(この後の境(認識対象)に随って、六識の名を立てたのは。五色根が未自在位という位によって説いたのである。もし自在を得たときには、諸根互用するので、一根が識を発して一切の境を縁じることになる。随境得名はただ未自在位のみに限る。無漏の五識現在前する自在位にあっては五根が互有するから五識が自根に依って遍く五境を認識する、例えば眼識が眼根によって色境を縁ずるのみならず、余の四境をも縁ずることになり、自在位あって随境得名するならば、一識を色識乃至身識と名づけ五種の区別がなくなってしまうのである。そうなると境に随って名をたてると相濫ずることになり、六識の名はただ根に随うべきである。根に随って名を立てるならば、相濫ずる過失はないのである。)
「荘厳論に、如来の五根は一一皆な五境の於に転ずと説けるは、且く、麤顕(そけん)と同類との境に依って説く。」(『論』第五)
(『荘厳論』(大正31・605a)に、「如来の五根は、一々すべて五境に対して転じる」と説かれるのは、しばらく麤顕(そけん)と同類の境によって説くのである。)
「仏地経に説かく、成所作智は有情の心行の差別を決択し、三業の化を起こし、四記の等きを作すという。若し遍縁ならずんば、此の能無からんが故に。」(『論』第五)
(『仏地経』(大正26・318b)には、次のように説かれている。成所作智は有情の心行の差別を決択し、三業の教化を起こして、四記などを行う。もし遍縁がないならば、この力はないであろう。)
•成所作智 - 成所作は、なすべきことをなしおいえること。行為を完成させること、成所作智はその作すべきことを成就する智慧。一切の衆生を救済するために、あらゆる場所に変化身を現じる智慧。
•心行 - 有情の心のはたらき。
•三業の化 - 三業の教化である身化・語化・意化のこと。
•四記 - 質問に対する四つの答え方。一向記・分別記・反問記・捨置記の四つ。
1.一向記 - 問いに対しそのまま肯定し答える方法。
2.分別記 - ある質問に対していくつかの観点から分けて(分析判断して認否を行う)答えること。
3.反問記 - 相手の質問に対して、まず問いかえして、その後に答える方法。
4.捨置記(しゃちき) - 答えるに足らない問い、答えるべきではない問いに対しての対応で、答えないことで対応するもの。
•遍縁 - 遍く一切の対象を縁じること。
「然れども、六転識の所依と所縁とは、麤顕なり、極成せり、故に此には説かず。」(『論』第五)
(しかし、六転識の所依と所縁は麤顕であり、極成のことである、。そのために、此処(本頌)には説かない。根と境は、麤顕であるから説かれていない、と。
•麤顕(そけん) - はっきりと認識されるあり方。唯識では沈隠(ちんおん)の対としての麤顕である。阿頼耶識にある種子がはっきりと認識されえない深層的なありようを沈隠というのに対して、種子より生じた表層的な識がはっきり認識されうるありようを麤顕といいあらわしています。
六根・六境はだれにでもよくわかることなので麤顕といい、これは大・小乗共に認めている共許のことなので極成と言い表しているのです。改めて説く必要はない、と。
「前に義の便(びん)に随って、已に所依を説いて、此の所縁の境をば義の便に当に説くべし。」(『論』第五)
(前に、「義の便に随って」(内容をわかりやすく説明するために)、すでに所依について説いた。ここでもこの所縁の境についても、義の便に随って、まさに説くのである。)
「前」とは - 巻第四の所論と、巻第五の所論を指す。巻第四の所論は所依について述べられる。「若し法が決定せり、境を有せり、主たり、心心所をして自の所縁を取ら令む、乃ち是れ所依なり、即ち内の六処なり。(p83)」と「此の理趣に由って、極成の意識は、眼等の識の如く、必ず不共なり、自の名処を顕し等無間に摂められず、増上なる生所依有るべし、極成の六識の随一に摂めらるるが故に。(p103)」
•「当に説くべし」とは - 「契経に説けるが如し、眼識というは云何ぞ。謂く、眼根に依って諸の色を了別するぞ。広く説く、乃至意識というは云何ぞ、謂く、意根に依って諸法を了別するぞ。(p108)」
能変差別門を閉じるについて整理をしておきます。
「謂く本頌の中に初能変の識は、唯所縁を明かし(不可知の執受処)、所依を明かさず。第二能変には倶にニ種ながらを明かせり(彼に依って転じて彼を縁ず)。此の六識は共の所依を明かして(根本識に依止す)所縁をば明かさず。麤にして而も且つ顕なり、又復極成するを以って頌の文に略して説かず」(『述記』)
•初能変 第三頌(不可知執受処)で所縁を明らかにしています。
•第二能変 第五頌(依彼転縁彼)で所依と所縁を明らかにしています。第八識を所依として転じて第八識を所縁とする、ということです。
•第三能変 第十五頌(依止根本識) 六識すべては根本識(阿頼耶識)を所依として働いている。
「前に義の便に随いて已に所依を説いて、此の所縁の境をば義の便に當に説くべし」(『論』)
前に(『論』巻四 依・所依の文p83・『論』巻五 六ニ縁証の文 p103)(義の便に随って)已に所依を説いたので、ここでは此の所縁の境についても(第三能変の別名についての経典の会通の所論を指す。p108)義の便(意義内容をわかりやすく)のために当に説くのである。これはこの後に論議されます。