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初めに、因縁変を明らかにし、後に分別変を明らかにする。
「初のは必ず用(ユウ)有り。後のは但だ境のみと為(ナ)る。」(『論』第二・三十二右)
因縁変には必ず体用(自体と作用)があり、前五識と第八識等を所変の境として、自然に因縁の力によって識が変化することで、識の境となったものには必ず実際の働きがあるとされます。例えば、第八阿頼耶識でいいますと、阿頼耶識が変化して、阿頼耶識の対象(境=所縁)となった身体や器世間には具体的な作用があるということです。
「等」は等取という、~などという意味になります。ここで云われる「等」は、阿頼耶識の所縁と、前五識の所縁と五倶意識同縁の心心所の所縁と定心の所縁とが因縁変となるとされます。
「其の所応に随って、五識相応の心心所と及び第八識の体と五倶の意識と、或は定心との所縁は実の種生在るは皆因縁変なり。余は実の用無し。・・・彼の実体の種子の因に随って生ずるが故に境に用有り。」(『述記』第三本・八十三左)
五識の対象について少し説明しますと、五識が認識する対象は何かということになります。五識が能縁という主体的な働きであり、対象は所縁といい、客観的なものということです。所縁行相門で云いますと、能縁は=行相というわけです。
五識はいうまでもなく、眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(嗅覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)で、それぞれの対象である所縁は、色(いろとかたち)・声(こえやおと)・香(かおり)・味(あじ)・触(かんしょく)です。そして五識・五境の門となるのが五根という感覚器官なのですね。ですから根・境・識の三つが和合して初めて認識が成り立つといわれているのです。五識で捉えられた対象は本質(ホンゼツ)として現量(ゲンリョウ)なのです。分別を加えることなく、自然に対象と和合して一体なのです。本来のありのままの姿(相)を五識は描いているのですね。現量とは無分別のことです。
しかし、現実はそうようには働きません。何故でしょうか。ここに表層の意識と深層の意識を結ぶ接点があるのですね。第六意識の存在です。第六意識は「一切法を所縁とする」と云われています。私を取り巻く現象的存在と、非現象的存在のすべてを含んだものを対象としているのです。ここに五倶の意識の中の五同縁の意識が因縁変であるとされるのです。「倶」は同時にという意味になりますから、五識とともに同時に働く意識を五倶の意識と呼ばれています。そして五同縁の意識ですが、これは五識と同じ対象を把握する意識で明了依(ミョウリョウエ)と呼ばれています。五識と同じ対象を明瞭ではっきりと認識する作用をもった意識ということになります。
もう一つ、定心の所縁です。これは定中の意識に当るのかもしれません。意識独自の働き(独頭の意識)の中の定中の意識のことで、禅定中に起こってくる無念無想の意識、意識ではあるけれども、意識から解き放たれた意識ですね。この意識の所縁とは分別が超えられています、任運に法爾に起こってくるものですから因縁変である。ただその他の因縁変と違うのは、仏道修行の中で起ってくるものということですね。
「変に必ず用有り。又独頭の意是れ業果心は因縁変の故に亦用あるべし。・・・因縁とは法体実に真の種子によって生ず。真の種子によって生ずれば所変の用有り。」(『樞要』(巻上末・五十二右)と。
現行は、夢・幻から生ずるということはなく、必ず種子から縁生することを云っているのですね。因縁によって、種子から現行へと変化するものは自然である、「任運の義」と云われています。阿頼耶識が所縁とする種・根・器は任運に阿頼耶識が変化したものということになりますから、問題は阿頼耶識ですね。転識という課題があります。識が転じて智に変わる。パリナーマ、転変ですね、ここに生きることの原点があるのではないでしょうか。生まれ甲斐というか、生き甲斐ですね。転変を明らかにするところに聞法の課題があるのでしょう。行の問題ですね。
同じことの繰り返しになりますが、種子生現行が任運であれば、現行熏種子も任運ですね。表に現れるのを現行、種子から表に現れる相が現行、現行したものはすぐさま種子として阿頼耶識に熏習されていく。この循環が因縁生といわれているものです。種子については、種子の定義と種子の六義を学びましたし、熏習についても所熏と能熏の四義についても学びましたのでここでは省略します。私は過去の経験のすべてを背負って生まれてきたということですし、その中の一つの性格が生れ持ったもの、本能とか才能とか云われているのですが、これは外的条件ではないのです。「有漏の識の変」ですから、様々な条件の中から道を求める御縁をいただいていくのですね。
外的条件ではないと云いましたが、運命論とよく似ているんです。ここが紛らわしい所ではあります。生老病死はある意味決められた過程ですから運命なのです。どうすることも出来ません。しかし本当にそうなのかということです。運命というのは、私の思いで生老病死を計っているわけです。計は量と同義語ですが、合体すると計量です。量ることのできないものを量っていることが運命論という考え方になるのではと思いますね。運命とは決められたもの、覆すことのできないものというイメージでしょう。運命だから諦めましょう、というわけです。諦は明らかにするという意味であって、あきらめるということではないのですね。運命に立つ、運命が立脚地になる。ここに仏道の入り口があるんですね。運命は決定ではなく、仏道の入り口だと。
清沢満之師の言葉が響いてきます。大谷大学教員エッセイ、今日の言葉より抜粋させていただきました。味読してください。
「独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり。」
清沢満之『臘扇記第二号』 (『清沢満之全集』第8巻425頁)
パソコンや携帯電話など、さまざまな情報機器を通して、私たちは世界中の人たちや見知らぬ人とも簡単に繫がることができるようになりました。しかし一方でメールの返事がないと不安になったり、匿名の他者による書き込みで傷つくなどのさまざまな問題も起きています。繫がりやすくなればなるほど、孤立することが怖くなるというのは不思議なことです。
孤立と独立とはちがいます。「孤立」とは、ただひとりで助けのないことです。「独立」とは、他に依存したり束縛・支配されないことです。独立した自分があって、はじめて他者に依存することなく本当に関わり合うことができるのではないでしょうか。
明治時代、「独立」をテーマとした二人の思想家がいました。一人は福沢諭吉であり、もう一人は大谷大学の初代学長・清沢満之です。福沢は、学問によって個人が経済的にも政治的にも精神的にも独立自尊であることを目標としました。しかし清沢が求めた独立は、それとはまったく異なり、他人や外の物や自分の思いに縛られない生き方でした。
上に掲げたことばは「独立しようとする人は、いつでも生と死との切っ先に立って在るのがよいだろう」という意味です。清沢は、生と死といういのちの事実をしっかりと見つめることによって、他人や外の物ばかりでなく、自己の思いにも振り回されることのない本当の自己に向かいあうことができるといいます。
このことばは、清沢の三六歳から三七歳までの『臘扇記』(ろうせんき)と名づけられた日記のなかに出てきます。「臘扇」とは一二月(臘月)(ろうげつ)の扇を意味し、「必要のないもの」をたとえています。そのころの清沢は、家庭的にもさまざまな問題が山積し、また当時は感染力が強く大変に恐れられた結核を患い、他人の中傷や排除のただ中で孤立していました。しかし清沢は、そのことを縁として本当の独立とは何かを求めました。そして本当の独立のためには自己の信念の確立こそが大切だと改めて気づいたのです。このことばも、その思索のひとつとして記されています。
私たちは、他人に依存し、その評価に振り回されがちです。一人ひとりが独立した自己であって、はじめて、他人に支配されたり、また他人を支配することなく、ともに繫がりあうことができる、このような清沢の思索に心を寄せてもよいのではないかと思います。