたのか。阿弥陀のお心に何があったのか。その確かめが必要なわけですが、それが「本願章」に述べられているわけです。仏と自己をつなぐもの、それが念仏なわけです。念仏を場として仏と自己の関わりを尋ねていくということ、これが明らかになることが「念仏成仏是真宗」に頷くことになるのです。自己の関心の元に、自己の関心の延長線上に成仏があるわけではありません。
 この『選択集』がセンセーショナルとなり、旧仏教を直撃したのです。当然のごとく波状攻撃がなされました。「興福寺奏上」がその最大のもので、朝廷に「誠惶誠恐謹言」されたものです。「殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糺改せられんことを請ふの状」として九箇条の失を挙げて糾弾しています。また行から批判したのが明恵上人の『催邪輪』です。二つの過失を挙げて批判します。「ここに近代、上人あり、一巻の書を作る。名づけて選択本願念仏集と曰ふ。経論に迷惑して、諸人を欺誑(ぎきょうーあざむく)せり。往生の行を以って宗とすと雖も、反って往生の行を妨礙せり。高弁、年来、聖人において、深く仰信を懐けり。・・・しかるに、近日この選択集を披閲するに、悲嘆甚だ深し。」その内容が「一は。菩提心を撥去(はっきょーのぞきさる)する過失」であり「二は聖道門を以って群賊に譬ふる過失」です。仏道はまず菩提心を以って発心するものですから、初発心を除くというのはもはや仏道ではないと批判しているわけですから、的を得ているわけです。法然上人は何もおっしゃらないのですが、親鸞聖人は菩提心を浄土の大菩提心として押さえておいでになります。「浄土の大菩提心は・願作仏心をすすめしむ・すなわち願作仏心を・度衆生心となづけたり」 「度衆生心ということは・弥陀智願の回向なり・回向の信楽うるひとは・大般涅槃をさとるなり」 「如来の回向に帰入して・願作仏心をうるひとは・自力の回向をすてはてて・利益有情はきわもなし」と『正像末和讃』に菩提心は如来より賜りたるものとして、自力の菩提心を悲歎されています。「如来の回向に帰入して」の帰は還の意味があります。すなわち帰入は還相回向になるのですね。ここには私の関心事の入る余地がないのです。いわば純粋経験になります。如来の往相回向は私には如来からの還相回向になり、還相回向をうけて、私の往相回向が成り立つのでしょう。それが純粋の菩提心といわれるわけです。法然上人は『選択集』三心章に於いて善導のニ河譬の群賊を「群賊等喚び廻すと言ふは、即ち別解・別行・悪見人等の、妄りに見解を説いてたがひに相ひ惑乱し、および自ら罪を造って退失するに喩ふるなり」、また親鸞聖人は『愚禿鈔』に「群賊は、別解・別行・異見・異執・悪見・邪心・定散自力の心なり」といわれますが、そこには別解・別行等では間に合わないという問題と自己を見る眼差しの曖昧さが垣間見えるわけです。法然上人は次に「またこの中に、一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行学見(認識と修行・学びと見解)を指すなり。」と指摘されているわけですが、ここを明恵上人は聖道門を群賊に譬えた過失として批判しているわけです。明恵上人は菩提心を「菩提と言ふは、即ち是れ仏果の一切智智、心と言ふは、この一切智智において希求の心を起こす。これを菩提心と云ふ。一切の仏法、皆この心によって生起することを得。」といわれていますが、もっともなことなのです。正論です。法然上人はこのことを否定されたわけではないのです。 (次週に持ち越します)