唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

花まつり

2015-04-08 23:00:57 | 灌仏会
 今日は、灌仏会、お釈迦様の誕生日ですね。各地で、降誕会のお祝いがされました。FBでもその様子がわかりました。
 
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        「釈迦弥陀は慈悲の父母
         種種に善巧方便し
         われらが無上の信心を
         発起せしめたまいけり」

 お釈迦様がお出ましくださらなかったならば、阿弥陀の本願も徒労におわるのでしょうね。お釈迦様の恩徳を讃えると共に、お釈迦様が教えてくださいました、誕生と共に「独尊」と言う、独尊子ですね。この意味を尋ねなかればなりませんね。誕生と涅槃は一つの事柄なのでしょう。涅槃からお生まれになったことを明らかにしてくださいました。そのことは、とりもなおさず私の誕生もまた涅槃から生まれてきたことを意味するのでしょうね。涅槃から生まれて、涅槃に帰る、一如の生起ですね。大事な大事な生活の場を与えられている。人それぞれの縁に応じて、涅槃から涅槃へという中で、生まれてきたことの意味を知るチャンスを与えれた。
 發遣の教主 釈迦、お釈迦様が背中を押してくださっている。何故。お釈迦様も阿弥陀に救われ、阿弥陀の存在を証明された方なんですね。その方を仏陀というんでしょう。
         釈迦如来かくれましまして
          二千余年になりたまう
          正像の二時はおわりにき
          如来の遺弟悲泣せよ
 「悲泣」を通して、大悲の仏教を教えてくださいましたのが、親鸞聖人ですね。真宗は釈迦・弥陀の二尊教と云われますが、私にとっては、釈迦・弥陀・親鸞・師の四尊教として阿弥陀の本願に触れていくことが出来るのです。